『百と十年の轍(わだち)』を熱唱!

執筆者:小川 善久 氏
(日本ブラジル中央協会理事、BrAsia代表)

  いきなり私的なタイトルで初めてしまいましたが、2018年8月18日・19日の両日、ブラジルは南伯、ポルトアレグレで行われた「日本祭り」で、私、小川がブラジル日本移民110周年に思いを寄せて書き下ろした楽曲「百と十年の轍(わだち)」を会場内特設ステージで歌わせていただきました。ポルトアレグレの日本祭りとのご縁は今年で5年目になりますが、イベント自体は初回の数千人から2万、4万と増えて、今年は9万人もの来場者を記録した模様。そのような場所で歌わせていただいたことは実に光栄です。

そもそも、私は大学ではポルトガル語を専攻しておりましたが、在学中はもちろん、卒業後四半世紀、ブラジルに足を踏み入れたこともありませんでした。6年前に縁があって、本業の中国語研修会社「漢和塾」の中に、ポルトガル語研修のセクション「BrAsia(ブレイジア)」を設立、それ以降、出張ベースでは今回が12回目のブラジルにはなりますが、とても110年どころか戦後の移民の皆様の努力や苦労を語れる見識は持ち合わせてはいないわけです。

垣添ファミリー

そんな私が、今回このような楽曲を作らせていただいた背景には、戦後、ブラジルはアマゾンに入植した一人の女性の物語がありました。垣添恵子さん、御年77歳。5年前にこれも縁があって、サンパウロでホームステイを申し込んだ時に私の滞在を引き受けていただいた移民一世の女性です。ホームステイと言うと語学の勉強が主眼ではありますが、私の場合は運よく、彼女の64年にもわたる物語を毎晩きかせていただくことができました。もちろん日本語ではありますが、実に貴重な体験ができたわけです。

彼女はわずか13歳で家族とともにブラジルに移住、長い船の旅を経て辿り着いたのがアマゾン。灼熱の太陽と熱い大地を流れる大河、幼心に彼女は「いつかこの土地を出て都会に出るんだ!」とすでに心に決めていたようです。文字にし難いくらいの壮絶な体験もあったようですが、とにかく目の前の自分の役割を来る日も来る日も真剣に取り組み、両親や兄弟とともに支え合いながら頑張ってきました。そして彼女が20歳になった時、なんと一人でサンパウロにやってきたわけです。サンパウロの大手日系企業で働いた後、最終的にはご自分で事業を立ち上げるまでになり、二人の子供を育て上げました。今も腕っぷしは強く健康そのもの、気弱な私(53歳)をまるで息子のように励ましてくれます。

そんな素敵な出会いがあってからこそ閃いた歌詞がいかの通り・・・

 

あの歌は覚えていますか この花の名前も

川の流れも忘れるような 熱い大地のうねりも

長い旅で辿り着いた 長い道の始まり

守るべき家族がいて友がいた

何も恐れることなどなかったけれど

思い描いてた夢と 違う景色の中でも

前だけは見つめてた 轍の先を

胸に抱いてた夢は 色褪せることもないまま

世代を超えて 百と十年も超えて

いつまでも 伝えていきたい

 

この顔に刻まれてきた いくつもの思い出

溢れた涙は 汗と流して ひたすらに歩んできた

残したい物語と 揺るぎない生き様

継がれゆく先で生まれ変わって

幾重にも重なり紡がれていくだろう

思い描いてた夢と 違う景色の中でも

前だけは見つめてた 轍の先を

胸に抱いてた夢は 色褪せることもないまま

世代を超えて 百と十年も超えて

いつまでも 伝えていきたい

 

日本祭り音楽スタッフと本人

スペース使って二番まで歌詞を書き込んでしまいましたが、110周年だけではなく、120年、130年と継がれていく世代を思い、この先も生きている限りこの歌を歌い続けていきたいと思います。

ステージネーム ZENKYU / YouTube:ZENKYU CHANEL

『百と十年の轍(わだち)』

  1. 日本でのライブ映像 https://www.youtube.com/watch?v=EkkOYWZAOYI
  2. 現地でのライブ映像 https://www.youtube.com/watch?v=fLvZds2VTGo