会報『ブラジル特報』 2009年3月号掲載

                山村 洋 (国際協力銀行-JBIC リオデジャネイロ事務所顧問)


 国際金融危機に起因する信用収縮とブラジル政府の対応策

 米国に端を発した国際金融危機は、野放しに近かった欧米の金融機関の高いレバレッジ比率を下げる動きの影響を受け、まず先進国での信用収縮が生じ、その後世界の資金フローの減少の形で、ブラジルをはじめとする開発途上国へも信用収縮が波及した。途上国のなかでもブラジルへの影響時期が遅れ、その程度が軽症に留まったのは、一つには、銀行の資金調達源の海外依存度が23%と比較的少ないこと、もう一つには、商業・投資銀行ともBIS規制(自己資本比率規制)よりも一段厳しいブラジル中央銀行の貸出し規制の下で、安定した資金繰りと高収益決算で、公的資金を注入する必要はなかったことが指摘できる。さらに、金融機関にいわゆるサブプライムローンがなく、公的機関が銀行から債権を買取る事態も発生しなかった。
 このように金融システムが比較的安定していた結果、金融危機による直接のダメージはなかったが、信用収縮の結果、経済成長の牽引車となっていた「民間消費」にブレーキがかかった。すなわち、消費を支えていた耐久消費財の割賦販売システムが、信用収縮の結果事実上挫折した。これを受け、政府は信用収縮の影響を最小限に抑えるため、いち早く次のような対応策を講じた。

  • ブラジル中銀に積み立てられている高率の預託準備金(例えば、当座預金に対しては53%、定期預金20%など)の一部がリリースされ、市場の流動性を潤沢にした。預託準備金合計は銀行貸出しの4分の1の規模で、その約3分の1が市場にリリースされた。
  • ブラジル銀行、連邦貯蓄銀行などの公的銀行の規制を緩和し、公社、民間企業への貸出し増加を図った。また、国庫から公的銀行に特別貸出し枠が供与され、市場の流動性が増加。
  • 借入れコストを引き下げるため借入れに課されるIOF(金融取引税)をほぼ半額に軽減した。
  • ブラジル中銀独自の厳しいBIS規制を緩和することで、貸出し残高の約7%に相当する貸出し枠を捻出。
  • 2008年10月~09年12月までのブラジルの対外債務(リースを含む)の期日到来分、約360億ドルの返済にあたり、海外市場での資金調達が難しい現状を鑑み、中銀が為替銀行経由、企業に外貨貸しを実施する。
  • 政府は国家社会経済開発銀行(BNDES)に1,000億レアルの追加資金枠を供与し、インフラ、ロジスティックス、石油・ガス開発、電力などの戦略的部門の投資促進を図る。また、景気対策としては次のような対応策が採られた。
  • 新車の工業製品税(IPI)を一時的に減・免税(大衆車で7%カット)
  • 個人の所得税を3段階から5段階に増やすことで減税を図る。
  • 政策金利を1月に13.75%から1ポイント引き下げ、今後も引き下げる方向であることを示唆。
  • 法人税、工業製品税などの連邦税の支払い期日を延期。

 安全で収益性の高い投資の対象国のブラジル

 今般の金融危機で、先進諸国の資金ショートを補うため、短期的には流動性の高いブラジルの株式、国債が売却され、瞬間的には資金逃避が起こったが、中長期的には以下の諸点が勘案され、比較的安全で収益性の高い投資の対象国として外国投資家から注目されている。その結果、短期資金の逃避とは対照的に2008年度の直接投資(FDI)は過去最高の450億ドルのネット流入額となった。

 1) レアル通貨に移行した1994年以降、以下3本の柱を礎にマクロ経済政策が堅持ており、今後政権交代後も右政策が踏襲されることが期待されている。
 ・ 1999年1月以来実施の自由為替市場
 ・ インフレターゲット採用 (2009年目標4.5%)
 ・ プライマリーサープラスの確保 (2009年目標GDP比3.8%)

