会報『ブラジル特報』 2011年5月号掲載

                            島内 憲(前駐ブラジル大使)


2006年9月から10年9月まで丸4年ブラジルで勤務した。ブラジリアの現場で達した結論は、「日本とブラジル関係の前途は極めて明るい。双方が努力すれば、かつてのブラジルブーム時代以上の関係を築くことも夢ではない」というものである。今日の両国関係には、政治、経済、文化などあらゆる分野で協力・交流を飛躍的に強化する素地が存在する。ここですべての分野を網羅することはできないが、今後、日本ブラジル関係を進めるに当たって、特に押さえておくべきと思われる点をいくつか提起したい。

ブラジル国会議事堂 〔写真撮影:内木秀道氏〕



1.ブラジル日系社会の今日的意味

 ブラジルに在勤して最も印象深かったことの一つは、日系社会の存在感の大きさである。世界最大の日系社会が存在することの意義、そして、その有難さを日々の仕事をする中で実感した。我々は、これまで、ブラジルの日系社会を「両国間の架け橋」、「貴重な外交的資産」などと呼んできたが、これらの表現はブラジルの日系社会をかえって矮小化する恐れがあるのではないかと思う。ブラジルの日系社会は、このようないささか使い古された言葉では表しきれないほど偉大な存在である。
日本人移住者・日系人がブラジルの発展および日本・ブラジル関係の拡大・強化に果たしてきた役割に非常に大きいものがあることは周知のとおりである。その辺のところは、2008年日本人ブラジル移住100周年記念行事の際に両国で再確認されたところであるが、あらためて強調しておきたい。
  しかし、今は、さらに踏み込んで、両国関係の今日的文脈における日系社会の意義を考えるべき時なのではないかと思う。現在、ブラジルは世界で最も勢いのある国の一つとして注目を集めているが、こうした新しい環境の中で、日系人がブラジル社会において果たす役割も質的に変化している。一部に、「世代交代によりブラジルの日系社会の衰退は避けられない」、あるいは、「このままでは日本との関係も疎遠になるだけではないか」といった懸念の声がある。しかし、筆者はそのような心配はなく、むしろ、ブラジルにおける日系人の時代は、これから始まろうとしていると見るべきと考える。その理由は至って単純明快である。国際経済の主要プレヤーになったブラジルは、優秀な人材を各分野で必要としており、日系社会がそのような人材の重要な供給源となっているからである。現に、ブラジルに在勤中、日系エリートが政界、中央官庁、地方政府、軍、司法界、ジャーナリズムなど幅広い分野で存在感を増すのを目の当たりにした。そして、日系社会のソフトパワーの増大を肌で感じることができた。今後、ブラジルが世界経済の牽引役として重要性を増す中で、日系人の経済界への進出が加速するものと思う。また、2014年にワールドカップ、16年にリオ・オリンピックを控え、ブラジルでインフラ建設ブームが始まろうとしているが、その数5万人にも上るといわれる日系エンジニアが活躍する場面がますます多くなるであろう。
 現在、日本側に求められているのは、このような新しい時代において日系社会とどのように付き合っていくべきか、フレッシュな視点から考えることである。その際、ブラジルの日系人は、世代交代が進んでも、日本語が話せなくとも、日本人の血を引くことに誇りをもち、両国関係のために一肌脱ぎたいという気持ちを持っている人が多く、特に有力者の間ではそういう気持ちが強いという点に留意することが重要である。筆者は「我々ブラジルの日系人が日本に期待することは一つだけである。日本に素晴らしい国であり続けてほしい」というある有力な日系人の言葉が忘れられない。

