会報『ブラジル特報』 2009年7月号掲載
鈴木 茂(東京外国語大学 教授) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
切手は単なる郵便料金の支払い済み証だけでなく、歴史をはじめ一国の政治・経済・文化・社会をめぐる公式の認識と評価が分かる身近な資料でもある。ここ10年ほどの間に発行された切手からも、こうしたブラジルの「自己認識」をめぐる変化の一端を知ることができる。そうした重要な変化のひとつが、多文化主義である。
1992年のコロンブス第1回航海500周年に関しては、先住民やアフリカ人にとっては虐殺と強制労働の始まりであったとして、ラテンアメリカ諸国で「アメリカ発見」という捉え方に異議申し立てが行われ、公式にも「到達」や「出会い」など別の表現が使われた。ところが、ブラジルではコロンブスの肖像つきの「アメリカ発見500年」の切手が発行された。今回も一貫して「発見」が使われているが、先住民やアフリカ系人を中心に、こうした公式見解を批判する動きがあった。ポルトセグーロでは政府主催の記念行事に反対する大規模なデモが行われ、『ニューヨーク・タイムズ』や『ル・モンド』、日本の主要紙など世界のメディアでも報道された。
写真【3】は1995年に発行された「ズンビ没後300年」の小型シートであり、写真【4】は2001年の「黒人意識の日」の記念切手である。また、ブラジルの政府と黒人運動は、2001年に南アフリカ共和国で開催された国連の「反人種主義・差別撤廃世界会議」(ダーバン会議)に積極的に参加し、最終文書「ダーバン宣言および行動計画」に積極的差別是正政策(アファーマティヴ・アクション)導入を織り込ませるのに大きく貢献した。写真【5】は、このダーバン会議開催にちなむ記念切手である。
移民をモチーフにした切手にも変化が起きている。従来、切手に描かれる移民はイタリア、ドイツなどのヨーロッパ移民と日本移民にほぼ限られていたが、近年、ユダヤ人とレバノン人に関する切手が発行された。写真【6】は南北アメリカ初の公式なシナゴーグ(ユダヤ教会堂)の発掘にちなむものであり、写真【7】はレバノン人に関するものである。
すでに別のところで指摘したことであるが、ブラジルにおける軍政から民政への移管は、単なる民主主義の復活ではなく、民主主義の概念そのものの革新を伴っていた(1)。1988年憲法では、先住民やアフリカ系人、女性、ホモセクシャルなど社会的マイノリティの権利を保障し、それまでのブラジルの民主主義が、中上流階級の白人男性を前提とした形式的なものであったことを浮き彫りにしている。しかしながら、「混血による同質化」という国民統合イデオロギーの根強いブラジルにあっては、国民統合のあり方の別の選択肢にすぎないマイノリティからの多文化主義の主張に対し、ときに過剰な反発が見られるのも事実である(2)。ここで紹介したブラジルの記念切手は、多文化主義をめぐる公的姿勢の両義性・曖昧さを表しているといえよう。 |