会報『ブラジル特報』 2013年3月号掲載 文化評論 岸和田 仁 (『ブラジル特報』編集委員、在レシーフェ)
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千数百年の時間的広がりを有する日本文学の歴史に、いくつかの時代区分を設けるとどうなるか。この難問に、西洋文学史との比較視角を援用し、独自の解釈を加えて答えようとした加藤周一は、大著『日本文学史序説(上下)』並びに『日本文学史序説 補講』(いずれもちくま文庫)において、五つの転換期があったと主張している。すなわち、第一の転換期 9世紀(平安前期)、第二の転換期 12世紀末~13世紀末(鎌倉時代)、第三の転換期 16世紀半ば~17世紀半ば(戦国時代~江戸初期)、第四の転換期 明治維新以降(明治・大正・昭和)、第五の転換期 終戦以降、という五つである。
では、日本以外の国で最大の日系人口を有するブラジルにおける、「コロニア文学」ないし「ブラジル日系文学」とよばれる日本語表現文学の歴史に、いくつかの区分を設定するとしたら、どうなるか。ブラジル移民開始が1908年であるから、その歴史の長さは百余年しかなく、しかも日常生活の確立で苦闘する移民一世を表現者とする「素人文学」の歴史ではあるが、ざっと六つの期間に区分するのが順当であろう。 すなわち、(1)草創期(未組織期)(自由移民の時代)1908~24年、(2)確立期(植民文学期)(国策移民の時代)1925~40年、(3)空白期(地下潜伏期)(敵性民族の時代)1941~45年、(4)復興期(戦後混乱期)(勝ち負け抗争の時代)1946~51年、(5)高揚期(永住意識確立期)(戦後移民の時代)1952~73年、(6)成熟期(高齢化安定期)(新移民途絶の時代)1974年~現在、の6段階である。 この時代区分は、このほど刊行された、付表を含めると820頁以上という途方もなく分厚い研究書『日系ブラジル移民文学 I 』に収められた年表による。 今回は、「日本語の長い旅 [歴史] 」という副題を持つ、この大著を読みながら、日本近代史の一画を為すと同時にブラジル社会史にも通底する、ブラジルにおける日系文化活動史について考えてみたい。 近代日本の音楽史を専門とする気鋭の文化研究学者が、ブラジル文化という“魅力的な底なし沼”の調査に関与し始めてから20年の年月が流れた。その成果がいくつかの著作となっているが、音楽の分野では、『サンバの国に演歌は流れる−音楽にみる日系ブラジル移民史』(中公新書1995)が、映画では『シネマ屋、ブラジルを行く−日系移民の郷愁とアイデンティティ』(新潮選書1999)が、それである。いずれも、歴史的事実の深読みに読者の多くをうならせることになった作品であった。日系ブラジル研究の第三作『遠きにありてつくるもの−日系ブラジル人の思い・ことば・芸能』(みすず書房2008)は、戦前の川柳を徹底的に読み解き、日系浪曲や舞踊についても論じた快著であった。 この第三作が、第60回読売文学賞を受賞したことから、本来は専門外であった文学研究に自信を深めた(あとがきの表現に従えば、「慎みを捨てた」)著者が、小説から詩、俳句、短歌、川柳、歌謡までのブラジル日系文学全般を“ひたすら読み込む”という宿題を自らに課したうえで、自己流の解釈を、過剰なほどの多くの言葉をもって叙述したのが、今回の著書である。 付録として、文学賞(パウリスタ文学賞、農村と協同文学賞、のうそん文学賞)の全受賞作品名ばかりか荒筋まで一覧表になっているだけでなく、同人誌(『コロニア文学』『コロニア詩文学』『ブラジル日系文学』)に掲載された全ての小説作品一覧(荒筋も記載)が表になっている。この付表だけで225頁だ。 文学史概説でなく、ブラジル日系社会における全文学活動詳細解説であり、「ブラジル日系文学百科事典」と呼称できる内容である。唯一論じられていないのが、随筆の分野である。 通読するのに一週間を費やした筆者の全く正直な読後感をいえば、「豊饒なコトバの連鎖が、フツーの読者には過激なほど過剰で、読み通すのは至難の業、なんとか読み終えた時は、ヘトヘトになった」というものだ。 |