 2) 経済成長を犠牲にしてもインフレターゲット達成のための高金利政策が採用され、過去3年間インフレは許容範囲内で達成されている。

 3) 数年前まで国債の40%近くを占めていたドル連動債を国内経済に連動する国債にシフトし、外的要因に左右されない国債に転換。一方、外貨準備高が2,000億ドル余りまで積み上がっており、世界的な大口対外債務国であったブラジルが、外貨建て債権・債務の差し引きで債権国に転換していること。
 
 4) 税金、人件費が高いにもかかわらず企業、銀行とも収益率が高く、投資先としては魅力的であること。2006年、07年の上位1000社の平均資本利益率(純利益の純資産比率)はそれぞれ15.3%、16.8%で、銀行では上位100行の同期間の平均資本利益率は19.3%、23.6%に達している。

 5) 2005年までの外需依存型から内需依存に移行しているにもかかわらず、06~08年の過去3年間の平均経済成長率は5.1%(推計値)で、国内市場が十分発達しているといえる。その要因として、①実質所得が2006年末から08年末までの2年間で12.5%上昇。上昇分は貯蓄に回らずほとんどが消費に回っている。②危機以前は、国内外の潤沢な資金で消費者金融が低利化・長期化し一大ブームとなり、銀行貸出し残が2年間に実額で67.5%増えており、GDP比率では同期間に30.2%から41.3%まで11.1ポイント伸びた。

 今後のブラジル経済とルーラ政権に期待される政策

 過去のブラジルでは、今回のような急激な外貨逃避と海外市場での信用収縮の事態が発生すれば、レアルの切り下げが引き金となって、財政悪化→海外からの投融資フローの減少→さらなるレアルの切り下げで、パニック状態となっていた。しかし、対外部門では、2,068億ドル(2008年12月末)の外貨準備金を駆使し、国内部門では市場の流動性増加、景気回復対策を通じ、世界規模の危機を乗り切っている。公的、民間部門中長期債務短期貿易ファイナンスなども加えた対外債務(グロス)は2008年12月末2,002億ドルに止まっているが、外国からの直接投資の残高は急速な勢いで増えており、06年末の2,094億ドルに対し、08年6月には3,243億ドルまで増加している。ブラジルはハイパーインフレーションと世界一の対外債務国から、コントロールされたインフレの下で、対外部門では債権国となり、海外からの直接投資の大きな受け皿に変化している。具体的には今後次のような事態が予測される。
 
 ・ 世界的な信用収縮にもかかわらず、銀行貸出し額は2009年も08年比15%程度の増加が予測され、国内消費は漸増する。
 ・ 預託準備金の約3分の1は解除されたが、準備金が高率なためまだ十分な余剰額があり、必要に応じ解除される。

 
 インフレ抑制のために採用されてきた高金利政策は、暫く急激なコモディティー価格の上昇などによるインフレ圧力もないと予測されることから、積極的な金利引き下げ政策で経済の活性化が図られる。現行12.75%と高率なため、今後大幅な金利引き下げの余地が残されている。
 
 以上、政府は信用収縮と景気対策に的を絞りいち早く対応策を図ったが、1月の自動車生産・販売で上向きの兆しが見え始めたものの、まだ本格的な結果が出るまでには至っていない。2007年1月に発表された大型の4年間に5,039億レアルの「成長加速プログラム(PAC)」の第2弾として、1,421億レアルの追加計画が今年の2月に打ち出され、ルーラ政権には正面から国際危機に向かう意欲が窺える。中期的には、一般歳出を切り詰め、「加速プログラム」を主軸にしたインフラ整備を推進されることが期待される。一方、対外部門では、増加し続ける経常赤字を最小限に食い止めるために、あらゆる面から輸出振興政策を推進することが喫緊の課題となる。

 ブラジルは金融危機の傷が比較的浅く、景気の回復力が大きく、リスク・リターン率の魅力が高い投資案件を提供できる数少ない国として、ルーラ政権は72%を超える支持率を生かし、残る2年間に国際金融危機をチャンスに転じ得ると期待されている。