2017年9月23日
鈴木孝憲
1 はじめに
- 先月8月6日朝ブラジルのサンパウロに着いてすぐホテルのテレビを点けた。
リオ州でまた警官が殺害されたニュースがとびこんできた。今年に入ってからブラジルを発った9月16日までに殺害されたリオ州の警官は102人。いずれも非番で家の近くで武装した殺し屋たちに銃撃されたものだ。犯人たちが捕まらないのは情報が漏れているのではないか。背景にはリオ州の財政破綻がある。昨年10月にリオ州は“緊急財政破綻宣言”をした。警官を含む州公務員の給与は数か月分年末のボーナスに当たる13か月給与を含めて遅配。警察署の消耗品などを民間の企業に寄付してもらっている。財政破綻の原因は州の収入が石油収入に依存しすぎていたためとされている。しか根本の原因は社会保障費の増大だ。何よりも退職した年金受給者の年金が退職時の給与(もっとも高くなっている)の100%となっているのだ。現役の給与額より年金額の方が高くなるわけだ。年金受給者の数が増えれば財政を圧迫することになる。リオに次ぎミナス、リオ・グランデ・ド・スルも州財政緊急破綻宣言をしたがその他の州も状況は火の車のようだ。この状況を根本的に改善すべくメイレーレス蔵相主導の下 国会で州財政再建法を成立させ、まずリオ州から再建策実施がは決まった。国からの借入金を3年間返済猶予、民間銀行から資金を借り入れて給与遅配分を解消することから始め財政収支の徹底的見直しを行うようだが改革を伴う大仕事だ。 - 次のニュースは電気製品など高額の商品を工場などから搬出する大型トラックをトラックごと略奪する犯罪ネットワークの各州にまたが一味の根城を一斉に捜査当局が急襲 関係者を逮捕したニュースだ。盗品の買い取りや売りさばきに元州知事や元市長などもいてあきれた話だ。このトラックぐるみの盗難事件には日系進出企業もテレビなどかつて再三被害にあっていた。今回のような大掛かりな一斉手入れははじめてだ。
- もう一つは麻薬ブラジルコネクションの一斉摘発だ。コロンビア、ペルー、ボリビアから密輸されてくる麻薬は一部国内向け、残りはすべてサントス港で夜間輸出貨物のコンテナを開けて中に入れ米国、欧州の港まで密輸される。これをこの8月某日ブラジル国内の80数箇所を急襲して容疑者全員を逮捕した。政界の汚職以外でもブラジルでついに大掃除がはじまったようだ。
2 政治危機はまだ続くのか
- 2003年から13年間続いたPT(左の労働者党)政権下のポピュリズム政策の失敗の結果 経済が失速し大不況を招いた。同時にPT主導の史上最大の汚職事件が発生した。政治家がらみの闇ドル取引を調べていた連邦警察捜査当局は大汚職の一端を掴みそこから今回の“LAVA JATO”特別捜査が2015年3月から開始された(ラーヴァ・ジャット(ガソリンスタンドの自動車洗車の意味。捜査は給油スタンドで始まったのでこの名がついた)。以降、この特捜部は厳しい汚職関係者追及の捜査を展開、ブラジルの司法(連邦警察から検察、最高裁まで)は汚染されておらず健在なることを内外に示した。すでに汚職容疑のある政治家は引退者を含め1800人に達すると見られ元国会下院議長以下多数の大物政治家が逮捕収監されている。
