―スーダン系の黒人奴隷末裔の集住地「黒いローマ」―

執筆者:田所清克 氏(京都外国語大学名誉教授)

 バイーア州の都サルヴァドールは、街全体がさながら博物館のよう。それはあまたの旧い文化的、歴史的な建造物がたくさん残っているからだけではない。地層図のように積み重なった過去の時間を、街全体の空間に包み込んでいるような雰囲気を醸し出していることもあるからだろう。それかあらぬか、この街を歩くこと自体、連綿と続く歴史的な時間の流れの中を歩くような気がする。ポルトガルの北部がそうであったように、バイーアはある意味で国家形成の発祥の地である。従って、われわれがブラジルという国を真に理解しようとなれば、同時にバイーアの歴史や文化についての知見も深める必要がありそうだ。よく「バイーアを見ずして、ブラジルを語ることなかれ」と言われる所以もそこにある。

 

ともあれ筆者は、重層的な歴史を刻み、そこかしこが原色で描いたような絵画的な街並みの、坂や曲がりくねった狭い路地の多い旧都サルヴァドールに強く惹かれるものがある。

 

一説では、360もの教会や天主堂が点在すると言われるサルヴァドール市内。レコンカヴォ(recôncavo)と称されるバイーア周辺部を含めたこの地を訪ねれば、他のどの都市や地域よりもアフロ系住民の多さに気づかされるだろう。ことほど左様に、あまたある古色蒼然たる宗教的建築物に加えて、かつての奴隷の末裔であるアフロ系の人々[黒人(15,7%)および他の民族と混交した褐色(パルド)系の人たち(63,4%)]が多く集住していることで、このバイーアが「黒いローマ」とも「ネグリチュード(黒人の自文化に対する誇りと意識)のメッカ」とも形容されることの合点が行く。

 

周知のように、植民地時代を通じてブラジルには、二つの出自、すなわち中央および南部アフリカ[東部アフリカのモザンビークを含む]バントゥ系と、西部のスーダンおよびギニア・スーダン系で構成される大量のアフリカ奴隷が導入された。しかしながら、その出自を巡ってはあいまいな点が少なくない。その原因は、奴隷が居住していたところと積出港とが違っていることや、奴隷制廃棄後に、国家の恥とみなされる奴隷制関連の史料をブラジル政府が焚書処分したことなどによる。従って、アフリカのどの地域から強制離散によってブラジルの地に搬入されたかについてはあまり解明されてこなかったのが実情だった。ところが、昨今のアフリカ研究の飛躍的な進展に伴い、アフリカ黒人奴隷のルーツもほぼ明らかにされてきている。例えば、サンチアーゴ・デ・コンポステーラ大学の生物学者アントーニオ・サーラスなどのDNA鑑定による研究はその典型だろう。この研究を通じて、黒人のみならず一部のブラジルの白人の先祖さえも、アフリカ中西部にルーツがあることが判明した。ちなみに、米国(53%)やパナマ、ドミニカ共和国、ベリーズのような中南米の国(69%)では、アフリカ西部にルーツを持つ黒人が多い。ブラジルの黒人奴隷の出自が主としてアフリカの二地域からであることは前述したが、歴史史料等に基づくとブラジルでは、量的に多数を占めるバントゥ語系統の言語を話すアンゴラおよびコンゴ出身の奴隷の存在が大きい。むろん、東部アフリカのモザンビークの出である奴隷も含まれるが、同じ系統の黒人集団でありながらブラジルでの貢献度は相対的に低いとみなされている。以下に述べる本題の、バイーアで主流を占める西部アフリカ出自のヨルバ族などのスーダン系は数のうえではバントゥ系に及ばないものの、その存在は黙過しえないものがある。何故なら、この出自の民族は後述するように、宗教はむろん、料理法や音楽、言語、服飾などあらゆる領域においてブラジル文化に多大の影響を与え、と同時に、バイーアを拠点にしてネグリチュード運動の中心的役割を果たしながらアフリカ世界の醸成と再生に尽力してきたからである。

 

ところで、黒人の多さが突出していた点で、植民期当初のバイーアは“ニュー・ギニア”とまで年代記者や旅行家の間ではみられていた。その意味で、16世紀第二半期から17世紀に沿って、バイーアの奴隷の大半はアフリカ中西部から送り込まれたものだ。人間とはみなされず部品(ペッサ)扱いされた奴隷の多くが、アンゴラのルアンダの港やコンゴ、ベンゲーラなどの他の地域から船積みされたことによって、「アンゴラ・サイクル」(ciclo de Angola)と称されていた。結果として、バイーアにはアンゴラ族、コンゴ族、キンブンド族、マサンガーノ族、ベンゲーラ族に代表される数多くの中西部出自の黒人集団が居住することとなり、それは一時的ながらアフリカ中西部を想起させるかのような印象すら与えていた。ところが、1641年にアンゴラがオランダ人に占拠されると、この地で携わっていた奴隷交易人たちは取引の場を西部地域へ移動することを余儀なくされた。そして彼らの活動の舞台は、ミーナ海岸など西部アフリカ地域が中心軸となる。これに呼応するかのように、奴隷購入の代金として当時バイーアで生産されていたタバコが、奴隷貿易を展開するうえで大いに寄与したことは特筆すべきかもしれない。かくして、西アフリカからミーナ族、アルダ(=アルドゥラ族)といった主要な民族集団が来着した。

