会報『ブラジル特報』 2014年3月号掲載
エッセイ



宮本 英威 (日本経済新聞社 米州編集総局 サンパウロ支局長)



 サンパウロのパウリスタ大通りはブラジルを代表する目抜き通りだ。大企業のオフィスが軒を連ね、日本企業の現地法人も集積する。歩道には新聞や雑誌を所狭しと並べた路面店が数百メートルごとに顔をのぞかせている。
最近ちょっとした変化があった。様々な大きさのサッカーボールが網にはいってぶら下がり、おなじみの黄色いユニホームはハンガーでつるされ始めた。店頭はにぎやかになった。ただ、サンパウロの中心部に生活していて感じる変化は少ない。
6月のサッカーのワールドカップ (W杯) 開幕まですでに4カ月を切っている。ホスト国はブラジル。優勝回数が5回と世界で最も多く、「王様」を有し「王国」とも称される国だ。にもかかわらず、日々の生活レベルでは、巨大スポーツイベントを間近に控えた国という感じがまったくしない。
一方で開幕に向けた不安材料は事欠かない。レベロ・スポーツ相が長らく 「2013年内に間に合わせる」 と強弁していた開催12都市の競技場。工事は遅れに遅れ、結局去年のうちには完成しなかった。最も早く使うはずの開幕戦の舞台となるサンパウロの競技場の完成は4月までずれ込む。
競技場にたどり着くために必要な交通インフラの整備はもっと深刻だ。有力ニュースサイト 「G1」 によると、空港や道路など74件の交通インフラ整備事業のうち、18件が中止となり、38件は完成時期が遅れる。北東部フォルタレザの空港は、帆布を用いた組み立て式の仮設ターミナルで急場をしのぐことになった。

W杯は6月に迫っている
(2013年12月、北東部コスタドサウイペで開いた組み合わせ抽選会)


 W杯開催が決まったのは2007年10月に遡る。経済は好調で「未来の国」の時代がいよいよ来たと興奮の渦の中にあった。W杯はそんな新生ブラジルを世界にお披露目する絶好の舞台になると思った人々は多かったはずだ。
それから6年強。インフラ設備の建設作業の遅れやトラブルは予想の範囲内だったのかもしれない。心配なのは経済の停滞だろう。鉄鉱石など資源の価格が下がり、靴など製造業は輸入品に押されるばかり、設備投資は低調…… なかなか立ち直りのきっかけがつかめない。2013年まで3年連続で潜在的な成長率を下回る状態が続いた。
複雑で重い税制、度重なる書類申請、乏しいインフラといった「ブラジル コスト」と称される課題は明確なのに、政府は解消には動いてこなかった。ブラジルは代表的な新興国をひとまとめにした
BRICS の一角から、成長資金を海外に依存する経常赤字国をまとめた「フラジャイル・ファイブ(脆弱な5カ国)」の1つに数えられるようになった。
停滞する国の現状に「ノー」を突き付けたのは国民だ。昨年6月には抗議活動は全国で100万人規模を動員。「教師はネイマールよりも価値がある」。サッカーブラジル代表のエースを例にあげて、W杯よりも教育の充実を訴える声は切実だった。
圧倒的多数の参加者は国の問題点を冷静に指摘し、静かに行進していた。有力プロチームがないマナウスやブラジリアに立派な競技場を作っても、使うのはW杯での数試合。それならばもっと先にやることはある。もっともな指摘だった。それだけに、小売店を襲い、自動車販売店に火をつけ、盗難に動いた一部のグループがデモに乗じて暴力を振るったのは残念だった。
かつてのブラジルは貧しい国だった。その国にとってサッカーはすべてで、世界一の称号は国民の憂さを隠した。ペレ氏のように貧しい家庭環境から上り詰め大金を稼ぐさまは皆のあこがれの的だった。
ここ10年の経済成長で、約2億人の国民の趣味は多様化してきた。中間層は4千万人増えて1億人を超えた。1人当たり国内総生産 (GDP) は1万1000ドルと、4倍弱に膨らんだ。サッカーはすべてではなくなった。
前回ブラジルがW杯を開いたのは1950年。この64年前の大会の前に、今回決勝の舞台となるリオデジャネイロのマラカナン競技場の建設の是非を巡り、議会は紛糾していたそうだ。いま抗議活動が起きるのはむしろ当然で、それはブラジルが一歩進んだ国になるための「成長痛」のようなものだ。
ブラジル代表が地元開催で優勝を遂げることは誰もがのぞんでいる。 だが、それだけをのぞむような国民でもない。抗議活動は1年前と同じようにきっと起こる。政府がそれにどう対峙するかで現在のブラジルの立ち位置が浮かび上がってくる。