執筆者:塚本 恭子 氏
(元女優、ブラジルサポートサービス社代表取締役、茶房未来代表)

 

映画「GAIJIN」の1シーン

わたしとブラジルの出会いは、映画「GAIJIN・Caminhos da Liberdade」への出演でした。当時は軍事政権最後の時代で、国外へ逃亡していた多くの文化人、アーティストがブラジルへ戻ってきていた時期でもあり、私にとって、すべてが刺激的でエネルギッシュで、日本に帰国してからもブラジルへの想いが募るばかり。

 

結局、その後の私の人生はブラジルと共にあり、とうとうブラジル永住という夢を叶えて、残りの人生をブラジルで過ごすことになってしまいました。親戚も友人もだれ一人知っている人もいなく遠い存在だったブラジルでしたが、映画出演という仕事でブラジルと出会い、その後、ブラジル映画「GAIJIN2」、NHK開局80周年記念ドラマ「ハルとナツ」、ブラジル映画「汚れた心」へ関わることになるのですが、それぞれの現場を通じて感じた日本とブラジルの映画・ドラマ制作の違いを少しご紹介したいと思います。

 

1978年制作映画「GAIJIN-Caminhos da Liberdade」は、日系2世の女性監督チズカ・ヤマザキの最初の本編作品でした。内容は移民した日本女性が、多くの苦難を乗り越えて逞しくブラジルで生きていくという話で、山崎監督の祖母をモデルにした映画でした。先にも触れたとおり、軍需政権下で文化活動には規制があり、制作される映画は、政府機関であるエンブラフィルムという映画公社の許可を得た映画だけが制作できるという状況の中での撮影でした。監督は当時29歳、日系人、女性というそれだけで評判になっていたように思います。

 

メインスタッフもみな若く、ほとんどがリオデジャネイロ出身の若手映画人ばかりでした。ただし出演したブラジルの俳優はベテランを含めそうそうたるメンバーで、今現在も第一線で活躍中の方ばかりでした。軍事政権下、出演者もスタッフも反体制側の人間ばかりで、映画の中に反体制的なシーン・セリフが何気なく盛り込まれていました。最後は労働運動のシーンで終わるのですが、さすがにこのシーンの許可がなかなか下りず、警察の監視下で撮影したのを覚えています。日系移民の話をメインにはしていましたが、ブラジルの社会問題を描いていたので、カンヌ映画祭含め多くの映画祭で受賞したのだと思います。

 

全てが揃い、スケジュールも制作も隙のないほど緻密な日本の現場に比べると、山崎監督が新人であったということもありますが、製作費含めすべてに不足していて、テクニカル的なものは機材含め、非常に遅れていた現場でした。スタッフも出演者も映画を完成させるという想いと強い社会的意義を各自が持っていて、緊張した現場でした。言論の自由が制限されるということの見えない恐怖のなかでの撮影は、右肩上がり経済ばく進中だった日本の撮影現場にはない張り詰めたものがありました。

 

映画公開時も、各地での舞台挨拶、映画祭参加のためにブラジルを訪れ、グローボTVのドラマに出演する機会に恵まれましたが、やはりスタッフも俳優たちも社会的問題に対して強い意識を持っており、ブラジルらしく、笑いと時間通りに始まらない終わらない現場でしたが、常に皆の心の奥には緊張感がありました。

 

余談になりますが、その時の映画公社代表が、長期にわたり外務大臣を務めたセウソ・アモリン氏で、われわれの映画に多大な協力と理解をいただきました。リオの自宅に日本庭園もある大の日本贔屓だったセウソ氏のご自宅へは、当時、監督含めスタッフと共によく遊びに行きました。その時、ポルトガル語がよくわからない私の一番の仲良しは、セウソ氏の息子ビセンチ君だったのですが、33年後に「汚れたこころ」で監督となった、すっかり大人になったビセンチ・アモリンとの再会は驚きとともにうれしい出来事でした。

 

2004年、GAIJINの続編として「GAIJIN2-Ama me como sou」の映画製作を決めたと言って山崎監督が日本を訪れ、私も制作側そして出演と二股をかけた仕事をしました。カメラマン、美術などのメインスタッフは1978年制作のGAIJINに参加したスタッフでしたが、皆、それぞれの分野でブラジルを代表する映画人になっていました。当時出演した役者もトップクラスの俳優として活躍しており、山崎監督は、ブラジルを代表する映画監督として映画以外にも多くの作品を手掛けています。

 