2.「相互補完」から「相乗効果」へ
 両国経済関係は近年、量的に拡大しているのみならず、質的にも大きく変化している。ブラジルは世界有数の資源国であるが、今や、資金力、技術力およびこれらを裏打ちする豊富な人材にも恵まれた「付加価値力ある国」となっていることも忘れてはならない。
 現に、近年、資源、食糧等のいわゆる伝統的分野においても関係の高度化が見られ、双方の資金力、先端技術力を組み合わせた新しい形態の協力が増えている。特に、深海底油田開発、バイオ燃料、熱帯農業などの分野で注目すべき動きが見られる。
 また、自動車、電気電子分野などでも市場が高度化している。近年、日本のエレクトロニックスメーカーは、韓国勢に対し苦戦を強いられ、自動車メーカーも激しい追い上げにあっているが、ブラジルの市場が急速に成熟しており、また、日本がブランド力で他国を圧倒している点にも目を向けるべきであろう。日本の高品質、高性能、かつ、環境に優しい製品に対する潜在需要は非常に高いと考えられる。
 中長期的に見て最も有望なのは、先端技術分野である。既に同分野の協力が日増しに大きなウエイトを占めるようになっている。近年、中国をはじめ他の新興国における資源・食糧需要の爆発的増大により、関連分野におけるブラジルの輸出が急増しており、ブラジルの経済成長に大きく寄与している面があることは事実である。一方、為替レートの上昇などによる製造業の競争力低下と相まって、輸出の一次産品依存増大がブラジルの非工業化をもたらすのではないかとの懸念も強まっている。こうした中で、経済の高付加価値化が喫緊の課題となっているが、ブラジルにとり、先端技術分野におけるベストパートナーは長年の実績と信頼関係がある日本である。
 ブラジルは世界に先駆けて地上波デジタル・テレビで日本方式を採用し、それ以来、双方が協力して、高機能の「日本ブラジル方式」を完成し、第三国への売り込みを緊密に連携して行っている。両国の協力により、これまでに南米大陸をほぼ完全制覇し、中米等でも成果を上げていることは、ご案内のとおりである。地デジにおける協力の成功は、1950年代以来、大型プロジェクトや政府開発援助の実施を通じて培われた両国間の信頼関係をはじめとする協力の基盤があったからこそ実現したものであり、個人的には相手がブラジル以外の国であったならば、これほど大きな成果を上げることはできなかったのではないかと思っている。いずれにせよ、地デジの成功例は両国が力を合わせれば如何に大きな力を発揮することができるかを如実に示しており、今後の両国間協力のモデルとなり得ると考える。我が国は世界の最先端を行く技術力を誇るが「ガラパゴス化」からの脱却が課題となっている。ブラジルは抜群の技術吸収力のほか、自国や他の新興国のニーズに合致した付加価値を創造する力を持っており、両国間の協力には非常に大きな相乗効果が期待できる。現在ブラジル側が最優先で取り組んでいる分野には我が国の得意分野が多く、IT分野以外でも、電力、交通、宇宙、環境などにおける両国協力のポテンシャルは大きい。
 今後、ブラジル・ワールドカップおよびリオ・オリンピックの開催に向けて、インフラ整備が急ピッチで進むであろうし、経済全般がより一層活性化することは確実である。こうした中で、我が国が以上で述べた様々な面での比較優位を最大限発揮し、インフラプロジェクトをはじめ幅広い分野で協力を拡大することが期待される。

イタマラチー(ブラジル外務省) 〔写真撮影:内木秀道氏〕


3.グローバルな文脈における両国協力・協調

 近年、先進国から新興国へのパワーシフト急速に進んでいる。しかし、一口に新興国といっても、先進国間に見られる均質性はなく、政治体制や経済的利害から基本的価値観に至るまで、相違点の多さが目につく。今後、新興国間の経済的競争、政治的主導権争い、さらには、相互対立が激しくなることは想像に難くない。こうした中で、ブラジルは、新興国の中で、政治的・社会的成熟度、ビジネスカルチャーなどの面で先進国に最も近い国であることに注目すべきである。
 本年1月にジルマ・ルセーフ政権が誕生した。同大統領は、前任のルーラ大統領と同じ労働者党所属であり、経済政策や外交政策において、前政権の政策を継承する旨明言しているが、個別政策のレベルでは、相当程度の実質的変化が出て来るものと予想される。というのも、2011年のブラジルは、ルーラ前大統領が就任した03年当時とは大きく異なる正真正銘の大国に成長しているからである。因みに、昨年の国内総生産(GDP)は2兆ドル強、世界第7位、自動車販売台数は352万台、同第4位であった。そのブラジルは、現に、新興国のリーダー格としてのみならず、経済大国として、世界経済の牽引車としての役割を果たし、また、政治問題、地球規模問題などにおいては、良識派として影響力を増すことが期待されている。
 ルセーフ新大統領は、経済分野においては、歳出カット、税制改革などに取り組むとともに、先端技術の導入などによりブラジルの国際競争力を向上させる政策を打ち出している。また、外交政策では、「第三世界色」の薄い現実主義路線にシフトしつつあるように見受けられる。我が国としては、経済関係の拡大の機会が増えるのみならず、政治面でも、数年来、緊密に協力してきた国連安保理改革に加え、核軍縮や地球温暖化防止、さらには人権分野での協力を強化するための環境が整っていると考えられる。我が国は、ブラジルと民主主義等の基本的価値とともに、多くの重要目標を共有している。特に、ブラジルが brIC’s 中唯一の非核保有国である点、また、クリーン・エネルギー大国である点を見逃してはならない。
 ブラジルは、新興国の中の良識派であり、安定勢力である。同国が経済大国としてバランスのとれた発展を遂げ、国際社会の主要プレヤーとして発言権を増すことは、我が国自身の利益に合致している。我が国としてはこの点をしっかり押さえてブラジルとの協力のさらなる拡大と深化に努力する必要がある。

 最後に、東日本大震災に関連して是非ご報告したいことがある。3月11日の地震発生以来、多くのブラジルの友人達から、見舞い、激励のメッセージを頂いた。「今回の未曾有の国難に冷静・整然と立ち向かう日本人の姿に感激した」、「日本がますます好きになった」という感動的な言葉も頂いている。ブラジル各地で義援金の募集をはじめ様々な形で心のこもった支援活動が行われていると聞く。日本とブラジルの絆の太さにあらためて印象付けられた次第である。この場を借りてブラジルのアミーゴ達に心より「ムイト・オブリガード!」と申し上げたい。