会報『ブラジル特報』 2012年7月号掲載
エッセイ

                                    小林 利郎(協会相談役)



日本ブラジル中央協会の80周年に当たり、これまで協会が果たしてきた日本・ブラジル友好関係増進への多大な貢献と種々の困難のなかで、協会を支えてきた関係者のご尽力に深甚な敬意を表し、今後協会がますます活発な活動を展開し、その成果を挙げて行くのを心から祈念するものである。

 私の協会との繋がりは、東京銀行勤務中の1961年の春リオデジャネイロ赴任を控えてポルトガル語会話を習いにいったのが最初で、以後法人会員の代表として、あるいは個人会員として、また特に最近3月までは清水会長のもとで常務理事として、ずっと協会に関係してきた。
 協会の活動がもっとも活発だったのは1960年代後半から70年代にかけての日本におけるブラジル・ブームの頃で、多くの日本企業がブラジルに拠点を築いていたため、会員の数も多く、協会の主催するブラジル政治経済事情の講演会は大変な盛況だった。

駐日ブラジル大使を招いての協会主催ランチョンミーティングでの司会(2011年11月9日)


 さて今振り返って見ると、日本とブラジルとの関係は「日本人移民を受け入れてくれた友好国」という素朴な親近感があって、それが外交関係はもとより、戦後日本がまだ充分な国際競争力を持っていない頃から始まった貿易や企業進出や経済協力の底流となっていた。協会の中でもそのような親近感が支配していたように思う。しかし日本がバブルの崩壊と国際金融危機から立ち直るまで費やした期間と、ブラジルがインフレと累積債務問題から脱却するまでの期間のつながりがほぼ20年以上あり、その間の両国関係は急激に後退した。日本企業の多くがブラジル業務を極端に縮小し、アジアにおける活動に注力している間に、ブラジルはbrICsといわれて世界の注目を浴びて目覚しい発展を遂げた。
 またアジアでは中国や韓国がブラジルとの関係を深めた。ブラジルにおける日本の地位は特別のものではなくなった。あらゆる場面で他国との競争に打勝って行かなければならない。日本ブラジル中央協会の活動も積極的に各方面に働きかけて存在感を高めて行かなければ、両国関係の増進を図る役割は果たせない状況になっていると見なければならない。

協会主催ランチョンミーティングで「ブラジル特有のビジネス環境」について講師を務める
2012年1 月18日)


 考え方によれば、日本ブラジル中央協会が本来の役割を果たすべき時が到来したともいえるのである。それには第一に、協会は日本とブラジルとの関係では常に中心的な立場にいるべきであろう。そのためには関係中央官庁はもとより各県、各市町村等の公的機関をはじめ日本経団連、商工会議所、学会学校等教育文化機関、ブラジルと関係あるその他機関、団体、企業、個人等すべてとコミュニケーションが存在し、連携し、情報を交換し、提言し、意見を具申する地位を占めていなければならない。第二に、ブラジルの公的機関、業界団体、報道機関、有力企業、個人等とも親密な関係を作っておく必要がある。例えばブラジルのCNI(全国工業連盟)やFIESP(サンパウロ工業連盟), 商業連盟等ともコミュニケーションがあってよい。また有力な政治家や企業家、学者等とも友好関係を保っておくことも心がけるべきであろう。第三に、変貌する日系社会との新しい関係を樹立すべきである。それは在ブラジル・日系社会のみを対象とするのではなく、在日ブラジル社会との関係も包含する。

 これからの日本ブラジル中央協会は往時の「ブラキチ」ではなく、ダイナミックな人たちで運営されていって貰いたいと願っている。協会のますますの発展を大いに期待している。