執筆者:赤澤 賢史 氏(日本ブラジル中央協会理事)

 

  1. 受験勉強の戦略と内容

 

  • 日本地理の攻略と2013年とはいえ、通訳案内士試験の受験を決めたとは言え、まず何から始めて良いかもわからず、とりあえず家に戻ってインターネットで試験のことを調べてみた。すると、日本で唯一の語学に関する難関の国家資格であり、筆記試験は8月末の週末、口述試験は12月初旬、受験資格は特になく、ポルトガル語及び、邦文3科目と言われる日本歴史、日本地理、一般常識の4科目が筆記試験で必要になることがわかった。大学受験では地理は選択していたが、あいにく日本史はまともに勉強した試しがなくこれもコンプレックスであったため、勉強する丁度良いきっかけにもなった。

    さらに試験のことを調べてみると、筆記試験に合格するとその翌年度はその合格科目の筆記試験は免除になるが、大学入試センター試験や歴史検定での一定以上の成績、また一般(または総合)旅行業務取扱管理者資格なるものを取得した者には、邦文3科目の該当科目が永久免除となるとのこと。これは試験前に集中して勉強時間が取れない社会人受験生にとって朗報であり、使わない手はないと思った。

    2013年(平成25年度)の筆記試験には、もはや通訳案内士の願書提出の期間が残されておらず、仕方なく初年度は、その年の9月に行われ、丁度一時帰国を予定していた時期と試験日が重なり日本地理の永久免除が得られる一般旅行業務取扱管理者資格を取得することに決め、日本にいる友人に市販のテキストと問題集を送ってもらうように依頼した。なぜ友人に依頼したかというと、まだ通訳案内士試験合格など夢物語でしかなかったので、家族にも同僚にも通訳案内士受験のことは話したくなかったのだ。

    6月終わりにはそのテキストと問題集も届き早速勉強を開始した。日本地理とはいえ全く畑違いの観光地理や、JR等公共交通機関の運賃計算等に面食らいつつも、週5回のポルトガル語の授業と並行して何とか1カ月強の準備期間で合格することができた。

    ここで勉強に集中しすぎてうっかり2014年初にある大学入試センター試験の願書提出を忘れてしまい、2014年(平成26年度)の筆記試験受験において、邦文3科目のうち2科目を受験しなくてはいけなくなってしまった。このことは、少なくとも同年の受験では合格することができなくなってしまったことに等しい。駐在期間は基本3年間であり、最長5年間であることを考えると、これは大きな痛手ではあったが、もう乗り掛かった舟である以上途中で投げ出すわけにもいかず、来年の試験に向けて大学受験用の日本史のテキストと問題集をやることとした。そして、日本の勤務先に駐在期間の延長も自ら申し出た。

 

  • ポルトガル語の攻略同時に、今までどちらかというと会話重視であったポルトガル語の学習方法も大きく見直しをした。

    通訳案内士試験に合格するためには、そこで求められるポルトガル語の運用能力を養成しなければならず、それは、日本の文化・歴史・地理・食などに関連した葡文和訳及び和文葡訳能力、単語力及び説明能力である。もちろん、高度な文法能力も無ければ、まともな葡作文ができず減点だらけになってしまう。一方で、ポルトガル語通訳案内士試験に合格した人は周囲に誰一人おらず、通っていたポルトガル語学校でも過去に一人も合格者を輩出していなかった。大学も商学系で全く畑違いであり同窓生も頼りにならない。当然、年間100人も受験しない言語に対応する受験テキストなど存在するはずもない。

    そこで、つてを頼ったりすることは早々に諦め、最もメジャーな英語のテキストを参考にすることとした。手始めに最も有名なテキストとして「300選」と呼ばれるハロー通訳アカデミーの「日本的事象英文説明300選」をチョイスした。これには、「京都」、「生け花」、「天ぷら」等、通訳案内士試験で問われる300のキーワードについて3行程度で説明した和文と英文が対称に掲載されており、これらを効率的に暗記するために作られたものである。これの英文を葡文に置き換えて暗記すれば有効な試験対策になると考え、この翻訳を行うこととした。翻訳においては、数少ないがブラジルで手に入る日本を題材とした旅行ガイドブックや、サンパウロ日本文化センター図書館などがとても役に立ったが、とにかく日本の文化を取り扱った記事や書籍を集めるのが大変であった。この翻訳には1年以上の歳月を要したが、翻訳後には何度も復習して暗記しやすいように日本のオンデマンド印刷を利用して本の形式にした。

