会報『ブラジル特報』 2006年
11月号掲載
                     岸和田仁 (在レシ-フェ)


1995年から2002年まで二期8年間ブラジルの最高権力者であったF・H・カルドーゾ前大統領は現在75歳。政治家は卒業したが、講演や論文執筆、雑誌インタビュー登場などでの活躍は続いており、現実政治にも一家言を有している。

その回想録が二冊今年の3月に上梓された。二冊というのは、一冊はポ語による『A Arte da Politica(政治の美学)』で、もう一冊は英文の『The Accidental President of brazil(偶々ブラジル大統領になって)』である。ポ語版のほうは、発売直後からベストセラーとなり、4月から8月までノンフィクション部門の2位から8位の間をキープしていた。この699頁もある重厚な本が多くの読者をひきつけたのは、ブラジル史において前大統領が回想録のかたちで自分の為した政治についてこれほどまで克明かつ客観的に分析した例がなかったから、だろう。

序論では、マルクス、トクビル、ウェーバーなどを引用しながら、ブラジル政治史の流れや特徴を概観した上で、自分の出自(エリート軍人ファミリー)や学者としての経歴を語りだす。本論では、大統領として8年間ブラジルを治めた時期に起きた政治的・経済的・社会的出来事に、政治家としてよりも社会学者としての視点で、分析を加えつつ批判的回想をしている。カルドーゾ政権を支えた有力政治家について詳し過ぎるほどの説明があったり、レアルプランに際しての国営企業の民営化や大手銀行の破綻について様々なエピソードを論述したり、確かに克明ではあるが冗長と思われるような部分も多く読了するのは容易ではない。回想録というよりも学術論文だ。

一方、米国の読者を想定して書かれた英文版は、煩わしい傍注など一切なく文章も共同執筆者のおかげで読みやすく仕上がっている。はしがきをクリントン前大統領が書いているからという訳ではないが、この英文自伝(291頁)の方がお奨めである。

政治家として為した成果や出来事を記した後半部分よりも、「ブラジル社会学界のプリンス」として活躍した時代の様々なエピソードが満載されている前半のほうが、筆者にははるかに面白い。例えば、1956年から7年間続けられた「マルクス・セミナー」と名付けられた読書会。イデオロギーとしてのマルクス主義ではなく、学問的なマルクス研究を志向した画期的な勉強会であったが、その参加者は後の人文・社会科学の分野で活躍することになる哲学者J・ジアノッチ、社会学者O・イアンニ、歴史学者F・ノヴァイス、文芸批評家R・シュワルツ、経済学者P・シンジェルら、だ。

あるいは1960年にブラジルを訪問したサルトルとボーヴォワールにまつわる話。ボーヴォワールの回想録『ある戦後』(紀伊國屋書店)には「工業化されているサンパウロは知的活動においてもリオをはるかに凌いでいた。(中略)ブラジルの知識人たちは全南米大陸の将来は自国に左右されるのだという自覚を持っている。広範囲に常に強い好奇心を示し、一般に非常に教養が高く、頭の回転が速く、彼らと話すことは有益であり快かった。」と実に好意的なコメントが付されているが、サンパウロでのサルトル講演会を主催し臨時通訳を務めたのが本来は質問役であったカルドーゾだった。

世界の社会学・経済学界に甚大なインパクトを与え、「従属論」というタームの確立を決定付けた、ファレットとの共著『ラテンアメリカにおける従属と発展』(1969)については、「60年代の政治経済的現実を、イデオロギー的でなくマルクス的分析視角で説明しようとしたのがこの著だ」と。

他にも多くのエピソードが載っている英文版は、一人のブラジル知識人の生き方、”成熟の過程”が見えてくる好著であり、多くの人に奨めたい。