会報『ブラジル特報』 2009年7月号掲載

                     鈴木 茂(東京外国語大学 教授)



切手は単なる郵便料金の支払い済み証だけでなく、歴史をはじめ一国の政治・経済・文化・社会をめぐる公式の認識と評価が分かる身近な資料でもある。ここ10年ほどの間に発行された切手からも、こうしたブラジルの「自己認識」をめぐる変化の一端を知ることができる。そうした重要な変化のひとつが、多文化主義である。

写真【1】「ブラジル発見500年」(1999年)


 国の成り立ちについて、ここ10年の最も重要な出来事は、ポルトガル人による「ブラジル発見500年」にちがいない。1500年4月22日、ペドロ・アルヴァレス・カブラル率いるポルトガルの第2回インド艦隊が、アフリカを大きく西へ迂回してブラジル北東部、現在のバイーア州南部ポルトセグーロ付近に到着した。一行は10日間ほど滞在して現地の住民と友好的に接触した後、目的地のインドへ向かう。これにちなむ記念切手は1996年から2000年まで毎年発行され、500周年に当たる2000年には20種類の切手を配したシートが出された。写真【1】は1999年の小型シートで、ヨーロッパ人、先住民、アフリカ人が登場し、ブラジルがいわゆる3人種の融和から誕生した国であるとする伝統的な歴史観が示されている。ちなみに、写真【2】は1974年に発行された「ブラジルのエスニック」と題した5枚組切手の中の1枚で、やはりブラジル人の起源としての3人種、白人、黒人、先住民が描かれている。

写真【2】「ブラジルのエスニック」(1974年)

 1992年のコロンブス第1回航海500周年に関しては、先住民やアフリカ人にとっては虐殺と強制労働の始まりであったとして、ラテンアメリカ諸国で「アメリカ発見」という捉え方に異議申し立てが行われ、公式にも「到達」や「出会い」など別の表現が使われた。ところが、ブラジルではコロンブスの肖像つきの「アメリカ発見500年」の切手が発行された。今回も一貫して「発見」が使われているが、先住民やアフリカ系人を中心に、こうした公式見解を批判する動きがあった。ポルトセグーロでは政府主催の記念行事に反対する大規模なデモが行われ、『ニューヨーク・タイムズ』や『ル・モンド』、日本の主要紙など世界のメディアでも報道された。
 こうした先住民やアフリカ系人の権利要求運動を背景に、3人種の融和や混淆という公式の歴史認識に、近年、変化が起こっている。アフリカ系人について見れば、17世紀にブラジル北東部のサトウキビ農園から逃亡した奴隷の大規模な共同体パルマーレスと、1695年に暗殺された最後の指導者ズンビへの注目がある。
 現在のアラゴアス州にあったパルマーレスの中心村落(マカッコ)一帯は、1988年、国の史跡に指定され、死後300年にあたる1995年にはズンビが「国民の英雄」に認定された。
 また、1970年代末から盛んとなった黒人運動では、ズンビが暗殺された11月20日は「人種差別撤廃を求める黒人意識の日」として種々の催しが行われてきた。

写真【3】「ズンビ没後300年」(1995年)
写真【4】「黒人意識の日」(2001年)

 写真【3】は1995年に発行された「ズンビ没後300年」の小型シートであり、写真【4】は2001年の「黒人意識の日」の記念切手である。また、ブラジルの政府と黒人運動は、2001年に南アフリカ共和国で開催された国連の「反人種主義・差別撤廃世界会議」(ダーバン会議)に積極的に参加し、最終文書「ダーバン宣言および行動計画」に積極的差別是正政策(アファーマティヴ・アクション)導入を織り込ませるのに大きく貢献した。写真【5】は、このダーバン会議開催にちなむ記念切手である。

写真【5】「反人種主義・差別撤廃世界会議」(2001年)

 移民をモチーフにした切手にも変化が起きている。従来、切手に描かれる移民はイタリア、ドイツなどのヨーロッパ移民と日本移民にほぼ限られていたが、近年、ユダヤ人とレバノン人に関する切手が発行された。写真【6】は南北アメリカ初の公式なシナゴーグ(ユダヤ教会堂)の発掘にちなむものであり、写真【7】はレバノン人に関するものである。

写真【6】「南北アメリカ最初のシナゴーグ」(2001年)


写真【7】「レバノン 外交・文化関係」(2003年)

 すでに別のところで指摘したことであるが、ブラジルにおける軍政から民政への移管は、単なる民主主義の復活ではなく、民主主義の概念そのものの革新を伴っていた(1)。1988年憲法では、先住民やアフリカ系人、女性、ホモセクシャルなど社会的マイノリティの権利を保障し、それまでのブラジルの民主主義が、中上流階級の白人男性を前提とした形式的なものであったことを浮き彫りにしている。しかしながら、「混血による同質化」という国民統合イデオロギーの根強いブラジルにあっては、国民統合のあり方の別の選択肢にすぎないマイノリティからの多文化主義の主張に対し、ときに過剰な反発が見られるのも事実である(2)。ここで紹介したブラジルの記念切手は、多文化主義をめぐる公的姿勢の両義性・曖昧さを表しているといえよう。
 

    (1)拙稿「語りはじめた「人種」?ラテンアメリカ社会と人種概念」 清水透編
     『<南>から見た世界 05  ラテンアメリカ』 大月書店 1999年 39~66頁
    (2)拙稿「多人種・多文化社会における市民権-ブラジルの黒人運動とアファーマティブ・
     アクションについて」 立石博高・篠原琢編 『国民国家と市民』 山川出版社 2009年
     273~298頁