執筆者:儘田 哲夫(日本ブラジル中央協会理事)

その時一瞬自分の目を疑いました。明らかにストリートチルドレンと思われる少年がファーストフードの店にフラフラと入った時でした。次の瞬間、店員に大声で怒鳴られて、店から追い出されるとの当然の予想は見事に裏切られ、何と女子店員は客の飲み残しのコーラの瓶をその子供に渡したのです。彼は仲間内で飲み回していた瓶を受け取った様な当然の風情で、足早にコパカバーナの海岸の方に消えました。唖然としたまま、私が暫くその店を眺めていると、今度は年配の矢張り路上生活者らしき男性が近寄って行きました。店員は嫌な顔一つせず、あたかも事前に申し合わせたかのように、紙コップに水を入れて彼に渡したのです。

日本人には想像もつかない貧しい人々に対するこのブラジル人の思いやりを目撃したのは、プラサドリドのNossa Sra de Copacabana通りの四つ角、昼下がりでした。

しかしながら、他方、プラザの反対側、即ちAtlantica通りやCopacabanaの海岸では、車を狙ったピストル強盗や海水浴客を相手の子供たちによる集団強奪事件などが、ニュースにならない程頻繁に起きているのも同じ街の現実の姿です。個人的にもIpanemaの海岸で、パトカーが追跡するサイレン音と共にピストルを撃ち合う音が聞こえて、思わず首をすくめて立ち止り、やり過した経験もありました。

日本人の感覚からすれば、両方とも理解を超える出来事です。店頭に路上生活者が異臭を放ちながら近寄って来れば追い出すのは店としては当然だし、犯罪がこれほどまでに日常茶飯事であることは想像を絶しています。長所・短所の両方が日本人の常識の枠から遥かに逸脱しているこうしたブラジルでの現実に出くわす度、どちらが本当のブラジルなのだと自問自答せざるを得ません。

単一民族、単一国家の日本と異なり、多くの民族の移民で構成されているブラジルでは、異文化に対する許容の幅を大きく広げないと社会が成り立たないという現実があり、「拘らない」文化は建国以来の歴史から学んだブラジル人の処世術なのかも知れません。日本人がそれを理解する為には先ず自分自身の想定枠を大きく構えて、物事に対処することが求められているのかも知れません。