演 題 : 在ブラジル日系社会における、終戦直後の勝ち負け抗争を取材して
講演者 : ジャーナリスト(共同通信元リオ特派員) 名波正晴記者

『ブラジル日本移民八十年史』によれば、勝ち負け抗争による殺傷事件は1946年3月から1947年1月までの間に発生し、死者23名負傷者86名という痛ましい結果となっている。日本は戦争に勝ったと信じた勝ち組(信念派)による負け組(認識派)襲撃という構図であるが、通説では、日本精神の涵養、大東亜建設の翼賛を目指して1945年7月に設立された「臣道聯盟」による組織的な犯行であった。これに対し、多くの実行犯たちを直接取材した外山脩氏は単独行動説を主張している。名波氏の取材からも、警察調書では「聯盟」の指示があったと記録されていても、当事者はそれを否定しており、現時点での“名波説”は「単独行動が主体だが、組織的な関与が全くなかったとも言い切れない」というものだ。

名波正晴記者
名波正晴記者
ジャーナリスト
(共同通信元リオ特派員)

負け組被害者のなかでも陸軍大佐を退役してからブラジル移民となった脇山甚作氏を巡るファクトを改めて再注目すべきだ。勝ち組の前身といえる「興道社」を1944年に設立した脇山氏は、「終戦事情伝達趣旨書」署名7人の一人であったが故に、元々は仲間であった勝ち組の銃弾の犠牲者となった。加害者の信念と被害者家族の「狂信者への全面拒絶」は、今日でも対立したままであり和解の兆しすらない。
この抗争を理解するためには、まず、日本とブラジルそれぞれの背景を歴史的に深く把握することが不可欠である。1924年にブラジル移民が国策となった前段として1868年に始まるハワイ移民の実態と日米対立があり、その国策の結果1930年代前半にブラジル移民の数が急増した事実と、日本における軍国主義、皇民教育のナショナリズムが合体し、一方、1930年革命で成立したヴァルガス政権による「新国家」ナショナリズムに基づく諸政策によって、1937年外国語教育禁止、1941年邦字紙発禁、1942年対日断交となり、こうした内外の諸要因が「戦勝デマ」を生み出し、殺傷を伴う抗争につながっていく。
名波氏の、現時点の理解・判断はまだ中間報告であり、今年中に現地取材を含め、調査・研究を深耕し、きちっとしたもの(書籍)にまとめる所存である由だ。

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日 時2015年5月20日(水)
15:30-17:00
会 場IDB米州開発銀行アジア事務所会議室(内幸町富国生命ビル16階)
アクセスマップ
都営地下鉄三田線「内幸町」駅 A6出口・・直結
JR山手線・京浜東北線・東海道本線「新橋」駅 日比谷口・・徒歩6分
東京メトロ千代田線・日比谷線「霞ヶ関」駅 C4出口・・徒歩3分
東京メトロ丸ノ内線「霞ヶ関」駅 B2出口・・徒歩5分
講 師ジャーナリスト(共同通信元リオ特派員)名波正晴記者
演 題在ブラジル日系社会における、終戦直後の勝ち負け抗争を取材して
会 費会員 2,000円、非会員 3,000円