    さすがに就業時間外に週5回の授業を行いながら翻訳を行い、かつ日本史の勉強をすることはどうやっても時間を捻出することができなかったため、平日週2回の非日系の非日系ブラジル人の元ポルトガル語教師であるSylvia先生と、土曜日の日系ブラジル人のHiromi先生にお願いすることとした。なぜ、非日系と日系の先生の組み合わせにしたかというと、日系の先生だと日本文化に通じているので、細かい表現の違いが判る一方、「柔道」は「Jyudô」であり、「生け花」は「Ikebana」でそのまま通じてしまうため、それらを知らないブラジル人に対する説明に不足が生じるのである。

    また、並行して、Sylvia先生にはポルトガル語教師であった経験を最大限生かしていただくべく、Hiromi先生に添削していただいた葡文を更に見ていただくだけでなく、文法の指導も仰いだ。文法のテキストでは、一般的に外国人学習者向けに会話を強化するものでは足らず、最初はブラジルの大学受験予備校のテキスト、その後はブラジルの公務員試験のテキストを用いた。テキストを選定するにあたっては、効率性を重視して、いわゆる日本人になじみの深い多肢選択穴埋め問題を用い、かつ模範解答「Gabarito」とその説明が付いているものを選定するようにした。このやり方によって前置詞や時制の一致、冠詞、適切な動詞の選択等、多くの文法事項を効率的に学ぶことができた。

    さらに最近の試験では、300選ではカバーできない、「ゆるキャラ」や「インスタ映え」といった最新用語や、より深い説明や地域的な説明が少ないことから、日本政府が公式配信している「Japan Video Topics」から話題を60アイテム程選択して、これをポルトガル語で聞き取って書き起こしてSylvia先生に添削してもらったり、「英語で説明する日本の観光名所100選」や、「英語で説明する日本の文化 必須表現グループ100」といったテキストも翻訳して添削してもらった。特にポルトガル語での聞き取り・書き起こしの作業は、字幕が無いため1本わずか3~5分間のビデオに対して慣れてきても2~4時間を要し、非常に骨の折れる作業であった。

    結局、これらの膨大な作業は2015年の12月の口述試験直前までずっと続けられた。

 

  • 日本歴史・一般常識の攻略とお試し受験の2014年さて、2014年の受験勉強に話を戻すと、サッカー・ワールドカップ観戦などもあり、ポルトガル語の合格は早々に諦め、学習量はひとまず軽めにした(とはいえ予習復習だけで本当に大変だったが)。何はともあれ日本歴史に合格しなくてはならないので、8月までにとにかく一定レベルの日本史の実力を確保することに重きを置き、高校の日本史Bの教科書と資料集、そして受験予備校の1問1答を解いて知識を定着させる日々が続いた。一般常識については、大学の現代社会の教科書や試験直前対策情報などを用い、約2週間で仕上げて8月の通訳案内士試験に臨んだ。

    努力の甲斐あって日本歴史の出来は非常に良く、試験時間もだいぶ余る感じであったが、一般常識は惨憺たる状況であった。自己採点もしたくないくらいであった。ポルトガル語については、そもそも諦めていたのだが、意外にもある程度回答できたのは驚きであり来年への期待を感じさせるものであった。但しそれはあくまで、「知っている知識で何となく回答する感覚」に過ぎなかった。

    2か月以上待たされてようやく届いた11月の筆記試験の発表では、ポルトガル語は予想通り不合格であったが、日本歴史となぜか一般常識の合格は勝ち取った。どうやら一般常識は点数調整がなされたようだ。

    しかし、何が何でも学習負担の重い日本歴史の永久免除を取りたかったがために、その年の11月に行われた日本史検定2級を取得すべく9月からさらにもう1回転させるべく日本史の勉強中心で過ごし、何とかその願いも叶った。しかしながら、この試験は他の日本史の試験よりも難易度が圧倒的に高いので、あまりお勧めできない。

    大学入試センター試験も申し込んではいたが、さすがに既に合格している一般常識のためだけに一時帰国して仕事に穴を開けるわけにもいかず、それは受験しなかった。

 

  • 2015年、本番の年そして2015年、残された筆記試験の科目はポルトガル語のみであった。幸か不幸か、この年から外国語試験全体の出題割合が変わり、和訳重視から外国語訳重視になった。具体的には単語問題が無くなり、代わってキーワードについて3行程度の外国語で説明文を記述する問題である。この変更は私の今までの学習方法により近いものであり朗報であった。

