会報『ブラジル特報』 2011年11月号掲載
文化評論

                                                 岸和田 仁(協会理事)



 周知の如く、18世紀イギリス文学を代表する『ロビンソン・クルーソー』は、企業家にして政治ジャーナリストでもあった作家ダニエル・デフォーが59歳の時刊行した小説であるが、一般的には『ロビンソン漂流記』として知られる。
 これまで何人もの英文学者によって邦訳されてきた(例えば、岩波文庫は平井正穂訳)が、昨年末に読みやすく、最良と思われる新訳が文庫本で発刊された(増田義郎訳『完訳 ロビンソン・クルーソー』中公文庫)ので、遅ればせながら、このほど再読してみた。いささか興奮しながら古典文学を読み返したのは久しぶりなので、今回はロビンソンとブラジルの関係について思いを馳せてみたい。というのも、ロビンソンの漂流譚はブラジルを起点とするからだ。

 その前段の粗筋をまず追いかけておこう。ロビンソンはギニア行きの奴隷貿易船に乗船して儲かる商売(三角貿易の一環)に手を染めるが、トルコ海賊に拉致され北アフリカで拘禁生活へ。ポルトガル船に救助され、ブラジルはバイーアに到着する。エンジェーニョ(サトウキビ農園)の主人の援助を得て農業を実習(最初の2年は食料生産、3年目はタバコ、4年目からサトウキビ)、イギリスにおける何がしかの資産を処分して得た金で農園を拡大(その最初の買い物が黒人奴隷)、このままいけば農園経営者として成功したはずが、さらなるボロ儲け話に乗る。それは、黒人奴隷の売買だ。当時ポルトガルやスペインの独占であった奴隷貿易に対抗して密輸をやろうという話だ。こうして120トンの船で西アフリカに向けてサルヴァドールを出港したのが、1659年9月1日。ところが、大西洋上で難破し、無人島に漂着する。ここから、27年に及ぶ例のロビンソン孤島暮らし物語が始まる。

 すなわち、ブラジルにおけるサトウキビ事業は、実に簡単に儲かるビジネスで、農業のど素人でもイギリス人ならできる、という前提であり、黒人奴隷の密輸は利益率が極端に高いビジネスであった、という18世紀当時の常識に基づいて書かれた小説なのだ。フィクション作品にイフをいい出すことは詮無きことかもしれないが、もしロビンソンが難破せず、西アフリカから黒人奴隷をブラジルに”輸送”することに成功していたら、そしてその儲けをサトウキビ栽培の拡張や更なる奴隷貿易に投資していたら、まちがいなくブラジルの代表的な大農園主兼貿易商になっていたはずだ。イギリス資本主義がカリブ諸島で展開したサトウキビ事業とまったく同質の産業であった、はずである。ちなみに、主人公ロビンソンはブラジルで言葉も覚え、ポルトガル語もたくみであった由なので、難破しなかったら、帰化ブラジル人になっていたかもしれない。(ついでにいえば、奥方もブラジル人を選択した、はずだ。)

 しかしながら、これまでの常識的な読み方は、ロビンソンを絶海の孤島で一人暮らしを工夫し、農業や家内的手工業を一人で展開する独立自営農民型の自立人間としてとらえるものであった。特に、戦後日本の社会科学や歴史学に多大な影響を与えた大塚久雄は、「経済学はロビンソンを愛好する」というマルクス(『資本論』第一篇)の言葉をキーワードとして、ロビンソンを理想的な「経済人」(=経営者)と解釈している。ロングセラー『社会科学の方法』(岩波新書)の第二章は「経済人ロビンソン・クルーソウ」であり、その結語は「イギリスにおいて世界史最初の産業革命をその双肩に担ったこの「経済人」は、ただ金儲けだけが上手な単なる企業家ではなく、もっと高いヴィジョンをもつ「経営者」だったということです。」というイギリス資本主義讃歌である。つまり、ロビンソンは「経済人」のユートピア的具象化であるとして、孤島での生活様式のみを過大評価し、ブラジルでの農園体験を「父親のいうことを聞かないで海外へ飛び出した、アドヴェンチャラーの荒稼ぎ」として全く評価しない。なぜなら、「これは、マニュファクチャーと違って、奴隷を使ってやるもの」だから、だと。

 学生時代に岩波文庫でロビンソン物語を読んだ筆者は大塚史学の創始者に違和感を持ったのだが、その疑念をすっかり晴らしてくれたのが、今回の新訳の巻末に収められた訳者解説「大西洋世界のロビンソン・クルーソー」である。これは、増田教授の思索と知見が織りこめられた近代大西洋世界論であり、この40ページ近い論文を読むためだけにこの文庫本を買ってもいいと断言できる、刺激的な歴史エッセイであるからだ。
 ともあれ、ブラジル、サトウキビとロビンソンの関係はなかなか奥が深い。