執筆者:名井 良三 氏
(日本ブラジル中央協会常務理事・元アンゴラ大使)
2008年の北京オリンピックでは、オリンピックと時期を合わせ武術大会が開催された。北京武術トーナメントである。オリンピック種目ではないがオリンピックに合わせ開催されたということであり、世界各国から参加選手が集まった。2020年の東京オリンピックでは空手が入ることとなった。これは正式種目である。喜ばしいことである。ただし、東京のあとはどうなるのだろうか・・・
柔道金メダリストがアマゾンの空手道場へ
さて、その北京オリンピックで、柔道100kg超級という最も重いクラスで金メダルをとったのが石井慧選手である。今回は柔道ではなく、空手の話を中心にするつもりであるが、まずはこの石井選手の話から始めることとする。彼は、オリンピックでの金メダル獲得から3ヶ月もたたないうちに、柔道から総合格闘技UFCに転向することとなった。同じ年の12月のことである。UFCは、ブラジルでは「VALE-TUDO(何でもあり)」とも呼ばれる競技スタイルである。翌2009年、彼はブラジル・アマゾンのべレンに旅立つ。筆者がべレンに行く直前まで数ヶ月の滞在している。
アマゾン
べレンには空手の町田道場がある。道場主は町田嘉三、日大を卒業し、1968年にパラー州のトメアスに入った。その後、空手普及のため各地を回り、最後にべレンで道場をひらくこととなった。その三男リョートはUFCのチャンピオンであった。石井選手が目指したのは町田嘉三とリョートとの稽古のためであった。その直前1月にリョートのUFC戦を観戦した石井は空手を応用した戦い方に強く印象付けられた。
筆者が嘉三と話した際、リョートの戦い方として熱心に説明したことを思い出す。相手の出鼻をくじく、いわゆるボクシングのカウンターを意味するような話をしていた。空手特有の相手の力を利用する突きのことを言っていた。自分のダメージを最小限にして相手のダメージを最大にしていくということであろう。アマゾンに入った空手が、その真髄を生かしつつ、総合格闘技にまで応用されている。
町田家ではリョート以外にも息子さんがおり、空手の指導にあたっている。家族ぐるみでアマゾンで空手の普及に努めている。日本文化普及に尽力する家族の姿である。
サンパウロ
今やブラジルの各地で空手が教えられているが、最も早くブラジルで活動したひとりが高松浩二氏であろう。戦後移住が始まってそれほどたっていない1956年に移住している。移住といっても、日本の空手組織からは空手の普及を託されていた。武道の中でも、柔道は広まりつつあったが、空手はまだまだの状況であった。柔道大会の機会に、デモンストレーションをやることが普及のはじめだった。今はもう87歳。息子のセルジオが道場を任せられているが、まだまだ現役、稽古にも顔をみせているようだ。今でも、穏やかで話好きの高松師範の顔が頭に浮かぶ。
一世から二世へ
ここで取り上げたべレンとサンパウロの話の空手は、ともに一世から二世へと引き継がれている。世界で最大の日系社会を持つブラジルならではことである。空手のみならず、武道が、ブラジル社会にますます浸透していくことを期待したい。