    年初から口述試験が終わる12月頭まで丸々1年間、週末は一日中、平日も多くて2時間程度ではあったが、ひたすら翻訳やビデオの書き起こし、翻訳した「300選」等の暗唱、文法問題をこなす日々を過ごした。幸い、自宅マンションの前の道全体150~60メートル程が常時閉鎖されており、夜でも安全だったため、週2回位30分ほど深夜にジョギングをして体力維持とストレス解消にも努めた。

    8月に行われた筆記試験は、少々時間が足りないなと思いつつ、「既に学習した知識をきちんと反映して回答する感覚」を持って回答できたので、まず合格しただろうと確信した。11月の発表を待つと同時に、12月の口述試験の勉強を始めようと思ったが、さすがに精神的に疲れたのか9月中は全くやる気が起きず、その後も試験まであまり勉強に集中できなかった。

    11月に筆記試験の合格を知った後も、しばらく集中力が出なかったが、さすがに試験前2週間になった頃にはやる気も回復し最後の力を振り絞ることができ、初めての口述試験もとてもリラックスして臨め、試験官とも気さくに話す雰囲気で終えられた。

    翌年2月初旬、待ちに待った合格発表は、カンピーナスからの日帰り出張の途中に立ち寄ったサービスエリアの車中にてスマホで確認した。2年半に及ぶ長い戦いがようやく終わりを告げた安堵感と達成感で気持ちが一杯になり車中一人で涙した。公認会計士試験合格以来、20年ぶりの「長い厳しい冬を抜けて春になったような爽快感」を味わうことができた。

 

  • ブラジルで日本の試験を受験する困難また、通訳案内士、一般旅行業務取扱管理者、歴史検定、これらの受験は基本的に全て日本でしか行えないため、業務の都合も付けつつも一時帰国のたびに受験をすることも本当に大変だった。願書提出は基本的に誰かに依頼するしかない。

    テキストもアマゾンで日本の自宅に送っては郵送を依頼し、手元に届くのは約1か月後。急に手に入れることは不可能であり、全てを計画的に進めることが求められた。しかしながらその計画を指南してくれるアドバイザーもとうとう最後まで現れず、自分を信じて進む以外無かった。ここでは学生時代に苦労した公認会計士の受験経験が大いに役立ったと思う。

 

  1. 勉強を振り返ってみて試験勉強として約2年半、ポルトガル語に触れてから4年半という長きにわたり勉強に打ち込んだ結果として得られたものは何であったろうか?

    合格直後の2016年、ブラジルではリオ・オリンピックが開催されたが、私は大会ボランティア通訳として、多くのブラジル人達に囲まれながら大会に貢献することができた。2020年の東京オリンピックでもボランティア通訳を務める予定である。

    仕事においても、スペイン語なら読むことは大した苦労もせずそのまま読めるため、南米諸国の税制等を調べる際にもとても役立ち、イタリア語などのその他のラテン語も概ね伝えたいことは理解できる。

    ついでに、2016年末に5年間の駐在を終えて日本に帰国した後、ポルトガル語通訳案内士受験で得た知識を生かして、2016年(平成28年度)は英語通訳案内士、2017年(平成29年度)は中国語通訳案内士にも合格することができた。10年来の宿題を終えた爽快な気分である。おそらく日本の公認会計士で3か国語の通訳案内士資格を保有している者はまずいないであろう。もちろん試験に合格することと常に十分な実力を備えることは全く別物であるが、とりあえずこれらの語学を勉強してきたことについて、少なからずその結果を残すことができたことで、勉強中にいただいた周囲からのサポートに対しても恩返しができたかもしれない。旅行にあまり出られなくなったためにお金が少々貯まったのはおまけというか何というか。

    また、40代前半で難関と呼ばれる試験に合格できたのも大いに自信となった。よく巷では「中年以降は記憶力がガクンと落ちる」などと言われるが、感覚的には30代よりは少し身につきにくくなった感はあるが、そこまで大した落ち方ではないことを確認できたことも収穫であった。元々、成人以降一つの単語を2~3回で覚えられる訳はないのであり、20回で覚えれば上出来と思えば気が楽である。

    そして何より、古より変わらないポルトガル語は、やればやるほどその美しく明るい響きでどんどん好きになる不思議な言語である。私がどんなに頑張ってポルトガル語を使ってみても大武先生の偉業には到底及ぶものではないが、このポルトガル語の魅力に心底取りつかれてしまったことが試験勉強の一番の収穫かもしれない。