執筆者:小川善久(ブレイジア、漢和塾 代表)
はじめまして。ブラジル駐在経験者のリレーエッセイのコーナーに初めて投稿させていただきます、㈱漢和塾 BrAsia(ブレイジア)事業部の代表、小川善久と申します。私は大阪外国語大学(現大阪大学)のポルトガル・ブラジル語学科を1987年に卒業も、在学中や就職後はブラジルやポルトガル語に関わることなく四半世紀以上を過ごしてきました。ひょんなことから4年前にポルトガル語の仕事でブラジルに関わることになり、それからは出張族ではありますが、毎年2~3回のブラジル出張を敢行、今年の8月も入れて合計10回ブラジルに行ってきました。当然、駐在経験者ではないわけですが、でき得る限り「今」のブラジルをキャッチアップするために、サンパウロやリオはもちろん、ベレン、マナウス、クリチバ、ポルトアレグレなどの主要都市を訪問し、先輩方の知識に追いつく努力をしている最中です。今後ともよろしくお願いします。
さて、今回のテーマはタイトルにもありますが、私が8月にポルトアレグレの日本祭りでオリジナルの音楽を演奏した時のことについて書かせていただきます。日本祭りは日系移民の方が中心になってブラジル各地で開催されている文化交流のイベントで、サンパウロでは何十万人も動員する規模になっています。私がお邪魔したポルトアレグレの日本祭りは今年で5回目、日本舞踊や太鼓、剣道に書道など、日本の伝統芸能や文化が披露されます。そんな中に交じって、3年前から私自身がステージで音楽を披露させていただいております。もちろん、私の本業は語学研修会社の経営者ですが、その傍らで、高校時代から始めた音楽(ジャンルはフォーク系)を今も続けていて、日本でも数か月に一度はライブハウスでオリジナルライブを実施しています。そんな中、3年前に仕事でポルトアレグレを訪れた際に、現地の大会関係者の方から推薦いただき、ボランティア歌手としてステージを務めることになりました。今年は日本からギターも持ちこんで演奏させていただきました。
歌いながら客席を見渡すと、CD歌手でもない私の音楽を、昨年も熱心に聞いていただいたブラジル人女性が最前列で声援を送ってくれていて、演奏終了後には昨年に続いて二人で記念撮影に収まりました。曲調的にはサンバでもボサノバでもない私のメロディーですが、ポルトガル語で作詞をしたことやMCもポルトガル語で話したことで客席は暖かい雰囲気になります。さらに今年はギターを持参したこともあって、あえて日本語だけのオリジナル曲を1曲ギターで弾き語りました。曲の内容はと言えば、7年前に他界した私の母へのメッセージソング。日本語堪能な日系ブラジル人の方もいらっしゃるとは言え、ほとんどがネイティブのブラジル人を前にして、日本のヒット曲ならまだしも、無名な私の、しかもオリジナルの日本語曲が受け入れられるのか、本番前は半信半疑でした。が、歌い終えた時に頂いた歓声と暖かい拍手は、大げさですが「生きていてよかった!歌ってよかった!」と改めて思えるもので、天国の母もさぞ喜んだことでしょう。
来年も関係者の方からはステージで歌うことを許されましたが、ポルトガル語の準備をすることは最低限必要とは言え、こと音楽については無理にブラジル音楽に迎合しなくても、あるいは日本語だけでも心をこめて歌えたなら、必ずや通じるものがある・・・「言葉」を武器にグローバルビジネスで戦うビジネスマンの支援を生業にしている私ですが、こと「音楽」や「文化」は「言葉を超える存在」であると確信できました。
たかが3~4年のブラジル出張族でしかない私は、まだブラジルのブの「゛(濁点)」一つも理解できていないかも知れませんが、ポルトガル語企業研修や留学のお仕事は続けながら、「音楽」でも日伯の交流を深める存在になれればと思います。大先輩の居並ぶリレーエッセイに拙い文章、軽いネタで参戦しましたが、私は私なりに今のブラジルを色んな角度から伝えていきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。
https://www.youtube.com/watch?v=rEJkHYC7RD0 日本語曲「おかはん」
https://www.youtube.com/watch?v=jmS6-Xt6Rag ポルトガル語曲「SORRINDO」