- 汚職の最大の舞台は国営石油公団ペトロブラスだった。同社と取引関係のある大手ゼネコンのオデブレッチ社などが談合グループをつくり政治家へのわいろ分を上乗せ請求しペトロブラスがこれを支払っていたという構図だ。これが一部に漏れて同社の株価はピーク時の10分の1まで急落した。同社はサンパウロだけでなくニューヨークでも上場していたから米国のファンドや個人投資家が騒ぎだし司法省が刑事捜査を開始した。米国でもブラジルでも容疑者が真相を自供すれば刑を軽くする所謂”司法取引“がある。今回の一連の捜査でブラジルでは司法取引オンパレードとなった観がある。信頼していた仲間が裏切り発言をするのだからあちこちで騒ぎが大きくなっている。テーメル大統領に対する収賄容疑による告発もJBS社オーナーの録音テープを使った司法取引の自供が基だった(JBS社はPTルーラ政権時代巨額の経済開発銀行低利融資を受け世界一の食肉加工会社になった)。9月に入り元大統領ルーラの最も信頼いていたパロッシ(PTルーラ第1次政権蔵相、PTジルマ第1次政権官房長官)が司法取引を前提とする自供を始めルーラの収賄事実を認めた。
- 9月16日検事総長ロドリーゴ・ジャノーの定年退官日前日に彼はテーメル大統領に対する2回目の告発状を最高裁に提出した。現時点の予測では第1回目の告発と同様、現職大統領に対する起訴手続開始申請は国会下院により却下される見込みだ。テーメル暫定政権が2018年末まで継続する可能性が高く汚職捜査の進展で大物政治家の逮捕が政局大混乱を引き起こす事態は避けられそうだ。ルーラはすでに1審で収賄罪禁固9年半の判決を受けており2審でも有罪が確定すれば逮捕収監だれる。11月までに2審で有罪確定となれば2018年の大統領選には出られなくなる。
3 始まった経済回復
- 2015年△3.8%.2016年△3.6% と 大きくマイナス成長となり2年間で人口増を勘案すると一人当たり国民所得はー9%となった大不況は無責任なPTジルマ政権の財政赤字拡大と無能な経済政策で産業界と消費者の信頼を失ったことが原因だった。経済成長を支える投資と消費が伸びなければ成長は出来ない。しかし 今年に入ると8四半期マイナス成長だったのが第1四半期+1%、第2四半期+0.2% とプラスに転じはじめた。第1四半期はほとんど農業部門の史上最高の大豊作の結果だったが第2四半期は経済のほとんどの部門でプラスとなった。とくにサービス部門の+0.6%と個人消費の+0.2%は経済回復の兆しとして注目された。何よりもインフレ率(IPCA拡大消費者物価指数)の急速な低下は農産物豊作で食料価格品が低位安定しているためだが今年のインフレ率がターゲットの4.5%を下回る3%程度になる見込みで画期的な水準になりそうだ。これにつれて政策金利(Selic)も現在の8.25%が年末には7%程度になりそうだ。輸出も好調、外資の直接投資も増加傾向で外貨資金繰りも全く問題なく為替レートはややレアル高気味で安定している。経済の各分野でプラス成長への動きがでてきている。農業、サービス業、工業いずれも緩やかだがプラスへ動きだした。遅れている雇用も各部門で正規雇用(労働手帳を登録した雇用)が増え始めてきた。4,5月頃の失業率13.6%が7月には12.7%まで改善した。個人消費の増加はインフレ低下による実質賃金の増加と政府が個人のFGTS(勤続年数保証基金:退職金の積立て金)積立金の引き出しを認めたことが要因。
- まだ動き出してないのは設備投資(グロス固定資本形成投資)だ。ブラジル企業は準備に入っているが金利が下がっても銀行は貸し出しに慎重だ。経済開発銀行(BNDES)は従来の市場金利を下回る低金利をやめ資金調達コストをベースにした新金利TLPをスタートした(従来インフレを下回る長期融資をして逆ザヤ分を国庫が負担していた)。欧米系外資は対ブラジル長期戦略に基好き大型直接投資を継続中だ。最近はインフラ部門や自動車部などに中国勢の投資が増えてきている。
