執筆者:田所 清克 氏
(京都外国語大学名誉教授)
特定の国や地域の文化を理解するうえで、手っ取り早く、しかも有効な手段の一つは、料理法を含めた食文化や食習慣を知ることではないか、という確固たる持論が筆者にはある。したがって、事実、ブラジル学を推し進める過程のなかでも、そうした考えの下に、この国の飲酒文化や食文化について、フィールド調査を実施しながら研究をしたものである。一例を挙げれば、双方とも自身の専門領域(民族地理学)の視座からのものではあるものの、飲酒文化に関しては国立民族学博物館との共同研究のかたちで、他方、個人研究レベルではあるが、食文化と地域性に関連した事象に取り組んだ過去がある。いずれもブラジルを対象に据えたもので、その成果の一端はすでに、米山・吉田編『アベセデス・マトリックス:酒の未来図』(世界文化社)や、味の素食の文化センター発行の食文化誌「Vesta」に公になっている。
ところで、もしブラジルの典型的な料理が何かと問われればおそらく、シュラスコ(churrasco)、フェイジョアーダ(feijoada)、それにアホイス・コン・フェイジョン[=フェイジョン・コン・アホイス](arroz com feijão ou feijão com arroz)となるだろう。
何故なら、大陸規模の国柄のブラジルは、風土や民族的要素などによって地域性を帯びて食べ物(フー
ド)自体も様相を異にしているにもかかわらず、ことこの三つの料理に関してはそうした地域性を超えてブラジル全土に通有の存在であるからだ。言わずもがな、シュラスコはブラジル風のバーベキュー料理に他ならないが、その典型となれば、広大な草原パンパスの拡がる最南部のリオ・グランデ・ド・スール州の、伝統的な牧畜と深く係りのあるガウショ(牧童)たちの手になるものだろう。続くフェイジョアーダについては、その出自を巡って諸説があることで、すこぶる関心を抱いた筆者は、表層的ながら研究テーマにして取り組んだ時期がある。国民食であることに寸毫の疑いもないので、知り得た点のいくつかを、以下、紙面を割いて紹介したい。
フェイジョアーダという語には「混乱」という意味もあるように、この料理はいわゆる“ごった煮”である。本題で論じるフェイジョンという大豆に煮た豆を3時間くらい弱火でことこと煮詰め、これに豚肉の腸詰め、塩づけの牛肉、豚肉、干し肉、豚のあぶら肉、さらにイモなどを加え、土鍋でぐつぐつ煮込む。これに胡椒やレモン汁をかけ、砂糖キビを原料とする強烈な火酒(カシャッサ)とオレンジを添え、食膳に供する。料理の材料も方法も各地各様であるが、時間と手間がかかる代物である。前述の内容物のほかに、豚のくちびる、毛のついたままの脚、耳、尻尾、どうかすると鼻面が入っていることもある。研究家によれば、フェイジョアーダがレストランに登場するのは1920年になってからのようである。この起源に関しては従来、黒人奴隷に発するものとみなされていたが、今ではその説は否定され、地中海世界もしくは南欧に出自を求めるのが有力だ。フェイジョン料理と同様に、ブラジル国民には欠くべからざるものの一つであり、週に一度は「フェイジョアーダの日」が設けられている塩梅である。カロリーが高く胃腸に負担のかかるへビーな食べ物なので、美味しいからと言って毎回口にするのは禁物かもしれない。この料理は、日本でも最近見かけるブラジル料理店であればメニューの一角を飾っているので、すでに口にされた向きもあろうかと思う。
ところで、上記の料理と並んで、ブラジル人には欠かせない日常食がある。それは本題のアホイス・コン・フェイジョンもしくはフェイジョン・コン・アホイスと言われるものだ。字義の通り、アホイス(ライス)に、煮たフェイジョンを混ぜ合わせたもの。上記のように料理はいずれかでの名で呼ばれる。が、厳密に言うと双方の呼称には違いがあり、それはライスとフェイジョン双方の量の多寡で決まるそうだ。つまり、豆の量がライスよりも多ければ、「フェイジョン・コン・アホイス」となる。他方、双方の内、先に皿に盛りつけられるものの名で呼ばれるという解釈もある。いずれにせよ、その呼称は量如何によって決まるが、紙幅の都合で以下はフェイジョン・コン・アホイスと統一して記すことにする。
ブラジルは、フェイジョンの主要な生産国であると同時に、主要な消費国でもある。約40種類のフェイジョンがブラジルにはあり、料理に使われるフェイジョンは豆栽培地域の21%を占める。生産される量以上のおよそ30万トンが年間に消費されるので、今では、アルゼンチン、メキシコおよび中国から輸入されているそうだ。階層や地域の違いを超えた日常食であることから、レストランで食される料理の中で最も多く消費されるのはこのフェイジョン・コン・アホイスらしい。そして通常、他の料理と合わせて食べられる。その意味で、この料理はブラジル人にとっての食の中心を成しているような印象を受けるが、怪訝なことに、彼らの昼食および夕食の主食とはけしてみなされていない。フェイジョン・コン・アホイスなしには昼食および夕食は成立しないにもかかわらず、その点では彼らにとって主食はあくまで肉の類なのである。とは言え、植民地時代から今日に至るまで、フェイジョンは重要な食糧としてブラジル人の胃袋の足しとなり、エネルギー源となってきた。
