会報『ブラジル特報』 2009年9月号掲載

                          堀坂 浩太郎(上智大学教授、協会理事)


 「今回の危機ほどブラジルにとって絶好のチャンスはない」。ブラジルからの報道によると、ルーラ大統領は7月下旬のこと、国立商業銀行バンコ・ド・ブラジルの支店長クラス350人を前にして檄を飛ばした。国営石油会社ペトロブラスを例に挙げながら、なぜ同行はM&A(合併・買収)戦略を展開して、中国やラテンアメリカ、アフリカにもっと食い込まないのか、というわけだ。
 「ブラジルはすでに貿易を通じて中国市場に参入している。次の一歩は直接投資だ」。北京からは、同地での国際金融界の会合に出席した国立経済社会開発銀行(BNDES)のルシアノ・コウチニョ総裁の発言がブラジルのマスメディアを通じて国内に報じられている。
 リーマンショック後の世界経済の急落で様子見であったブラジルが、「外への国際化」に向けてふたたび動き出す気配が伺える。しかも、今回の経済危機によって、ブラジルは期せずして世界経済の表舞台に躍り出た格好である。

 ブラジルが先進国首脳会議(G8)に毎回出席するようになって久しい。しかしながらこれまでは外交用語で「アウトリーチ常連国」、すなわち陪席国の扱いで、あくまでもG8による「拡大対話」の相手だった。それが、昨年 11月にワシントン、今年4月にロンドンで開催された金融サミット(金融版G20)では中心メンバーの一国となった。
 英国とともに幹事国を務め、11月上旬にはG20に先立つ準備会合として、サンパウロで20カ国財務省・中央銀行総裁会議を主宰している。昨年末来、ルーラ大統領のマスメディアにおける露出度は一気に高まった。
 もっともルーラ大統領からみれば、同大統領に対する国際社会の新たな対応は、「大統領外交」を積み重ねてきた成果なのかもしれない。

 サンパウロの日刊紙『フォーリャ・デ・サンパウロ』(4月22日)がブラジル大統領府の情報として伝えるところによると、本年4月22日、23日のアルゼンチン訪問で、ルーラ大統領の外国訪問は348日に達した。これは、前任のカルドーゾ大統領が2期8年をかけて外国を訪問した日数347日を、ルーラ大統領は任期1年半を残して達成したことになる。
 ブラジルの大統領は、ともかくよく飛び回る。しかもその頻度が格段に増えている。軍政から民政移管最初のサルネイ政権(1985〜90年)が在任日数の9%であったのが、コロル政権(90〜92年)9.8%、イタマール政権(92〜94年)は5.2%となり、カルドーゾ政権(95〜82年)が11.8%、ルーラ政権は4月のアルゼンチン訪問までで15%に達した。

 「内政をお留守にしている」との批判が国内になくはない。しかしながらカルドーゾ政権以来、国際社会へのアプローチに大統領が率先して取り組んできた。「鉄くず」と異名をとった大統領専用機をルーラ政権になってエアバスA-319に更新し、訪問国数を増やしている(カルドーゾ大統領の延べ115カ国に対し、ルーラ大統領はすでに183カ国)。訪問先も、カルドーゾ大統領は先進国に比重をおいていたのに対し、ルーラ大統領は明らかに第三世界への訪問頻度が多い。南米に120日を費やしたほか、アフリカにも通算40日をかけて19カ国を歴訪した。インド、中国に各3回足を運んだほか、シリア、レバノン、エジプトなど中東にはブラジル大統領として初めて訪問している。

 もちろん「大統領外交」即貿易の拡大とはならないが、2008年のブラジルの輸出先をみると、ラテンアメリカ22%(ルーラ就任時直前の2002年21%)、EU24%(30%)、アジア19%(16%)、アフリカ5%(3%)と拡散しており、米国向けは14%(20%)に低下している。対米依存度の低下が、今回の経済危機で直接余波を米国から受けずに済んだ要因と指摘する向きもある。加えて大統領主導の活発な外交は、多国間協議の場を新たにいくつも生み出すことにつながった。米州域内の南米共同体や米国を抜きにしたラテンアメリカ・カリブ統合・開発抜きにしたラテンアメリカ・カリブ統合・開発サミット、インド、ブラジル、南アフリカの3カ国による3大陸横断のIBSAフォーラム、さらには最近開かれた brICs4カ国による首脳会談などである。