- 本年8月にテーメル政府が発表した大型民営化プロジェクト(電力、輸送、港湾、空港、造幣所など57の民営化案件。)の売り込みのため、9月初め、テーメル大統領は中国を訪問した。今年ソフトバンクがブラジルの配電会社99に1億ドル投資したが中国勢も同社に投資した模様だ。ブラジルの経済人は“中国はブラジルの大豆や鉄鉱石など一次産品を買ってくれる大事な国でアミーゴ(友人)として扱うべきだ” と言う意見と “中国マネーを大量に入れるのは要注意、慎重に対処すべきだ。アフリカなどのケースをみるべきだ” という違う意見があった。
4 大構造改革進行中
- テーメル政権はPT政権13年間に全く手の付けられなかった大構造改革に挑戦している。既に財政支出実質増加ゼロ(インフレ調整のみ可、20年間実施)は憲法修正法成立済み。労働法改正成立ずみ(1943年制定の現行法は労働者過保護で企業のコスト大で雇用増の妨げになっている)。財政赤字解消のために不可欠な年金制度改革は現在国会で審議中(一連の構造改革中最難関、国内の反対強いがこれなしでは財政破綻は避けられない)。税制改革等は今後国会で審議の予定。テーメル政権は経済回復に目先の短期的施策より長期的にブラジル経済を根本から強くする構造改革に挑戦している。この方が政府の信頼回復にははるかに効果的だ。この改革基本ラインを支えているのはメイレーレス蔵相だ。
- 経済回復は当初はごくゆるやかにはじまったが大方の予測よりやや上向きそうだ。現時点での成長率予測は2017年+0.5~0.7% (当初予測は +0% )、 2018年は +3% (+4%の見方も出てきた。当初予測は +2%だった)。自動車新車販売も動きだした。新車種投入を準備している先も多い。9月に入り株価が次々に新高値を記録し始めた。ブラジル経済の安定度と今後の成長性につき米国の投資家たちがブラジル買いに動き出したとの速報がはいってきた。
5 むすび
- 2016年のPTジルマ・ルセフ大統領弾劾騒ぎ以降政治危機が経済回復の足かせとなっていたが今年に入り政治危機と経済回復の切り離しが実現しはじめた。これはブラジル人企業家たちの間で“これ以上政治危機にふりまわされるのはやめて我々のビジネスを進めよう”という声が強まってきたためで、株式市場も為替市場もブラジリアの動きに一喜一憂しなくなった。
- 2018年の大統領選以下の総選挙で汚職がらみの既存の政治家に代わりクリーンな国のために働く新しい政治家がでてくることを期待したい。今回のラーヴァジャット大捜査のお蔭でブラジルの政界等は大掃除が行われ国民の意識も相当変わったと思われる。懸命に全力を挙げてラーヴァジャット捜査を担当しているセルジオ・モーロ判事やメイレーレス蔵相など日夜仕事に打ち込んでいるブラジル人もいるのだ。昨年10月当選した現サンパウロ市長ジョアン・ドリア7は企業家だが左の汚職にまみれ仕事はしない歴代市長に愛想を尽かして立候補した(注 ドリアは個人ベースの財界人のグループ“LIDE”の前会長、日本の経済同友会的存在)。これほど仕事をする市長は初めてだと好評だ。来年の大統領選への候補としての話もでてきてる。メイレーレスの名前もでている。誰が出てきても新しいブラジルの国造りのために全力を尽くしてくれることを期待したい。 ブラジルのポテンシャルは不変だ。ビジネスチャンスは多々ある。4~5年以内にブラジルはBRICSの経済大国として復活できるだろう。
(完)
鈴木 孝憲(すずき たかのり)
ビジネス・アドバイザー、元ブラジル東京銀行頭取・会長、元デロイト・トウシュ・トーマツ最高顧問、元サンパウロ州工業連盟FIESP外資支援委員会委員、前・新東工業顧問、鈴木孝憲経済ビジネスフォーラム創設者、サンパウロ、ブラジル経済関係著書・日本経済新聞社刊他