ブラジルの田舎風祭りの典型
執筆者: 田所 清克 氏
(京都外国語大学名誉教授)
概して、民衆の祭典は国を問わず、宗教や労働に結びついたものが多い。ほぼ一カ月間に亘って催される、つまりサント・アントーニオ[6月23日]、サン・ジョアン[6月24日]ならびにサン・ペドロ[6月29日]の三聖人を祝うブラジルのフェスタス・ジュニーナス(Festas Juninas)(以下、「六月祭」とする)も然り。ちなみに、聖人サント・アントーニオは、日本ではさしずめ出雲の神様に当たり、結婚を司る。その一方で、紛失物を見つけ出すために願をかけるための聖人でもある。サン・ペドロは天戸の鍵を握っているとされており、雨の聖人であることから雨乞いの対象であるが、どういうわけか、夫を亡くした妻や漁師によっても崇められる。そして、六月祭の中心を成し、このエッセーでも主として扱うサン・ジョアン[聖ヨハネ]は、キリストに洗礼を施した火の聖人であるジョアン・バチスタを指す。この聖人は、イエス・キリストの母である聖母マリアの従妹イザベルの息子として知られている。
ブラジルの民衆の祭りで、カーニバルが夏の風物詩であるとすれば、冬の風物詩に当たるのはおそらく六月祭だろう。日本ではカーニバルと較べれば認知度はかなり低いが、規模や地域的拡がり、開催期間の長さの観点からすれば後者は、北東部のように場所によっては、カーニバルをはるかに凌ぎ、住民にとっては切っても切れないところもある。六月祭と称されるのも、「ジュニーナ(junina)」という形容詞が示すように、文字通り、6月に催されることによる。しかしながら、この一連の祭りが7月に及ぶこともあることから、「フェスタ・ジュリーナ」[=七月祭]と呼ばれたりもする。
ところで、今ではこの国の典型的な民衆の祭典の一つとなった六月祭も、起源を探ればそれは古い時代のヨーロッパに求められる。かつて異教徒のケルト族などの間では、夏至になると豊饒な大地と豊作を祈念し祝うお祭りがあった。この祭りも6月の名前の由来ともなるユーノー神が祀られたことで、「ジュノニアス祭」と呼ばれていた。カトリック教徒は異教徒のその風習に抗えないほどに感化され、結局のところジュノニアス祭をキリスト教化した。すなわち、同化の過程で彼らは、異教徒の祭りそのものを換骨奪胎しながらカトリック教の聖人の祭りに仕立て上げることによって、ユーノー神の祭りそのものを払拭したのである。
旧世界のキリスト教を信仰する人々によって祝われたその祭りは、開拓者であるポルトガル人や教理目的で渡来したイエズス会士たちの手でブラジルにももたらされた。が、このヨーロッパ出自のプロトタイプ的な六月祭もブラジルでは、時の流れと共に他の民族文化とも習合し、と同時に、地域的な特徴を帯びながら、ブラジル独特の田舎風の様相を強く帯びた祭典へと変容してゆく。
ポルトガルから伝播したその植民期当初の原型を成す六月祭が、他の民族文化と習合なり同化する過程を経て、他のキリスト教世界の国々とは特徴を異にする今日のブラジル的な祝祭になったのは言を俟たない。そうした異文化的要素との習合の事例を見てみたい。フェルナン・カルディンが著した『ブラジルの住民と土地についての概説』(Tratados da Gente e da Terra do Brasil)は、居合わせたインディオたちが六月祭の焚き火と花火を見て瞠目、感動している点に触れている。と同時に、インディオの間でも豊穣を祝う祭りに類似したものが6月にあったことから、彼らのこの祭りに対する関心の高さにも言及している。ここで括目すべきは、六月祭がインディオとの接触・交流を通じて彼らの祭祀とも習合した点であるだろう。同様に、黒人奴隷が崇拝する密教の、火と結びつくシャンゴー[主として北東部でみられるアフリカ伝来の呪術的な信仰神オリシャ―(orixá)の一つ]や、テレイロ[祈禱所]に観るバイーアのカンドンブレー[主としてバイーアで信仰されるバントゥー系のアフロ・ブラジル宗教]とも習合していることは耳目を引く。が、習合ないしは影響の面から見るとそれは、インディオ要素やアフリカ要素に限ったことではない。ことほど左様に、今日ではきわめてブラジル的とみなされるサン・ジョアン祭も、その成立過程では後編でも述べるが、さまざまな民族文化の受容と習合の産物であることが理解できる。
