執筆者:山岸 照明 氏
(Yamagishi Consultoria Ltda. 社主、元アマゾナス日系商工会議所会頭)

 

 

マナウス日本人学校

確か 今年の4月の上旬 マナウス日本人学校より電話を頂き、なんでも5月3日に生徒さん達に何か「話」をして欲しいとの、ご依頼を受けました。

取り敢えず、承知しました、と返事をしたのですが、私は小学校1年生より中学3年迄の児童へ「お話」をした事は無く、又、何を題材にして良いのか、考えて仕舞いました。

海外への日本進出企業へ就任する社員にとって、一番心配になる事はお子様方の教育問題と思います。日本政府は 日本企業の海外への進出条件を補助する一環として、戦前より各国に日本の学校を設立し文部省より選出された教員を派遣し、海外に派遣された方々のご子弟に日本と同様の科目により教育しています。教育課程は、日本の義務教育課程(中学3年生まで)ですが、高校へ進学出来る資格を得る事が出来ます。

戦後は1955年頃より1970年にかけて 日本企業の進出に伴い、日本人学校の設立が始まります。そして1974年第一次オイルショック後 約10年間の経済安定成長期にはいり、ほぼ世界中に設立が拡大されます。中南米も御他聞に漏れず、メキシコ、アルゼンチン、ガテマラ、コスタリカ、パナマ、チリ、パラグアイ、ヴェネズエラ、等に設立されてゆきます。

ブラジルは戦前より、日本人移民が多いので 戦前1915年には、サンパウロに日本人学校(大正小学校)が設立され、その後、補習校がサントスに設立されています。さて、マナウスですが、1979年(昭和54年)にはZFM開設(1967年)後 約12年、日本企業もSHARP,SANYO,GENERAL(GENTEK)、TOSHIBA,(SEMP-TOSHIBA)、ORIENT時計が既に稼働、そして Moto-HONDAが1976年には生産を開始していました。そして、この年10月これら進出企業各社による日本人学校設立に関する初の会合(総領事館)が開かれ、12月には 第一回代表者会議が開催されました。次いで1980年12月20日MOTO-HONDA社の社員クラブを仮校舎として マナウス日本人学校補習校 が発足しました。この日1980年12月20日を開講記念日と定めています。尚、この日に先立ち同年10月には補習校幼稚部が発足しています。

この補習校の管理運営のために、マナウス日本人子弟教育振興会を設立され、各進出企業より代表者を出し、管理が行われています。尚、翌年1981年にマナウス文化振興会と改称され、今日に至っています。そして同年、初代の加藤校長が着任、日本文部省正式認可校として授業を開始、小学部1年生2名が入学しています。

設立の趣旨として:-

  1. 日本人の子弟に対し日本国文部省が管轄する義務教育を行う。
  2. 日本語学習者に対し日本語を通し、相互の親睦と発展を図る。

そして、教育目標として:―自ら進んで学び取る子供。礼儀正しく、思いやりの有る子供。心と体を鍛える子供。を目指しています。

 

以上、文部省の義務教育科目に加え、現地の環境、社会見学、ポルトガル語、運動会、水泳、ブラジリア等への修学旅行も行われています。確か2000年 当初だったと思いますが生徒達のアマゾン川横断遠泳競技が行われ驚きました。将来日本を背負って立つ 子供達が アマゾンで受ける義務教育の経験は 子供たちの将来に如何に役立つことか計り知れません。

 

又、この学校の特徴として1991年(平生5年度?)より一般のブラジル人子弟の入学を許し、同じ授業を行って居ます。当然、ある程度の日本語が必要なので、殆ど日系の子弟ですが、両国の生徒が直に交流することで日伯の交流、理解が深まるのです。世界の日本人学校で、この制度を行って居るのはマナウスのみ、との事です。

 

この学校も設立40年を迎えようとしていますが、設立当時より進出企業の皆様のご努力と、日本より派遣される先生方、学校の職員の皆様の計り知れぬご苦労と ご努力に在留邦人のひとりとして敬意と感謝の念を捧げる者であります。最後に5月3日に生徒さんたちにお話しした概要を添付致します。その後、全生徒さんよりお礼の寄せ書きを頂き、感激致しました。

 

講義の内容

 

1)アマゾン川とマナウスの発展

皆さんマナウスは、ネグロ河とソリモンーエス河の合流点にあり、ブラジルではこの合流点より河口のBEREM に向かい約1,700㎞の河をアマゾン河と呼んでいます。全長7,570k。 アフリカの ナイル川 が 6.85km  で、二番目です。

もともと、大昔、アフリカ大陸とつながっていた時代には、東西を貫く低湿地帯が存在したそうです。そのうちに、アフリカ大陸とアメリカ大陸は分裂したのですが、湿地帯は東より西に海水が流れていました。さらに新大陸の西寄りにアンデス山脈が 隆起し、西側に流れていた海水はアンデスより東に方向を変え、約1千百年前に現在のアマゾン川が生まれた、と言い伝えられています。

ですから、ご存知の通り現アマゾン川には淡水魚化した海の魚が沢山います。イワシなどがよい例ですが、多くの海の魚を見ることができます。 こうして出来上がったアマゾン川流域は750万平方kmと言われていますが、この総面積の約62%がブラジル領です。そして、この広大な流域の熱帯雨林は多くの天然資源、大河よりの水産資源を我々人類に与え、また、地球の気象現象にも大きな役割を果たしています。

この地方に先住民族と言われるインデイオがやって来たのは、約1万500年前といわれています。東アジアの蒙古族が厳しい資源環境より逃れ、平和に生活を送れる新天地を求め、北米より、また、太平洋を渡り移り住んだと考えられています。