 

ポルトガル人は1648年アンゴラを奪回しこの地域での奴隷貿易も復活するが、1685年にベシーガ[bexiga]と現地の人が呼ぶ天然痘が猖獗を究めると、瞬く間に凋落する。これにはさらに他の二つの要因が重なる。つまり一つは、アンティール諸島で生産されるサトウキビとブラジルのそれとがヨーロッパ市場において競合する情況のなかで、アンゴラからの奴隷の価格が高騰したこと。もう一つは、17世紀の末葉、ミナス・ジェライスで金鉱が発見されたことで、アンゴラ奴隷に代わって、金鉱探査の知識を持つ西部アフリカのミーナ族に対する需要が高まったことである。これらの情況や環境の変化は西アフリカとの結びつきを一段と深化させ、バイーアとミーナ海岸との間の奴隷貿易を確固たるものにした。

 

18世紀になると、ミーナ族はバイーア州全域でアフリカ奴隷の多数を占め、サルヴァドール市内でも顕著な存在となった。このことは同世紀の第一半期の奴隷目録からも裏付けられる。この目録によると、バイーア全域の黒人部族の中でのミーナ族の割合は、アンゴラ族が16,66%であるのに対して26,79%であり、首位の座を占めている。

 

このように、17世紀から18世紀の間のバイーアにおける黒人の民族構成は様変わりする。とくにアンゴラ、コンゴ、マサンガーノ、マタンバの部族で構成される中西部アフリカからの奴隷は、西部アフリカのスーダン系の下位集団のジェジェ、ナゴー、ミーナなどに取って代わる。そうした西アフリカの出自のスーダンおよびギニア・スーダン系に言及すると、前者はヨルバ、ファンチ・アシャンチ、エウエなどの部族が主流を占め、ナゴー、ジェジェ、ミーナなどが下位集団に属する。後者の下位集団にはハウサ、フラーニ、マンディングなどが挙げられ、多くはイスラム化している。これらの部族の全てバイーアと深い係りがある、つまりブラジルの文化への影響という意味において。のみならず、かかる黒人民族集団は特にバイーアの地において、一部は習合(シンクレチズム)したものになっているが、アフリカの先祖たちが代々受け継いだ独自の伝統や文化を再生させることに成功している。そうしたサルヴァドール市内で垣間見られる西部アフリカの文化が現出した例は、枚挙に遑がない。文化的価値の点から、バントゥ系とスーダン系の間の優位性の問題はこれまであまり議論の対象とはならなかった。が、数の多さでバントゥ系を評価・重視する点は否めなかった。その点、医者にして人類学者でもあったニーナ・ロドリゲスが、黒人文化の中でのスーダン文化、とりわけナゴーとジェジェ文化の優位性を力説している点は括目すべきだろう。事実、スーダン系の黒人奴隷とその末裔は、宗教や習俗等の価値・伝統側面において重要な機能を果たし、キューバ同様に自文化形成に寄与してきたのである。市内の歴史地区の街角にはきまって、アフリカからもたらされたデンデゼイロ(dendezeiro=一種のヤシの木)から採取したデンデ―油や胡椒、香辛料をふんだんに使ったアカラジェー(acarajé)などの西アフリカ起源の典型的な料理のいくつかに出遭う。ビリンバウやタンボルなどと共に奏でられる楽器も多くはルーツが西アフリカにある。昔、奴隷広場であったペロウリーニョ界隈をそぞろ歩けば、そうした音色を一日たりとも耳にしない日はない。カンドンブレーに例を見るように、宗教面でのヨルバ(ナゴー)系の影響は大きい。ことほど左様に、西アフリカの文化は服飾、言語などの多方面の領域に及んでいる。ちなみに、ブラジルで話されるポルトガル語にはあきらかにアフリカ言語の影響があり、インディオの言語的影響が水平的(・・・)であるのに対して、アフリカのそれは垂直的(・・・)であるとみなされている。3000以上の語彙がポルトガル語化し、バイーアで用いられるヨルバ語の90%は宗教、神話、飲食物、料理(法)、超自然物関連のものである。

 

ポルトガルおよびインディオと並んで、アフリカ要素はブラジル文化の基底を成す重要な存在である。にもかかわらず、正当に評価されるのには20世紀に至るまで待たねばならなかった。ところが、2003年、ルーラ大統領が「教育基本法」でアフロ・ブラジルの歴史と文化を初等・中等教育で教えることを義務づけて以来、アフロ・ブラジル系の人々の文化に対する関心はブラジル内外で高まりをみせている。単に黒人という一括りにしたものではない、多様な黒人民族集団がブラジルには存在すること。そしてバイーアに限って言えば、スーダン系の人たちが集住することもあって、さながら彼らの出自である西アフリカを彷彿させる、ヨルバ(ナゴー)やミーナの豊かな文化が息づいていること。読者の皆様にもしブラジルのこの地域を訪ねる機会があれば、こうした点にも目を配って、全聖徒湾が拡がるサルヴァドールのアフリカ的な世界の文化を堪能していただきたい次第。