―セニブラ事業を通じて知り合った人々(日本人編)―

執筆者:川上 直久 氏
(日本ブラジル中央協会理事)

 セニブラ事業を通じて知り合った思い出の日本人を下記に紹介いたします。

 

★田中 文雄 氏

 

ブラジル人編をエリエゼル・バチスタ氏で書き始めたように、日本人編は当時王子製紙の社長を務めておられた田中文雄氏は絶対外せない人であります。同氏は王子製紙の社長を務めながら、日伯紙パルプ資源資源開発会社の社長も兼務されており、いわば日本側のセニブラの父だった訳です。一見穏やかで人が良さそうに見える風貌でしたが、これが交渉事において有利に働いたのです。相手がなめてかかったからでしょう、皆しっぺ返しを食らっておりました。それもその筈、この田中文雄氏こそ1958年に発生した王子労働争議解決の立役者だったその人であります(当時春日井工場長)。

1977年セニブラ工場の竣工式典に出席した同氏は、その3日後ブラジリアに政府関係者を訪問、ウエキ・シゲアキ鉱山動力大臣官邸にてブラジル国の『南十字星章』を叙勲されたのです。

1986年6月、同氏は奥様ともどもCVRDの招待により訪拍されました。その際マナウスまで足を延ばされ、声楽家であった奥様のために、マナウスのアマゾナス・オペラ・ハウスを特別に内覧させていただきました。通訳として全行程同行させていただいた私も思わぬ恩恵に浴したものでした。

 

★吉野 通 氏

 

ブラジル・チップ事業のF/S調査を行うため、1972年9月から年末にかけ4名の日伯合同調査委員会事務局員がリオに派遣されました。彼らはSecretary Groupと呼ばれて、そのリーダーを務めたのが当時まだ40歳を少し過ぎたばかりの王子製紙企画部の吉野氏でした。後年彼は王子製紙の副社長になられましたが、当時よりリーダーシップを遺憾なく発揮されておりました。彼は囲碁5段の腕前でした。いつだったか後日伊藤忠の中南米総支配人となる高坂氏がやはり囲碁5段とのことで、王子対伊藤忠の囲碁戦がありましたが、勝利は吉野氏に輝きました。

 

彼の面白い逸話をひとつ;ある日彼が伊藤忠リオ事務所を訪問した際、エレベーターの中で若いブラジル人女性と乗り合わせました。背の低かった吉野氏は少しふらついたため、そのブラジル人女性の胸に頭が当たってしまいました。その時とっさに吉野さんの口から出た言葉は「ペルダンォ」でも「ディスクゥペ」でもなく、「オブリガード!」するとその女性は「ジ・ナーダ」と答えた由。

後年、吉野さんとの会食の度にこの話が出て都度一堂大笑いをしたものです。なお、その場に居合わせた人の話では吉野さんが「オブリガード」と言ったのは事実だが、そのあとの女性の返事は誰かの作り話だとのこと。その吉野さんも2010年ご逝去、享年80歳でした。

 

★池浦 喜三郎 氏

 

元興銀頭取の池浦氏は、1978年春に訪拍され、CVRD社長に就任したばかりのJoel M.Renno社長と面談されました。ブラジル・チップ・パルプ事業に対する日本側融資の協調融資銀行団の幹事銀行が日本興業銀行であったことから、小生が通訳として同行。この時の小生の印象は、池浦氏は非常に明快かつ簡潔な物言いをする方だ、というもので、彼の通訳は非常にやり易かったことを今でもはっきりと覚えています。後日、下段に登場する伊藤忠の某課長が小生の机の上に池浦頭取の名刺があるのを見て「川上君、君は凄い人の名刺を持っているね。この人の名刺を持っている人はそうは居ないよ!」と、言われたものです。

 

★伊藤忠某課長(実名は伏せさせて頂きます)

 

仮にK氏としましょう。この方は業界や商品の専門知識も誰にも負けないくらいの大課長さんでしたが、すこ~し性格的におっちょこちょいなところがあり、いくつもエピソードを残してくれました;

その① MG州のサンタ・バルバラというところにFRD(既出)の山林があり、そこを視察に行ったときの話。適当なホテルがなく、昔修道院だったところを改造したホテルに泊まりました。そのホテルのトイレは頭上に水タンクがあり、タンクからつり下がっている紐を引っ張って流す仕組みでした。K氏が

力任せに引っ張ると、何とその水タンクが落下するというタンク落下事件がありました。

 

その② セニブラの事業地域にヴィルジノーポリスという町があります。この町は名前の示すとおり若くて美人女性の多い町でしたが、もうひとつの名物に「ジャブチカーバ」があります。辞書でこの言葉を調べると「キブドウ」とありますが、木の幹から直接ブドウのような果実が成るという日本では絶対に見ることの出来ない変わった果物です。結構甘酸っぱくて美味しく、この町では毎年9月に「ジャブチカーバ祭り」を開催、各家庭ではこの実からワインを作ったりしております。K氏はここを訪れた際、洗面器いっぱいのジャブチカーバを一人で食べてしまいました。その日の夜、K氏が何十回もトイレに駆け込む羽目になったことは言うまでもありません。

 

その③ MG州を訪れたことのある人なら少し足を延してオウロ・プレットを訪問されていることと思います。そしてオウロ・プレットを訪問された方は近くのマリアーナ金鉱まで足をさらに延されたことと思います。K氏もその例に洩れず、マリアーナ金鉱を訪問しました。今は廃坑になっているかつての金鉱

が観光客用にトロッコで300mほど廃坑の中を下りながら見れるようになっていますが、終点でトロッコを降りたK氏はそこから坂道を走りだすように下り始めるではありませんか。最後は地下水がたまっている地底湖みたいな水たまりに胸までどっぷり浸かってしまったという全身ずぶぬれ事件。

 

と、いくつかK氏にまつわるエピソードをご紹介しましたが、私はこのK氏を非常に敬愛しており、かつ尊敬もしておりました。彼が伊藤忠を離れる時も公的な送別会以外に個人的に送別会をやる機会を作ってもらいました。なお、このK氏は今でもご健在です。