さて、六月祭についての記述ともなると、論ずべき内容が多岐に亘り、到底一口では言い表せない。であるから、紙幅の関係上、六月祭のなかでももっとも重視されるサン・ジョアン祭に絞って以下に記したい。前述の通り、そもそもサン・ジョアン祭にしても、グレゴリウス以前に発現した、豊作と肥沃な大地を念じて祝われた異教徒の祭りであった。それが時を経て、キリスト教化して摂取・同化されるかたちでキリスト教世界に広まったものである。国や地域によって多少変容したケースもみられるが、重要な宗教行事の一環として執り行われている点では変わりがない。しかも、国や地域の違いはあるにしても、祝祭の中身については大した懸隔はない。例えばポーランドでは、自然の豊饒を祝って、太陽と夏の暑熱を象徴する焚き火が行われ、住民は湖に潜る習慣がある。スイスの内陸部では、山ほどのフルーツが供せられ、一本のマストの周りを踊るのが特徴らしい。他方フランスのそれは、焚き火を囲んでワインとチーズを口にしながら祝われるのが常套のようだ。してみると、聖人を祝う有り様はどの国のものであれ本質的には通底するものがあり、しかも、祭りを介して住民同士の親交を図ろうとする意味でも共通している。
ところで、ポルトガルから伝来・継承されたサン・ジョアン祭が最初に根づいたのは、歴史的にも古い北東部の地であった。であるから、この地域、わけてもペルナンブーコ州のカルアル、パライーバ州のカンピーナ・グランデのサン・ジョアン祭は、他のどの地域よりも知られており、民衆の生活に深く溶け込んだものになっている。そのサン・ジョアン祭が今では、津々浦々で催され、国民にとって欠かせない年中行事になっているのは事実である。カーニバルに次いで、この国の大きな祭典とみなされる所以だ。そのサン・ジョアン祭は、地域によっても多少の違いはあるものの、余興を含めて概して、①焚き火 ②お祭り会場(=アライア―)に張り巡らされた色とりどりの小旗や提灯 ③花火や爆竹 ④スクウェアダンスの一種であるクワドリーリャ ⑤田舎風の結婚式 ⑥てっぺんに牛脂(pau de sebo)もしくはグリスを塗ったマスト登り ⑦喜劇化した演出の恋文郵便(correio elegante) ⑧儀式的な様相を呈する恋や死などの占い(simpatia) ⑨大小の気球を天空に放つこと ⑩ケンタン(quentão)と呼ばれる、カシャサ(ラム酒)に砂糖を加え、生姜、シナモンで味付けして燗にしたものや、トウモロコシを主体にした材料の盛り沢山の食べ物が供されること、などから成っている。他にも祭りを構成する要素はいくつか挙げられるが、祭りが盛り上がるためには上述の要素は欠かせない。これらの個々の構成要素や余興については後編で詳述することにする。
サン・ジョアン祭が田舎風の様相を帯びているところに特徴があるので、祭り自体もとことんそれに拘っている。児童文学の大家として知られるモンテイロ・ロバトに『ジェカ・タトゥ-』(Jeca Tatu)なる作品がある。麦わら帽を被り、まさしく田吾作そのものの作品に見る主人公さながらに、祭りでは男女ともに田舎風の装いをする。男性は通常、格子縞のシャツに、つぎはぎだらけのズボンをはき、麦わら帽子の出で立ちで、黒く塗って口髭に見立てる。そして、首には派手な色のスカーフを巻く。対して女性は、たっぷり襞をとった明るいプリント模様の木綿生地を着用。田舎娘(カイピーラ)であるべく頬には赤く斑点を塗り、髪は三つ編みにする。そして、男性同様に麦わら帽子、それもリボンで飾ったものを被るのが習わしとなっている。
ここで紹介する民謡が人口に膾炙しているほどに、サン・ジョアン祭はブラジル文化を表徴するものだ。この国の文化に心酔する筆者は6月になるときまって、留学時にニテロイ近郊のサン・ゴンサーロで催されたサン・ジョアン祭での、異国趣味あふれる光景、中でもふわりふわりと夜空に舞い上がる気球を眺めては、えも言われぬその幽玄な幻想の世界に浸った自分があったのを想い出す。
O Balão 気球
O balão vai subindo 気球がどんどん上ってゆく
Vem caindo a garoa 霧雨が降って来ている
O céu é tão lindo こんなにもきれいな空
A noite é tão boa こんなにも素敵な夜
São João サン・ジョアンの祭り
São João サン・ジョアンの祭り
Acende a fogueira あたしの心の焚き火に
No meu coração. 火をつけてくださいな。
Cai cai balão 落ちるよ 落ちる 気球が
Cai cai balão 落ちるよ 落ちる 気球が
Na minha mão 落ちるよ 落ちる 気球が
Cai cai balão あたしの手の中に
Ai! Dentro do meu São João. あっ!あたしのサン・ジョアン祭りの中に。