もちろん軍事政権はとっくに終わっており、制作現場の様相も大きく変化し、大掛かりな撮影現場に驚きました。ブラジルの映画人は、ハリウッドで働いた人が多く、システムもすべてハリウッド形式です。また、ブラジルはロケ現場として海外から撮影隊も多く、撮影現場のレベルは非常に高く、ここ数年ブラジル映画が世界で注目されているのもうなずけます。

 

最大手グローボTVが、多くの映画に製作費を出資することでTVの放映権含め配給権を抑えてしまうので、映画制作プロダクションの意向と違ってしまうこともあるようです。ビジネスとしての映画製作現場のいい面と悪い面があると思いますが、若手監督も多く育っており、ブラジル人の俳優がハリウッド映画に抜擢される等、ブラジル映画界は活気があります。映画の国ブラジルというキャッチフレーズのチャンネルもあるくらいで、娯楽映画、コメディー映画、社会派映画等、ジャンルを問わずに多くの映画が製作されているのは羨ましい限りです。俳優のレベルも高く、高齢の役者も主役を務める作品が少なくありません。役者の層は確実に広がっています。

 

2005年NHK開局80周年記念ドラマ「ハルとナツ~届かなかった手紙」では、ブラジル側コーディネーターとして約2年間の仕事となりましたが、文化の違いと法律の違いでブラジル側制作会社と共に、できるだけ日本からのスタッフが仕事しやすい環境を整えることと、製作費削減のために走り回ったような気がします。

 

ブラジルは映画もそうですが、TVドラマ制作もハリウッド形式です。ハルとナツのドラマがかなり大掛かりなドラマであったということもあり、ブラジルの制作会社での準備は日本的な感覚とは全く違いました。また、ブラジルの労働法の問題があり、日本のように休みなく撮影をすることはできません。撮影が遅れていても休日は休日。スケジュール調整に日本側スタッフがイライラすることも度々ありました。日本の撮影現場はまさに3K状態というのが暗黙の了解。一人でいろいろな仕事をしなくてはいけないし、撮影終了後はプロデューサーも一緒に現場清掃もする時もありますが、もちろん、ブラジルではありえない話で、危うく裁判沙汰になりそうな場面もありました。

ただ、ブラジル人特有のあまり深刻にならないという面が、とかくビリビリしてしまいがちな現場が何度もフッと和みました。

 

2011年制作ブラジル映画「汚れたこころ」では、日系人俳優の演技指導や日本から来た俳優さんたちのフォロー、そしてビセンチ監督からの依頼でワンシーンだけ出演させていただきました。日本人、日系人が多く出演した映画でしたが、ビセンチ監督は海外生活の長いブラジル人監督だということもあり、現場は合理的に全く無駄のない現場でした。ブラジルの映画界は、海外で映画の仕事をしてきた人が多く、さらに若い人が多いので、これからが楽しみだと思います。

 

「汚れたこころ」は、日系人の勝ち組負け組を題材に、庶民が歴史の渦に巻き込まれていってしまうことの理不尽さ、悲哀を描いた映画に仕上がっています。ビセンチ監督はこの映画の前にナチスを描いた映画で、大学教授がやはり歴史の渦にのみ込まれていく様子を描き人種のるつぼであるブラジルらしく、映画製作も脚本も国というくくりを超えて自由です。TVドラマもインドや他の国を舞台に、ブラジル人俳優がインド人になったりしています。最初はえッと思いましたが、ブラジルはそれもありの自由さがあり、なんとそのドラマはアメリカのエミー賞を受賞してしまい、ブラジルならではの「あるあるブラジル」です。

 

ブラジルと日本の映画、TVドラマの制作現場は、基本的な部分は同じです。きっと世界中同じだと思います。ただ、ブラジルの場合、計算しつくした現場進行より、その場の空気を大事にしているような気がします。平均点を出しにくいのですが、まさにその自由さが今のブラジル映画、ドラマのパワーの源のように思います。GAIJINという映画に出演したことがきっかけとなり、ブラジルと日本に関係する4作品に関わり、現場を通じて表現、制作過程の違いを見てきましたが、観客を感動させるために大事なのは制作に関わる全ての人の想いであることは日本もブラジルも同じでした。

 

写真: 映画「GAIJIN」の1シーン

 

なお、下記のYOU TUBEもご覧ください。

​GAIJIN 1: ​https://www.youtube.com/watch?v=i_IHKd25ssg&t=9s

​GAIJIN2: ​https://www.youtube.com/watch?v=VcDwaO1VIC4&t=13s

​ハルとナツ:​ https://www.youtube.com/watch?v=5yRO172oICg

​汚れたこころ:https://www.bing.com/videos/search?q=coracao+sujos&view=detail&mid=CB20E9F7CC40F4124B69CB20E9F7CC40F4124B69&FORM=VIRE