演 題:東山農場の歴史~岩崎久彌の先見性
講演者:柳田 利夫 慶応大学文学部教授

最初に、現在の東山農場を写真で確認しておくと、広大なコーヒー園のすぐ横まで住宅地化されている。かつては原生林があったところは、都市化が進み、大都市カンピーナス(人口110万)になっていることがわかる。

柳田 利夫 慶応大学文学部教授

ここで、まず、三菱・岩崎久彌とブラジル東山農場の略年表をみておきたい。

  • 1893 三菱合資会社設立、岩崎久彌が社長就任
  • 1899 小岩井農場、岩崎家の所有となる
  • 1907 朝鮮東山農場開設
  • 1918 三菱合資会社営業部、三菱商事㈱へ
  • 1919 東山農事㈱設立
  • 1926 山本喜譽司、水上不二夫、ブラジル着
  • 1927 ブラジル東山農場開設
  • 1935 東麒麟(日本酒)販売開始

自分は日本史専攻の歴史学者であるが、米大陸の日系移民史を研究対象としているため調査フィールドは、これまでハワイ、米国、そして、とりわけペルーが中心であった。が、2007年、当時、味の素ブラジル法人社長であった旧知の酒井さん(協会常務理事)からのアドバイスが切っ掛けとなって、ブラジルの東山農場に埋蔵していた資料の整理・解読という、実に大変だが、同時に、楽しい仕事を仰せつかることとなり、このおかげで、ブラジルとの付き合いが始まり、現在も継続中だ。

農場の図書室にあった文献・資料は数日で整理できたが、倉庫の中に山積する資料の山については、一部、保存棚が壊れ、書類が散乱状態になっていたため、こちらの整理作業は多くの時間と労働を要した。日本から持ち込んだ中性紙の資料保存箱の数でいくと、整理済み文字資料64箱、図書類3,500点、写真1,910枚、初期会計帳簿330冊、大型会計台帳108冊、未処理資料194箱という膨大な分量だ。農場日誌は1927年の農場開設からほとんど全て揃っているが1か月分が見つかっていない。また、東山農場の場長としても戦後の日系社会のリーダーとしても活躍した山本喜譽司の戦時中の日誌(国交断絶期の貴重な記録)が行方不明(1970年代、前山隆教授が現物を調査したが、その後、“紛失”)であるが、農場関連資料の主要部分は整理できた。

こうした一次資料を読み込んでみたが、その結果、東山農場の特長として、次のような諸点を指摘できるだろう。

①小岩井農場を含む東山農場は、岩崎久彌の“ポケットマネー”と彼自身の事業意志があったからこそ始まった。彼自身がブラジルに来ることはなかったが、派遣要員の人事は自ら行い、 現場(小岩井農場)で鍛えてからブラジルに派遣し、その派遣員の報告・判断を信用して、農場の場所(カンピーナス)選定を行った。この岩崎久彌の先見性と人材(人財)活用ノウハウは再評価されるべきだろう。

②久彌“思想”の継承者でもある山本喜譽司の初期報告書「Tetequeira農場仮設計書」の結論は「(事業に大切なことは)土地に非ず。第一は人、第二は資本、第三は労働者、第四が土地なり。」であるが、山本の文章は、あちこちに科学者(農学博士)の視点が堅持されている。

③元々、北京駐在で中国の綿花を研究していた山本の、当初の構想は、ブラジルにおける綿花栽培&加工であったが、購入した農場には18世紀からのコーヒー農園があったため、「珈琲樹ハ買ッテ良シ新植シテ良イトモ考ヘル」(但しモノカルチャーはダメ)という方針となった。このため、コーヒー&牧場&ユーカリ植林&食品加工(日本酒、味噌、醤油)という多角化となった。

日  時 2017年9月28日(木)
14:00~15:30
会  場 虎ノ門法経ホール

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住所:東京都港区西新橋1丁目20番3号
TEL:03-5501-2750

会  費 【個人会員】1,000円
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