会報『ブラジル特報』 2013年3月号掲載 細川 多美子(邦字情報誌『ブンバ』編集長)
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毎年ずいぶんたくさんの日本人観光客がリオデジャネイロのカーニバルを観覧しに来て、それなりに感銘は受けてはいるようだが、ここまで来てかなりもったいないことをしているのではないかと思う。実は観賞しきれていないであろうから。 「カーニバル」、「サンバ」、「エスコーラ・デ・サンバ」といったものがブラジル独自の文化であるところまでは認識しても、さらにブラジル国内においても特殊な文化であることまでは、絢爛豪華な騒ぎに目を奪われて、踏み込まないでもいいような気にさせられてしまっている。 日本のお能や歌舞伎を鑑賞するには、古来のルールや特別な表現方法など、予習がないと楽しめないのと同じように、今や伝統技となったサンバの世界も特殊な暗号に満ちており、ひと通りのポルトガル語では解釈できない。 まずカーニバルのパレードを行う単位「エスコーラ・デ・サンバ」からして、「サンバ学校」と訳されたものを見るにつけ、私は苦悩する。「エスコーラ・デ・サンバ」は、サンバを教える学校では断じてない。エスコーラと呼ばれるようになった所以は諸説あるようだが、とにかくこのエスコーラはサンバ界にあって、本来の意味からは脱して独自の世界観を持つ言葉になる。 和訳としてはエスコーラとそのまま呼ぶのが一番ふさわしいと思うが、意味合いからいえば、「サンバを核にした地域コミュニティ」なので、「サンバ・チーム」か「サンバ・コミュニティ」と訳すほうがわかりやすいと思う。 私は、イメージ先行でなかなか本質に迫れないこのサンバ・チームへの接近を試みて、サンパウロとリオのチームに加えてもらって、カーニバルの本番パレードに参加をしている。かつてはサンパウロでパレードしたあとにリオへ飛んでのかけもちという威勢のいいことをしていたが、なかなか過酷なので今はリオの人気チーム「マンゲイラ」(1928年創立)一筋にしている。今年で17回目になった。いつ卒業しようかと思うこのごろだが、サンバのリズムを聞くと、何をおいてもやっぱり譲れないという気持ちになってしまう。そういう麻薬性がなければ、リオの人々もあれだけのことを毎年毎年できるわけがないのだろう。 パレードに参加するとはどういうことかというと 4000人からなるチームの一員として、テーマ曲(サンバ・エンヘード)を歌いながら、演出家(カルナバレスコ)のデザインした衣装(ファンタジア)をまとい、会場(アヴェニーダ)を行進する。 ショーの出演者となる。輝くライトの中、両側いっぱいの観客に歓声で迎えられ、スター気分が味わえる。 ここにも麻薬性がある。 行列の合間合間には7~8つの山車(アレゴリア)があり、先頭の挨拶隊(コミソン・デ・フレンテ)やチームのシンボルである旗持ち(ポルタ・バンデイラ&メストレ・サーラ)、約400人の打楽器隊(バテリア)などの花形が骨組みを作る。その間を埋めるのが我々一般グループ(アーラ・コムン)で、色とりどり約30種の違った衣装のグループで構成される。ひとつのグループがだいたい100~200人からなり、実は私たちのように地元民ではないその場限りの参加者が相当数入り込んでいる。 この衣装は、オーダーメイドで11月ごろからチームのほうで用意してくれる。今年のマンゲイラの場合で1,100レアル(新聞によればどこのチームも軒並み25%の値上げだったそうだ)も払わされたが、普段チームに何も貢献しない参加者なので、おわびのしるしにそのくらい払ってもよいだろうという気概で申し込む。チームにとってこれが資金源になったり、手作りする人員の生活費になっていると思われる。 衣装は100リットルの黒いゴミ袋に各個人名入りで渡される。ちょっとした感動である。マンゲイラの衣装には、チームの意地なのか伝統へのこだわりなのか、審査員にも観客にも到底見えない凝った装飾が施されている。そういうところがばかばかしくも文化的な匂いを放っている。
自分の人生になかったものは、体験しないとわからない |