会報『ブラジル特報』 2012年11月号掲載
<ブラジル経済をみる視点>

                      鈴木 孝憲(ブラジル・ビジネス・アドバイザー)


 いまなぜブラジルか
 ブラジルは2011年GDPの大きさで英国を抜いて世界第6位となった。一人当たり国民所得も12,000ドルを超えもはやブラジルは中進国だ。貧富の差の激しい国とされてきたが過去10年で4,000万人の貧困層の所得ランクを引き上げいまや中間所得層が国民の50%を超えている。この人数はスペイン、韓国、アルゼンチンなどの一国の人口だ。ここ数年先進国に代わり世界の成長は、中国以下の新興国が支え始めてきた。しかし、このところ新興国の経済も中国をはじめとして急速に減速し始めた。中国では国民の不満が今回反日デモの形で爆発したようだが、デモの過激化で破壊や略奪の被害にあった日系企業の損害は中国側に賠償してはもらえまい。日中投資協定も役に立たないようだ。かかる事態が外国からの進出企業に対して起こるのは、その国の法と秩序が国際レベルに達してない証左だとの声も海外で出ている。
 欧米の外資は海外への進出・投資に際して政治リスクを最も重視している。中国には日本企業が 2万社以上進出しているが、一党独裁の政治体制から来る政治リスクのチェックが甘かったのではないか。ブラジルには欧米勢が多数進出して長年にわたり大量の投資をしているが、政治リスクを十分把握している。日本企業は為替リスクの方をより心配しているようだ (フィアットのトップは、“我々にだって為替問題はあるが、それを乗り越えないと大型投資は出来ない”といっている)。

 ブラジルはここが違う
 いまや世界経済の一方の担い手の新興国の大手BRICsの4カ国を以下ブラジルを中心に比較してみよう。
 1.政治体制 -ブラジルは1985年の軍政からの民政移管以降、民主主義が定着している。左の労働者党(PT、現与党)が政権を取っても政策は中道左派で、政治体制は揺るがない。ロシアはプーチン大統領の強権体制で透明性にやや欠ける。インドは政治がときどき揺れ動くがまずは安定的。中国は一党独裁でその政策決定は全く透明性に欠ける。
 2.社会 -ブラジルは世界一の多民族国家だが、国内に人種、民族、宗教の争いは一切ない。ユダヤとアラブもここでは揉めたことがない。国内にテロもない。治安はあまり良くないが、暴動や集団的略奪は起こらない。ロシアはイスラム系住民や旧ソ連圏近隣諸国との係争、テロが時々起る。インドは多民族、多言語、カースト制の残存などに加えテロもある。中国は今回の反日デモに見られるように、貧富の差に対する国民の不満が鬱積。外資が安心して活動出来ない国との評価も出てる。
 3.経済体制 -ブラジルはずっと資本主義で外資と共存し、ナショナリズムはあるが外資排斥はない。外資系の製品はブラジル国民の生活に溶け込んでいる。外資による投資と貸付は、中央銀行に登録すれば将来持ち帰る権利が保障されている(法律4131号、かかる外資保護の法律は他の国にはない)。100%外資でもブラジルで設立された会社はブラジル企業と同等で差別されない(1995年憲法改正)。民法以下法体系は整備されている。ロシアは国家資本主義、民間企業の活動に国が介入。インドでは日系企業の工場で労働者たちの反乱が起こっている。中国の今回の日系企業の損失を、中国側は負担しないだろうし、日中投資保護協定も適用されるか疑問だ。いざ撤退することになった時には、投資した金は返してもらえないだろう。
 4.周辺国との係争 -ロシア、インド、中国はそれぞれ問題をかかえているが、ブラジルにはまったく周辺国との係争はない。地政学的に極めて恵まれたポジションだ。

 ブラジル経済と溢れるビジネス・チャンス
 1.ブラジルほど経済発展の条件に恵まれている国は世界でも少ない。鉄鉱石以下豊富な鉱物資源、石油はすでに自給出来ており、超深海油田の本格生産で近々かなりの石油輸出国になる。バイオエタノールもある。豊富な太陽と世界の真水の20%と土地もあるアグロインダストリーは、世界の食糧争奪戦のカギとなろう。観光資源もエコツアーのアマゾンやパンタナール、真っ白な砂浜と椰子の林の続くトロピカルビーチなど豊富だ。中長期的にはブラジルが大きく成長していくのは間違いない。
 2.国民の50%を超える中間所得層を持つ巨大な国内市場は、買いたいものがいくらでもある消費者に満ちている。住宅建設や大型インフラ投資案件も豊富にある。2014年のサッカーのワールドカップ開催、2016年のリオでのオリンピック開催も景気浮上に大きくプラスとなるだろう。
 3.ただ企業がビジネスを展開していく上で、競争力を減少させている重い税負担、道路、鉄道、港湾などのインフラの未整備・不足、過重な労働コスト、超高金利、他国より高い電力料金など所謂 「ブラジル・コスト」 が障害要因となってきた。