 一方、民間も今世紀に入って、とりわけルーラ政権の発足以降、対外進出に向けて活発に動き出している。国連貿易開発会議(UNCTAD)のデータによると、カルドーゾ政権下8年のブラジルの対外直接投資は年平均10億9,900万ドルだった。それが2007年までのルーラ政権下5年で同95億6,800万ドルに達した。代表例を挙げると、海外の中堅・中小製鉄メーカーをつぎつぎと買収し、粗鋼生産量でブラジル最大の製鉄会社に躍り出たゲルダウ、ベルギーのビール会社との統合(2004年)で外資に姿を変えながら、経営陣をブラジルが押さえていることから実質ブラジル企業とみなされ、今年5月には、世界最大のビールメーカー米アンハイザー・ブッシュを買収したアンベブ(ベルギー名インベブ)、独自の組み立て技術で海外生産に乗り出したリージョナル・ジェット旅客機のエンブラエルやバス車体メーカーのマルコポーロが上がってくる。

 資源がらみでは、カナダのニッケル会社インコを買収し、選択と集中によって総合金属資源会社に変身中のヴァーレ、国内では深海油田の開発に注力する一方で、海外での鉱区開発権や製品販売権の取得も進めてきた国営石油会社のペトロブラス、米食肉大手スウィフトの買収で世界トップとなったJBSを挙げることができる。
 

 投資先は、周辺の近隣諸国から米国、欧州、さらには中国やインドなどのアジアにも広がっている。日本にも沖縄の石油精製会社南西石油の買収によってペトロブラスが、また今年4月には、それに先立つ2ヵ月前の合併で南米一の金融グループとなったイタウ・ウニバンコの証券部門が進出している。

 チリのサンチァゴ市に本拠をおく国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会( ECLAC )は、海外に乗り出したブラジル企業を、同様の動きをみせるメキシコ企業とともにラテンアメリカ版多国籍企業( trans-Latins)と呼んで注目している。これに呼応するように、ブラジル国内では、ベロオリゾンチのドン・カブラル財団が、売上高、資産、従業員数それぞれの海外比率をベースに企業の「多国籍化指数」を算出し始めた。
 財団によると、世界経済危機発生にもかかわらず多国籍化指数トップ20社の海外事業は衰えず、2008年は売上高で25.3%(0621.5%)、資産27.7%(26.4%)、従業員数27.5%(16.9%)を占めた。

 ちなみに同指数のトップはゲルダウで、以下サボ(自動車部品)、マルフリッグ(食品)、ヴァーレ、メタルフリオ(機械)と続く。冒頭のルーラ大統領の発言にもその一端は現れているが、「外への国際化」は官民挙げての動きになりつつあるとみてよいのではないか。その一例が昨年5月に発表された「生産力開発計画」(Poli´tica de Desenvolvimento Produtivo−PDP)といえる。日本では、インフラ投資の「成長加速プログラム」(PAC)が関心を呼んでいるが、生産力開発計画は産業を3つのカテゴリーに分け、ブラジル経済の競争力引き上げを意図している。

 すなわちナノテク、原子力などの「戦略分野」、自動車、資本財産業などの「競争力強化分野」、それに石油・天然ガス・石油化学、バイオエタノール、鉱業、製鉄、紙・パルプ、食肉、航空機の7産業からなる「世界市場におけるリーダーシップ確立・維持分野」である。

 この中で例えば、鉱業、製鉄、紙・パルプについてはそれぞれ「世界5大生産国の地位を維持する」と表明し、政府の関連諸機関を総動員して企業を支援する構えだ。

 今年5月、鶏肉トップのペルジゴンとサジアの合併が発表された。為替ヘッジの失敗で経営悪化したサジア救済のためだが、新会社のシェアは生産で3割、輸出で5割以上となる。しかも新会社の名称は「ブラジル・フーヅ」。国際市場を視野に入れての再編劇と読むこともできよう。

 歴史的にみて、移民や外資の進出にみられるように「内なる国際化」では“先進国”のブラジルが、今、「外への国際化」に向け本格的に志向し始めている。その動向を注意深く見守っていきたい。