会報『ブラジル特報』 2011年9月号掲載
エッセイ


                                          三宅 信史(協会理事・関西支部)



 大阪のブラジル人人口はそれほど多くない。しかし、本格的なシュハスカリア、ブラジル家庭料理を出すレストラン、ランショネッチを入れるとは20軒ほどある。ブラジル人はほとんどいないが大阪ラテン人に支持されているので経営が成り立つ。
 マスメディアを通じてブラジルの元気良さをみんな知っている。「ブラジルで稼がんかったら、どこで稼ぐねんっ」という大阪人は多い。しかし「ブラジルってどうやって行くねん?」というひとも、また多い。ある大阪市内の工場は労働者800人すべてブラジル人。東大阪市にもブラジル人ばかりの工場がある。ブラジルに行きたい、見てみたいそんな中小企業経営者がが数千人いると大阪府商工労働部から聞いた。大阪府は橋下知事の肝煎りで、商工労働部を原局として、大阪の中小企業とのビジネスマッチングのために、ブラジル投資促進セミナーの開催とブラジル経済視察団を数次にわたり派遣することを決め予算化も終えている。関西社会人大学院連合や大阪商工会議所が、相次いでブラジルセミナーの開催を決めた。これは底辺拡大に大きく寄与することが期待されている。


 今年の秋には大阪市が無償で会場提供をしてブラジル映画祭が挙行される。開催費用の一部がブラジル政府とペトロブラスから出ている。在日ブラジル商業会議所は、関西支部を大阪に開設した。既に大阪の中小・零細企業が加盟をしている。神戸まつりでは、サンバパレードでクライマックスを迎える。
 神戸港には、笠戸丸ほかの移民船が出港した桟橋や乗船者たちの名を刻んだ碑が残されている。石川達三の「蒼氓」の舞台となった移民収容所は今では中はブラジル移民博物館となっているが、当時の佇まいがそのまま保存されている。ブラジルから二世、三世たちが家族連れで父祖の苦労を偲び引きも切らず見学にやって来る。「おじいちゃんが、おとうさんがここにいたんだね、ここからブラジルへ行ったんだね」涙を流しながら記念写真を撮っている二世、三世とその家族の姿を私は何度も目撃している。

 大阪毎日新聞は「大毎移民団」を送り込んでいる。北海道から九州まで全国の人を送り出している。その貴重且つ詳細な記録写真が今も大阪毎日新聞に残されている。これは戦後GHQの接収を逃れるため、奈良県と大阪府との境にある山に隠したのが発見されず今日まで残ったといういわくつきのものだ。そこには活き活きとした希望にあふれる当時の人たちの姿が記録されている。
 神戸ではFesta Juninaも大規模に開かれている。大阪はサンパウロ市と姉妹都市提携を結び既に40年が経過しており、人の交流も盛んである。神戸市はリオデジャネイロと姉妹都市提携をしており、兵庫県はパラナ州と提携している。

 大阪(関西)の人々はブラジルに関して強い興味を持つものの、真っ白な状態にいる。ブラジルを知りたい意欲が強い。ブラジルってどんなとこ?から始まり、BRICSのなかでブラジルは何が違うの? ほとんどの質問はここに集中している。BRICSとの比較を語ったうえで、B独自の特性を語ることが何を置いても望まれる。
 私たちは何故ブラジルを語るのか。日本とブラジルをより強固な絆で結びたいという思いではないだろうか。それが両国のためになるという確信があるからではないだろうか。それには人と人とをつなぐことが最も重要な仕事のように思われる。私は、もう一度私たち日本人がブラジルで「Japones Gurantido」と誇りを持って呼ばれたいと、痛切に思う。日本ブラジル中央協会の関西において果たせる役割は大きいと、あらためて思うのである。