 4.慢性高インフレを収束させ経済を安定させたカルドーゾ政権(1995~2002年)、貧困層の所得を引き上げ1億人の中間層を持つ巨大国内市場を創ったルーラ政権(2003~10年)に続いて現ジルマ政権
(2011~14年)は、いま「ブラジル・コスト」の軽減のため小刻みの構造改革に挑戦しつ
つある。

 欧米系外資の対ブラジル戦略と日系企業の動き
 1.欧米系外資は「レアル・プラン」で、それまでの慢性高インフレが収まり経済が安定化した1996年頃から第3次ブラジル進出・投資ブームを開始、前回のブーム(1950年代、60年代後半~70年代)に比べ、極めて大型の直接投資を行い始めた。彼らの戦略は21世紀に大きく成長するブラジルに、グループの収益の新しい柱を構築しようというものだった。その結果ここ数年世界に展開するグループの拠点の中でブラジルが1~4位を占める企業が次々に出てき始めた。中にはフィアット(自動車、イタリア)のように、ブラジルがトリノの本社を抜いてトップのところも出てきている。彼らは徹底した事前調査を行い思い切った大型投資で、ごく短期間で事業を黒字化し軌道にのせている。経営のトップにはブラジル人の優秀なエクゼクテイブ(社長、副社長クラス)を登用、現地に大幅な権限を与えている。最近はブラジルの経営方針や大型投資案件を検討決定するのに、ブラジルのトップが本社へ行く代わりに本社の社長など幹部がブラジルに出向く企業も珍しくない。
 2.日本の企業は、従来伝統的に“小さく産んで大きく育てよう”で必要最小限の規模で進出、2~3年様子を見て次を考えようというやりかただ。その間、為替変動で損が出れば、以降ブラジル案件は本社でストップ状態になっていた。最近になって既進出組の追加投資を含めかなり大型の投資も出てきて、ようやく日本勢も動き出した。ブラジルの有力グループと組んで造船や鉄道車両製造などの分野にも日系企業が進出し、今後が注目されている。中には大型買収案件でブラジルの専門家たちから、なぜ市場相場よりあんなに高い金を払ったのかという声があがったケースもあった。昨年会った日本企業の役員は「うちにはいろいろ技術があるが、ブラジルの企業がどれを必要としているのかが解らない」とのことだった。まだまだ日本勢がブラジルビジネスに入り込む余地があると感じた。日系企業の駐在員の皆さんには、これまでも言葉の壁を乗り越えて業界の会合などを通じてブラジル人との交流を強めるようアドバイスしてきた。彼らに頑張ってもらうのが第一だが、本社側にブラジルを理解しサポートしてくれる強力なメンバーが必要だ。やはり本社の社長に、ブラジルを直接見てもらうのが一番だ。もう2~3年前の話になるが、元ブラジルの鉱山動力大臣ウエキ・シゲアキ氏に日本の某中堅企業の社長がブラジル進出について意見を求めたところ、ウエキさんは次のように答えた。「なるべく若い人を社長として寄こしなさい。ブラジルで家庭が持てればなお良いが。そして10年でブラジルを本社より大きくさせなさい」。

 結び
 1.ブラジルは2011年2.7%、2012年2.0%(予測)と、低成長率のため産業界の競争力を高めようと、ジルマ政権は種々の工業界のコスト軽減と競争力強化のため基準金利の史上最低の7.25%(実質2%)への引き下げやレアル高修正などの一連の措置を打ち出してきており、2012年第4四半期からの景気浮上が期待されている。懸案の構造改革も、税制など小刻みで政府は手をつけ始めた。少しでも所謂「ブラジル・コスト」を軽減しようと真剣に取り組んでいる。米国の2.5倍、韓国の3倍といわれる電力料金も近々引き下げられる。2013~14年に4.5%レベルの成長に戻る準備はできている。何よりもブラジルには国内に巨大な市場があり成長を支えられる。日本勢も今一度ブラジルを見直すことをお勧めしたい。なおブラジル経済・ビジネスの可能性については拙書『2020年のブラジル経済』(2010年日本経済新聞出版社刊)を参照頂きたい。
 2.2009年1月からサンパウロで、友人のウエキ・シゲアキ氏と二人で日系企業経営のトップの方々を対象に「日伯経済ビジネスフォーラム」を立ち上げ2~3カ月毎に開催し、ブラジル経済の勉強と高度の情報交換の場にしている。参加者のために会議は日本語で行い、11年12月の私の日本への帰国以降は、フォーラムの名称に私の名を付してウエキさんが続けている。スピーカーとしてパウロ・ヨコタ元中銀理事、アキヒロ・イケダ元大蔵大臣補佐官(以上二人はサンパウロ大学教授)、アンセルモ・ナカタニ元古河電工会長、ジュリオ・オーシロ元ブラジル銀行東京・ニューヨーク支店長、エリアス・アントウネス元ヴァーレ社役員などが協力してくれている。現在参加者は40~50名程度でボランタリー活動だが、大変好評なのでご披露しておきたい。

              〔執筆者は、元ブラジル東京銀行会長、元デロイト・トーシュ・トーマツ最高顧問〕