2003年11月から2006年3月まで、ジェトロ・サンパウロ・センター所長としてブラジルに駐在した。本稿は、コミュニケーションにまつわる小さなストーリーである。

2005年、中国の胡錦濤主席がブラジルを、2006年にはルーラ大統領が中国を相互に訪問した。多くのプロジェクトが花火のごとく打ち上げられた。その時、筆者は、ブラジル人と中国人は非常に似通った国民性を持っているという印象を持った。すなわち、①両国民とも経済的というよりむしろ政治的にものを考える、②戦略的発想を大切にする、③万事大きいことが大好きな国民、④小さいことは後回しにし、大きいことで合意する、⑤万事決断が速い、⑥考え方、行動様式が法治主義というより人冶主義等々である等々である。たぶん両国の国民にとってお互いに理解することはそれほど困難ではないのだろう。

ブラジル・シンパの日本人、ブラジル人を理解する日本人にとって最大の頭痛の種は、どうすれば東京本社や大阪本社にいる日本人にブラジルのこと、ブラジル人のことをうまく伝え、わかってもらえるかであろう。ブラジルは、日本の面積の23倍と広大である。そのダイナミズムも日本人にはなかなか理解できない。第1回連載で、エタノールの対日輸出にまつわる日本人とブラジル人の意見の食い違いを紹介し、ブラジルは実際に見ないとわからないということを書いた。

もう一つの私の身近な経験から、この問題を考えてみよう。駐在中に時々、ブラジルの個人からプロジェクトの合弁相手を探して欲しいという相談を受けた。その個人は通常、超大金持ちで、案件の内容を聞くと、これまたものすごく壮大なプロジェクトなのである。私自身、ある程度、ブラジルのこと、ブラジル人のことをわかっているので理解はできるが、問題は、東京本部と合弁事業に関心のありそうな企業にいかに説明し、納得してもらうかである。一見簡単そうに見えるが、これが至難の業なのである。まず、日本のような企業社会では、個人が相手というのはありえない。いくらその個人が立派な人で財力や信用力があると言っても信じない。なまじ、ジェトロ本部を説得しても、合弁候補企業を説得できないのである。ここで理解できることは、日本は企業という組織万能であり、個人という言葉は日本人や日本企業の辞書に存在しないのである。中国であれば、華僑ビジネス等の伝統があり、個人の力量が重視されるし、ブラジルもしかりである。プロジェクトの内容をみれば、日本人の想像もつかない壮大かつ奇想天外とも言えるもので、日本人の想像力をはるかに超えている。しかも計画や資金計画の詳細はなく、これから一緒に考えようというような案件が多い。このような場合、中国人であれば、プロジェクトの内容が興味あるものであるかどうか、案件を持ってきた人が信用おけるかどうかという2点を最初に考えるものと思われる。日本人は、そういった考え方ができない。個人、壮大すぎる案件、詰まっていない案件というだけで検討案件にならないのである。仮に企業の担当者が乗り気になったとしてもできの悪い上司が案件潰しにかかり、重箱の角をほじくるように詰めまくることになり、案件は最終的にボツになる。

両国首脳の相互訪問の際に、中伯間で打ち上げられたプロジェクトの進捗状況をみるとほとんど実現されていないようである。それに反して小泉首相とルーラ大統領の相互訪問では、目立ちはしないが、堅実なプロジェクトが合意され、着々と実現している。どちらがいいかは一概には言えないが、グローバル・スタンダードの観点からみると、ブラジルや中国のやり方により普遍性が見いだせる。今後日本人がブラジル、中南米や世界とのビジネスで勝ち残っていくには、クリアーすべきことが多い。

まず最初に、組織ビジネスも重要だが個人ビジネスもそれに劣らず重要な場合があることを理解すること。第2に戦略的に考える習慣をつけること、第3に、プロジェクトの重要性をまず考え、細目は後で徐々に解決するようにすること、第4にチャンスを逃がさず迅速に決断できるようにすること、最後に私の持論であるが、「ブラキチ・アンチ―ゴ」から「ブラスキ・ノーヴォ」に脱皮することである。ブラジルは魅力あふれる国なので多くの日本人が魅了され、あばたも笑窪的に熱愛することになる。人間だれでも熱愛すると何も見えなくなり、他人を説得できない。昔風のブラキチから「ブラジル好き」、より正確に言うと「ブラジルを嫌いでない」という新しいタイプの日本人ビジネスマンが生まれ、日本人にブラジル人の真髄をうまく理解させ得るような人材の出現を期待したい。

投稿者:桜井悌司 氏
2010年2月執筆したニッケイ新聞用原稿を加筆訂正したものである