会報『ブラジル特報』 2007年
7月号掲載

                    大竹 茂 (在ブラジル日本国大使館公使


このところ、ブラジルのマクロ経済は、ルーラ大統領に「共和国になって以来(1889年)最良の時機を過ごしている」といわしめるほど一見好調に推移している。ただし、物事にはすべて裏と表があるごとく、経済現象にも光の部分と陰の部分がある。ここでは、ブラジル経済の主な光と陰の部分について筆者の所感を述べたい。

I.
ブラジル経済の光の部分

ブラジル経済は国際経済、就中、米国、中国両国経済に大きく依拠しているが、両国経済が急変する予想も今のところなく、順調に推移している。個別に見てみると以下のとおり。


(1) インフレは安定しており、本年度は3.5%程度の見込み。
(2) GDPは個人消費が順調であり、本年度は4.5%前後の見込み。
(3) SELIC金利は現在年率12%、実質金利は8.3%で年末には6%程度まで下落する見込み。
(4) 貿易も好調で、輸出は1月から6月第週目までの累計で635億ドル(前年同期比+18.8%)、輸入は456億ドル(前年同期比+24.3%)、貿易収支は179億ドル(前年同期比+6.9%)。
(5) 外貨準備は1,400億ドルを超え、カントリーリスクも140台と下落、対外脆弱性は大幅に改善された。
(6)

BOVESPA(サンパウロ証券取引所)の時価総額は一兆ドルを超え、外国資本もIPO(新規株式公開)への投資の形で急増している。(本年5月までのIPO実績は60億ドルで、そのうち約8割は外国資本であった)。

(7) S&P(格付け会社Standard and Poor’s)
がブラジル長期外債の格付けを投資適格一段階前まで引き上げた(一方、長期国内債については投資適格に引き上げ)。



このように、現在のブラジル経済は好調な循環にはいっており、この状況は当面続くものと予想される。
これらを背景に、ルーラ大統領は、「ブラジルは経済大国への道を歩き始めた。過去半世紀の間それを失ってきた。今、ブラジルの未来を信じて、ブラジルが世界に対して真剣に取り組んでいることを示す必要がある」と述べている。

II.ブラジル経済の陰の部分

一方、上記の光の部分の裏側には、次のような陰の部分が指摘できる。

(1)低経済成長

ブラジル1988年憲法は、歳出の詳細にわたり義務的支出を規定しており、政府の自由裁量による支出は全体の7%程度しかない。また、財政責任法により、地方政府の財政にも大きな制約が課せられている。一方、第一次ルーラ政権はプライマリー黒字を財政政策の最優先課題としたため、インフレを抑制し、金利を引き下げることには成功したものの、インフラをはじめとして、経済成長の基盤作りのための投資に十分金を回せなかった。

第二次ルーラ政権では経済成長重視の姿勢を強め、本年1月PAC(成長加速政策)を発表した。

これは第二次ルーラ政権の任期中(2007~2010年)に、エネルギーや社会基盤のインフラ整備に5,039億レアルを投じ、経済成長に梃子入れをするのが狙い。財政目標としては、GDPに対する公的債務を現在の50%から2010年には39.7%まで縮小し、名目赤字を現在のGDPの3%から2010年には0.2%まで縮小させることになっている。また、成長率は2007年4.5%、2008年以降は5%に高めることを目標としている。

先月ブラジル政府はPAC導入後の100日間の評価を行ったが、PACに関係する1,646件のプロジェクトのうち864件(52.5%)が進展中であり、予定期間中に終了することが可能と見られている。

一方、残りの47.5%のうち644件(39.1%)は予定どおりの実施が疑問視されており、138件(8.4%)は実現が不安視されている。プロジェクトの進展を遅らせている最も大きな原因は環境ライセンスの審議の遅れであるが、PACを成功させるため、政府の確固たる対応が必要とされている。また、根本的には、政府が機会を失わず持続的成長のための投資が可能となるよう、義務的歳出枠を削減し、政府の裁量枠拡大のための憲法改正が必要と考える。

(2)諸構造改革の遅延

経済成長をもたらすためには金利政策だけでは不十分であり、税制改革、労働改革、財政改革等の構造改革を必要とするが、なかなか思うように進んでいないのが実態。

税制改革、財政改革は地方政府との調整を要し、また、労働改革は労働組合との調整が必要となるが、相対立する利害関係をまとめるのは決して容易なことではないが、構造改革なくして持続的成長の基盤を創ることは困難である。

これについてマイルソン・デ・ノブレガ元蔵相が興味ある表現をしている。「ラテンアメリカはイベリアの文化、即ち国家の干渉主義、及び家父長主義の伝統を受け継いだ。そこにおいては、個人の勤勉さや民間企業の活動により支えられた経済の代わりに、特権、教育の軽視、保護主義、非競争などの環境がもたらされた。すなわち、まだ、国家にすべてを期待する文化が残っている。多くの人が大した努力もしないで、または何らの努力もしないで金を得ることを考えている。こういう国家主導の経済モデルは変えて、市場経済に基づく民主的なモデルを構築する必要がある。」
正しくそのとおりであると思う。

(3)インフォーマル経済

ブラジルで労働手帳なしのインフォーマル労働者の割合は全体の約50%で、GDPに占める割合は約40%である。この背景としては、多数の規制による起業認可の取得が困難であること、納税期限が厳しいこと、雇用と解雇における柔軟性が乏しいことなどがあげられる。インフォーマル労働は、職はあるものの、低収入であるため社会保障の対象外となり、労働者にとり深刻な状況をもたらすだけでなく、徴税率の低下という点で政府にとっても大きな問題である。政府としては正規雇用拡大の具体的施策を早急にとるべきである。

(4)所得格差

昨年5月にIBGEが発表した「ブラジル国民の食料アクセスに関する2004年調査結果」によると、総人口(1億8,200万人)の約40%が食糧確保が不安定な状態、このうち総人口の7.7%に相当する1,400万人(330万世帯)が、食糧確保が著しく不安定な状態、即ち飢餓状態にあることが発表された。また、飢餓人口はブラジル北部及び北東部に集中している。生存していくための最低の条件である食料が満足に手に入らない人々がこれだけいるということは、富の分配が十分なされていない証しといえる。ボルサ・ファミリア等の施策は実施されているものの、「魚を与える」やり方から「魚を捕る」やり方を普及させていく必要があろう。

これら陰の部分は、一見華やかに見えるブラジル経済の今後の持続的発展を阻害しかねず、政府の真摯な対応が求められる。IPEA(応用経済研究所)のエコノミストであるファビオ・ギアンビアギは最近出版した著書”brASIL
RAIZES DO AtrASO(ブラジル遅滞の根源)”の中でブラジル経済の低成長率を打開するために、以下の具体的な施策を提案しており、検討に値するものと思われるので紹介しておきたい。

・最低給料を社会保障の基準にリンクさせないこと。

・社会保障改革のためのハイレベルの委員会を設置すること

・憲法を改正し、対GDP経常費用率の上限を適用すること

・労働法制を柔軟にして、当事者間の合意が法的拘束力を持つようにさせ、また、正規雇用の拡大を図ること。

・予算の義務的歳出の割合を削減すること。

・行政のすべての行為、表明に「資本主義」の態度を取り入れ、社会に対して「発展した資本主義国家」を目指すことを示すこと。また、国家は企業家精神を鼓舞し、官僚的な管理を減らし、企業の革新と創造に寄与すること。

                              (* 現 タカタ(株)事業管理・企画部門)