会報『ブラジル特報』 2009年7月号掲載

                    和田 昌親(日本経済新聞社前常務・国際担当、協会理事


 いつの間にかbrICsという略語が世界に定着した。ご存知ブラジル、ロシア、インド、中国の成長著しい4つの“新興国”を指す。2003年10月にアメリカの証券会社ゴールドマン・サックスの若手社員が投資家向けリポートで初めて使った言葉だという。かつてアジアの新興工業国群を称してNICSやNIESという略語がもてはやされたが、いつしか消えていった。それに比べると世界への伝播力もすごかったし、随分と長持ちしている。

 確かにここまでは brICs は世界経済を引っ張る役割を果たしてきたし、今後の成長も期待されている。 brICs 4カ国合計の国内総生産(GDP、国際通貨基金調べ、ドル・ベース)で見ると、2004年には当時世界3位のドイツを上回り、05年には日本のGDPを抜く規模に成長している。

 そして世界金融危機の影響が色濃く出始めた2008年。世界の国別GDPランキング(同上)では、 brICs 4カ国はさらに伸びていることがわかる。中国が日本に次ぐ3位に、ロシアは8位にそれぞれ順位を上げ、ブラジルは定位置の10位、インドは12位でカナダを急追している。4カ国すべてが12位以内だ。
 とりわけ中国の躍進ぶりは目覚しいものがあり、2000年に6位だったのが06年に4位、07年にはドイツを抜いて3位になった。このまま推移すると2位の日本を抜くのも時間の問題といわれている。

 brICs 4カ国を“もっともらしく”束ねた米証券会社のアイデアにケチをつけるつもりもないが、ここへきて4カ国の「くくり方」に世界中から異論が聞こえてくるようになった。

 ひとつは「ロシアはすでにG8(主要国首脳会議)のメンバーなのだから新興国に入れるのはおかしい」というもの。それも一理ある。ロシアは何といっても東西冷戦中の東側の「雄」であり、世界の超大国の座をアメリカと2分していた。自由主義経済に組み込まれてから日が浅いという意味での「新興国」という見方もあるが、ちょっと違和感があるということだろう。
 となると、 brICs から「R」を削って「BICs」か、という話になる。しかし、どこかの国のボールペンやノドの薬のブランドを連想するので、首をかしげる人が出てくるだろう。

 R」を外そうというアイデアは2005年2月のG7(先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議)の場で、議長国の英国が打ち出した。その時英国が提唱したのは「IBSAC」だった。 brICs から「R」を外し、その代わりに英国の旧植民地南アフリカ(SA)を加えた新しい4カ国グループだ。
 ただ、日本の外務省幹部によると現在ではその4カ国から「C」を除いた「IBSA」の方が世界的には流布しているという。「IBSA」には単なる成長国グループという分け方ではなく、「民主主義国家であること」というくくり方が重なっているらしい。

 それなら意味がはっきりする。「C」は未だに共産党一党独裁を貫く国で、民主主義国家のブラジル、インド両国に、「C」のような特殊な政治体制の国と同じ基準で比較してほしくないという気持ちがあっておかしくない。

 要するに brICs から「R」と「C」を消そうというムードが世界の一部に広がりつつあることがわかる。G8のメンバー「R」と一党独裁国家「C」を外すと、残るのはブラジルとインドだ。

 でもブラジルとインドを同じ「新興国」として論じるのはいかがなものか。インドは文字通りの「新興国」だが、ブラジルを「新興国」と呼ぶには少なからぬ抵抗がある。

 インドは民主国家だし、最近の製造業やIT産業の発展は驚異的だ。しかしインフラの未整備、貧富の格差を見ると、次の発展段階に差しかかる前に大きな壁にぶちあたる可能性がある。似かよっているのはGDPランキングの順位だけだ。(インド12位,ブラジル10位)

 ブラジルはポッと出の「新興国」ではない。すでに1970年代に「ブラジル経済の奇跡」という天国を、80年代に「債務危機」という地獄をそれぞれ味わった国だ。 brICs の他国に比べ、自由主義圏の工業国としての歴史、経験が豊富だ。

 その昔、日本企業は夢を求めて大挙してブラジルの大地に進出して行ったではないか。そのことを忘れたとはいわせない。日本のトヨタ自動車がブラジルに進出してからすでに50年が経過した。アマゾン流域のマナウスでオートバイを造り続けるホンダも実績を積み上げている。
 だからブラジルは「新興」ではなく「再復活」した工業国と呼んだ方がいい。 brICs を考え出した米証券会社の社員はブラジルのかつての工業化レベルの高さを知らなかったのだろう。ブラジルは brICs の他の3カ国とひとくくりにはできない。

  brICs の急速な発展ぶりは素晴らしいと世界で話題になるのは悪くないが、ブラジルの心ある知識人は「新興国」と呼ばれるのを良しとしないのではないか。IBSAにしても、経済力がかけ離れたブラジルと南アフリカを同じグループに入れるのは無理というもの。

 2010年に南アフリカでサッカーW杯が予定されているが「冗談をいっている場合ではなく、本当に開催可能かどうか心配だ。皆さんが想像している以上にあの国は遅れている」とある商社の幹部はいう。

 結論は「ブラジルはブラジルだ」。 brICs の一部としての「B」ではなく、「B=B」ということだ。ブラジルは独立独歩、わが道を行くのがいい。国力が弱かった昔は単独行動など無理だったが、今ならそれができる。

 わかりやすい話は、日本より優れた技術をいくつか持っていることだ。エタノール(アルコール)とガソリンを混合する「フレックス車」の技術はその典型。30年も前から大量のエタノール車がブラジル国内で走っていたが、環境意識がまだ低く世界的には注目されなかった。

 同じように長い経験があるのは、航空機製造技術だ。エンブラエルは中型機を得意とし、一時はジェット戦闘機も輸出していた。アメリカの国内近距離用では人気ナンバーワンの旅客機だ。昨年日本航空に初めて10数機納入することに成功した。一方の全日空はエンブラエルではなく国産の三菱重工業「MRJ」を採用するが、まだ飛んだこともない飛行機にお客として乗る気はしない。

 2003年に発足したブラジルのルラ政権は高い経済成長を牽引してきた。世界金融危機で経済が失速する中でも、拡大G8ともいえる「G20」の主要メンバーとして、存在感を高めている。09年以降ブラジルが「底堅い」、「しぶとい」、「踏ん張っている」と評価されるとすれば、その多くはルラ氏のリーダーシップによるものと考えていい。

 最近のマスコミは不勉強で、 brICs の企画や特集をすると、必ずといっていいほど中国、インドのアジア勢を話の中心に据える。そしてブラジルとロシアは付属品のように扱う。だったら一緒に論じないで、一味違うブラジルを「別扱い」にしてほしい。
 brICs に続く新興国群として「VISTA」(ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチン)を発案する人が出てきたり、アジア諸国の成長地域を「VTICs」(ベトナム、タイ、インド、中国)と呼ぶ人もいる。でも言葉の遊びはほどほどにして、本質に迫る時だろう。