そのフェイジョンの起源を巡ってはいくつかの説が存在する。が、ブラジル発見時にヨーロッパに存在していたものも含めて、中南米および南米説が主流である。中には、『食べ物と社会:食物史における社会的意味』(Comida e sociedade: significados sociais na história da alimentação)を著したカルネイロ・H・Sの如き歴史家のように、ブラジル人が食してきたものがアメリカ大陸起源であることを認めつつも、他方において、地中海や中東にファーヴァ(fava)と称されるソラマメの類のものが存在していたことを指摘する者もいる。ちなみは、豆は4万種類以上あるといわれるが、食料に適するのはそう多くないようだ。文献によると、ヨーロッパ人が到来した折のブラジル沿岸部では何種類かの豆の存在が、インディオの間には知られていたらしい。が、当の先住民はそれを食料として利用することはなかったようだ。フェイジョンが食料としての重要性を帯びたのは、ポルトガル人の到来と新種のフェイジョンが導入されてからのことである。主として河川を介して奥地を踏査した植民地時代初期のエントラーダおよびバンデイランテ(主にインディオ狩りや金・ダイヤモンド発掘のために、サンパウロから西部奥地に放射線状に入り込んだ探検隊)の奥地への進行の結果、領土が拡大する一方で、彼らの中には現地に留まりトウモロコシと並んでフェイジョンを栽培する者もいた。そしてこれらの農産物は、基本食料として少量の塩を加えて食されるようになる。ブラジルの民俗学者カーマラ・カスクードによれば、フェイジョンとトウモロコシは17世紀第一半期以降、ブラジルの食卓の中心を成していたとのこと。同様に、帝政時代までにブラジルを訪ねた年代記者や旅行家たちの手になる年代記等も、肉、ヤシの実と合わせて、通常、塩とマンディオカ粉を加えただけのフェイジョン料理が日常食であったことを指摘している。
地域的多様性に富んだブラジルだけに、そうした日常食も地域の特性に応じて食材に変化がみられるようになる。例えば北東部の干し肉が食材の一部になるなどはその一例だろう。が、あくまで食卓の中心は、マンディオカ粉を加えたフェイジョンを煮たものであり、フェイジョン・コン・アホイスではなかった。そして当時は、富める者も貧しき者もマンディオカ粉を加えたフェイジョンの料理が日々の食事であった。このことは、19世紀の旅行家サンチレール、バートンなどの記述書からも読み取れる。カスクードが、マンディオカ粉と共にフェイジョンが昔のブラジルの献立のメインであった、という指摘に通有の見方であろう。ちなみに、同じ料理でありながら、富裕層と社会的に底辺に位置する人たちとの間の違いは何だったのだろうか。つまりそれは、フェイジョンの質と量にあったようだ。富める者にとっての料理は上質のフェイジョン、それも量が多くて、濃密であったのに対して、貧しい者のものは低質のものが使われ、量的にも少なかったようだ。そのフェイジョン・コン・アホイスの食材であるフェイジョンは先述の通り、米国に次ぐ生産国でありながらブラジルは輸入に頼っている。多国籍の企業がこの分野に参入しているが、ブラジル市場を支配している状況にはない。しかも、生産量の40%が家内農業を含めた小中規模の生産者によって生産されているのは耳目を引く。
ブラジルマニアゆえに筆者は、これまで通算50回に亘ってブラジルの地を踏んでいる。これほどまでに旅した事由というか目的の一つが、まるで目のないフェイジョン・コン・アホイスを食べることにあったのは、あながち誇張ではない。であるから事実、ブラジルに逗留中は日に一度は決まって、シュラスコやフェイジョアーダには横眼も触れず、大皿に大量に盛ったフェイジョン・コン・アホイスに舌鼓を打つ。
ともあれ、食のグローバル化が進むブラジルであっても、フェイジョン・コン・アホイスが大多数の国民にとって今も日常食であることには変わりがない。しかも、主食とはみなされないながらも、階層や地域を超えて全国のどこであっても食卓には欠かせないものであることからすれば、ブラジル料理を表徴する最たるものであるのは疑いなかろう。それかあらぬか、フェイジョアーダ、シュラスコと並んでブラジル料理の三位一体をなすフェイジョン・コン・アホイスに対して、異国の地にあり望郷の思いに駆られるブラジル人が、強い憧憬とサウダーデ(saudade)の念を抱くのもおのずと頷けるものがある。