会報『ブラジル特報』 2011年9月号掲載
文化評論


                                          岸和田 仁(協会理事)


 ペルナンブーコ州ペトロリーナ市。熱帯灌漑農業フロンティアの中核都市として近年成長著しく、人口も20万以上となっている中堅都市は、もともとは東北ブラジル内陸部の貧しい”渡し場”にすぎなかった。そんな田舎町の、サンフランシスコ河沿いを早朝散歩していた時、筆者の眼に入ってきたのが、「パウラ・フェルナンデス来たる」のアウトドアー広告だった。最近人気急上昇中のセルタネージャの美形歌手がペトロリーナにまでくるんだ、というのが筆者の素直な驚きだった。今年4月末のことだ。
 ミナスジェライス州セチラゴアス出身の27歳。10歳から歌い始めた彼女の才能を見込んで家族全員がサンパウロへ移動、芸能界入りを図ったが、なかなか芽が出ず、いったんミナスに戻った、そんな彼女に順風が吹き始めたのが昨年2010年だ。音楽プロデューサー、マルクス・ヴィアナに見出され、ノヴェーラ(連続テレビドラマ)「アメリカ」のテーマソングの一つを歌ったことが、ツキの始まり。この歌声を聴いた“歌の帝王”ロベルト・カルロスの印象に残ったことから、昨年12月25日のリオ・コパカバーナにおけるクリスマス・スペシャル・ショーにロベルトと共演することになったのである。このライブはグローボTVで全国放送されたことから、彼女の知名度が一挙に広まり、今年2月リリースされた最新アルバム「アゥ・ヴィヴォ」は3ヶ月で70万枚を売り上げたとか。若い歌手を、有名なうちに全国行脚させるのは、歌謡ビジネスでは世界共通のマーケッティング戦術であるから、東北ブラジルの内陸部にも、となったのであろうが、パウラはブラジルの音楽シーンで現在一番注目を浴びている歌手である。

 彼女の属する音楽潮流、ムジカ・セルタネージャは、中西部から南東部にかけての農村地帯(現在の州でいくと、サンパウロ州内陸部、南北マトグロッソ、ゴイアス、ミナスジェライス)において19世紀から庶民に歌われてきたカイピーラ(田舎者)音楽の現代風呼称である。米国のカントリー&ウエスタンが、東部のアパラチア山脈地方の地元音楽から発展して全米に広まったように、“近代化された”セルタネージャは1980年代から“農村から都市へ”広まっていく。その象徴的な例がカウボーイ装束を導入したドゥオの「シタンジーニョ&ショロロ」と「レアンドロ&レオナルド」であった。

 しかしながら、日本の演歌と同様に、庶民の心情をわかりやすい大衆的な歌詞で表現するセルタネージャは、サンバやボサノヴァといったブラジル的アイデンティティーを内発的にも外発的にも発信する“正統派”に比して、“俗流”とこれまでみなされてきたのも事実だ。それは、知識層や音楽批評の玄人筋からばかりでなく、一般都市中産層においても同様であった。すなわち、リオやサンパウロといった大都市の住民層は、主人家族がボサノヴァといったMPB(ブラジルポップ音楽)を聞いている横で、家政婦たちは携帯ラジオでセルタネージャを聞く、という構図が長い間続いていたのである。(ちなみに、在日のデカセギ日系人の多くが愛好する音楽もセルタネージャである。)

 この音楽社会学のフレームに変化が現れ、セルタネージャ受容度が国民全体に広がっている。総合週刊誌ヴェージャ(6月22日号)によれば、所得水準の一番高いA,B層の場合、2年前の2009年の調査では、セルタネージャを普段よく聴くのは26%であったが、今年の調査では、これが35%に急上昇、このうち半数以上が女性だ。中産層以下のC,D,E層の場合は、50%がセルタネージャ・ファンである由だ。
 おそらく、これはブラジルのマクロ経済の成長に伴い、国民一人当たりのGDPが1万ドルを超えたという経済的現実との関係を指摘できよう。すなわち、都市化によってかつて人口の過半数を占めていた農村人口の多くが都市に移動したため、中産化した都市住民が“農村シンドローム”ともいえる牧場・農場への憧れをセルタネージャ音楽を聴くことで癒している、という社会学的解釈だ。

 1930年代に黒人音楽から国民音楽に“昇格”したサンバにも、1950年代末にリオの中産階層による都市音楽として誕生したボサノヴァにも、あるいはノルデスチ各地の豊かな音楽的伝統にも、それぞれの特性に愛着を感じている筆者としては、セルタネージャの有する“ブラジル性の欠如”にいささか思うところがないでもないが、セルタネージャが田舎音楽から全国音楽に成長したことは否定するわけにもいかない。ブラジル版のカントリーにして演歌である以上、紛れもなくブラジル音楽なのであるから。