執筆者:桜井 悌司 氏
(日本ブラジル中央協会常務理事)

 サンパウロに赴任した直後の2003年11月にコロニアの重鎮であるコンサルタント部会長の故西川悦治氏と赤嶺尚由氏(ソールナッセンテ人材銀行代表)がジェトロ・サンパウロに来られ、ブラジル日本商工会議所のコンサルタント部会の会長になって欲しいという要請があった。私は、ミラノでも日本人商工会議所の理事・事務局長をやった経験もあった。サンパウロでは、日本企業や日系コロニアの方々のお役に立とうと考えていたので、喜んで引き受けることにした。当時、商工会議所には、自動車、電気電子、機械、化学、食品建設、運輸等業種ごとの部会があり、コンサルタント部会は、その中でも最大の部会で、主要業種に当てはまらない企業や個人が入っていた。当時、会員企業数は280社、個人会員は16名であった。会議所の課題は、①国際化をいかに図るか、②会議所の提言能力をいかに高めるか、③企業の社会的責任活動をいかに強化するか、④会議所の本来の機能を果たすために、いかに活性化するか等々である。その後、部会長は、常任理事会にオブザーバー参加は可能であるが、投票権が認められていなかったこともあり、2004年11月に常任理事選挙に立候補した。本稿では、平田藤義事務局長と協力し、会議所の発展のために少しは役立ったことを紹介したい。

 

イベント共催制の実現

ブラジル日本商工会議所ビル

不思議なことに、当時会議所の各種イベント、セミナーでの共催は認められていなかった。ある時、JBIC(国際協力銀行)からジェトロに金融関係のセミナーを開催したいので協力して欲しいという依頼が入った。相談の上、JBIC,ジェトロ、商工会議所の貿易部会が共催で実施しようということになった。JBICが講師を日本から派遣し、ジェトロが通訳代を出し、会議所が会議室を提供するという役割分担である。その旨、会議所に要請すると、会議所は共催をしないことになっていると言う。その理由を尋ねると会議所の名前を悪用される可能性があるからだとのこと。会員数5,000社を誇るアメリカ商工会議所や1,000社のドイツ商工会議所ならその可能性も否定できないが、たかだか280社の会員の日本商工会議所の名前など、日本政府の組織であるJBICやジェトロが悪用するはずもないのだが、当時の商社や保険会社出身の副会頭(田中信会頭は日本に出張中)が臆面もなく言ってのける。埒があかないので、JBICとジェトロ主催、商工会議所貿易部会協力という形式にした。成功裏に終了したが、民間企業出身の会議所幹部の頭の固さには驚かされたものであった。サンパウロの外国商工会議所の機能や活動を調査してみると、彼等は、共催制は当然のことと考えており、積極的に推進していた。各種イベントがより大規模かつ質の高い内容のものにできるかが、共催するかどうかの判断の基準なのである。その年の理事会で判断基準を作成したうえで共催が可能となった。

 

スポンサー制度の導入

もう一つの不可解な点は、日本商工会議所のイベントや活動にスポンサーを認めないという規則であった。具体的には、会議所のクリスマス・パーテイでヤマハ・ミュージック等がブラジルの著名なミュージシャンを善意で呼びたいというオファーがあっても、認めないということである。他の外国商工会議所であれば、会議所には経費はかからず、参加者全員が喜ぶとあって大賛成するところである。しかし、日本商工会議所の場合は不可だった。会議所が経済的に裕福であるならば、それでもいいが、決してそうではないにも関わらず頑強に反対する。そういう驚くべき体質を持っていた。私も常任理事であったので、制度改革のために、早速共催とスポンサーシップの承認にあたってのルールを作ることにした。常任理事会での難航が予想されたが、意外にすんなりと承認され、日本商工会議所もようやく普通の外国商工会議所並みの常識が通用するようになった。早速、スポンサー制度確立の成果が出たケースがあらわれた。

当時会議所紹介のパンフレットはあるにはあったが、極めて貧粗なものであったので、新しく見栄えの良いものに作ろうということになり、初めてのスポンサーシップ採用制度を活用することになった。具体的には、1社、2、000レアル(約10万円)で10社のスポンサーを募り、3つ折り6ページの日本語版とポルトガル語版の見映えのするパンフレットを2006年に発行した。スポンサーの会社にはロゴを掲載した。これにより、会議所は2万レアル(100万円)の節約が可能となった。

 

「現代ブラジル事典」発行の話

2005年5月に、小池洋一教授他監修者の方々、多くの会議所会員等の執筆者の協力で「現代ブラジル事典」が発行された。原稿の遅れなどで出版が遅れ、データも古くなっていることもあり、会議所の会員企業の中でも、出版しても売れないという人もかなり多かった。そのため会議所の予算計画には、当初3万レアル(約150万円)の赤字が計上されていた。私は、その数字をみて大いに憤りを感じたものであった。販売努力をせずに初めから赤字計上するとは何事だという意見である。そこで、会議所の中で、いくつかのルールを定め、販売計画を立案した。

  1. 大使館に対しても寄贈しないで購入してもらう
  2. 常任理事会社は、10冊購入
  3. 部会長会社は、5冊購入
  4. その他の会社は、1冊購入

という方針で進めたところ部数が足りなくなったのである。その結果、3万レアルの赤字が反対に3万レアル(150万円)の黒字になり、会議所の財政基盤を強化する上で、少しは役立った。