アマゾンには、衣、食、住の問題は無く、寒気、地震、台風等の天災も皆無です。その自然の恵みは、18世紀半ばに至り、天然ゴムのブームを呼び起こし、多大な富をアマゾンへ齎しました。ブラジルで電気がつき、市内電車が走り、上下水道が完備され、総合大学が開校されたのも マナウスが最初です。

ゴム景気が終わると、1930年代には日本人移民が インド麻の栽培に成功し、一時代を画します。折から、ブラジル 南東部 サンパウロを中心とする、コーヒー産業が勃興し、輸出の為に使う麻袋は輸入に頼っていましたが、アマゾンより供給できる様になりました。このように アマゾンの自然の恵みはブラジル経済に大きな貢献を股らしました。しかし、自然の富には数量も品質も限りがあり、先進諸国の新技術の開発と多量生産による経済効果には勝てず、ゴム景気は去り、天然資源に代わる、代替化学製品には太刀打ちできず、アマゾンの経済状況は、衰退の一途をたどります。

ブラジルの政治、経済状況も危機に陥り、1963年軍事政権が発足します。軍事政府は 過疎化の進むマナウスを活性化させるために、アマゾンの地域開発、輸入代替品の製造、ブラジル北部の安全を守る、三つの目的を追行する目的で、国家は多大な税制恩典を供与し、工業の誘致を奨励しました。マナウス自由港制度の誕生です。

最初に名乗りを上げたのは、日本のSHARPでした。次いで PANASONIC,SANYO,そして1975年にはHONDAが進出してきました。当時の日本企業の海外進出意欲は素晴らしく、未だ 何も無いマナウスへ進出が始まり、その日本のリーダーシップのお陰で、1970年代には、約50社の企業が操業を始めています。自由港の制度は当初 1973年迄、とされましたが、現在は 2073年迄に延長されました。開設当時 わずか 20万人足らずの 過疎化の進むマナウスは2018年現在250万人の都市に変貌しました。

色々な課題はあるにせよ、南米の開発プロジェクトでは突出した成功例で、この結果は、日本企業の進出に依る事は 衆知の事実で、我々在留邦人の誇りであります。

 

2)現地社会との交流

皆さん、「待ちぼうけ」と言う童謡を ご存知ですか ?私が小学生のころ、教わった事ですが、この童謡は、「ある お百姓さんが畑を耕していると、ウサギが飛んできて、そばの 木にぶつかり死んでしまいました。お百姓さんはそのウサギを売ってお金を儲けました。そのお百姓さんは これは シメタ ! もう働くのは辞めて、又ウサギが飛んで来て木にぶつかるのを待とう、と毎日 木の下でウサギを待っていたのですが、とうとう二度とウサギは現れず、お百姓さんは作物も出来ず、死んでしまいました。」

この話の後で、先生は、「いいですか皆さん、君達は運よくウサギが飛んで来るのを待って居てはいけない。自分が欲しいことは ちゃんと計画を立て、実現することに努力しなければ、いけません。」と教えられました。今でも覚えています。

そうです、北半球の寒い冬を越すには、冬が来る前に 着るもの、食料。暖の取れる家を用意しなければ成りません。それが出来ないと冬は越せず死んでしまいます。それには、時間の観念が必要です。時間に沿って用意する計画も必要です。私は、マナウスに来て、現地の人達と接し、待てよ、此処の人隊は「待ちぼうけ」の話には当てはまらない」と気が付きました。

前記の通り、此処では人間が生きてゆく上の条件がすべて整っています。何もせずに 密林のなかに入れば、木の実は落ちてきます、ウサギで無くとも食物に成る動物は沢山います。川に行けば魚は幾らでも釣れます。時間を気にする事もなく、計画を立てる必要もなく生きてゆけます。私が申し上げたい事は、人の考え方や 習慣は全て、その人の生まれ育った環境に依る、と言うことです。

人間の能力は今や勿論、自然の恵みでは果たせない、高度な生活をする為の必要度に成っています。したがって 学ぶことが必須ですが、外国の人と付き合うためにはその人々の生まれ育った環境を良く理解し、接することが必要です。

日本より、赴任されて来られる方々は、その 環境の違いは即 時間の観念、無計画な行動に 驚き呆れます。しかし、それは、教えなけばならぬ事である事を良く理解する必要があるのです。

 

3)環境問題。

アマゾンの 熱帯雨林を保存して行くことは、我々の責任と思っています。世界の温暖化現象を防ぐにしても、熱帯雨林の保全が必要です。しかし、熱帯雨林の保全技術も近代化が進み、新しい技術も多分に進展し、一定の年輪を経た樹木は切り、新しい植林をするのが、望ましい、という話を聞きます。

各企業の工業廃棄物の処理も、最近は処理業者も増え、近代化が進んでいます。確か、2008年頃ですが、日本のJICAさんのご協力を得て、工業団地の廃棄物のリストを二年かけて作り上げました。そこで分かった事ですが、何よりも大切なことは、各社の従業員の自然環境保全の教育です。すべての人々が環境保全に関する基礎的な知識を持つことが必要です。JICA さんのご指導により、2008年当時、確か86社の教育をいたしました。その後 SUFRAMAが 教育活動を引き継ぎ、各社の教育を行っていますが、現在すでに200数十社が、社員教育を行っているそうです。また、児童への教育も必要なので、アマゾナス日系商工会議所の小学校生徒への環境教育等も大変大切な事と思っております。子供の時よりごみの分別等の習慣を付けることが大切です。