執筆者:山本 綾子 氏
(『ブラジル・カルチャー図鑑』編著者)
- 最後の単位取得~中間発表、そして本帰国
2016年4月、生後3か月の娘を連れ、東京から約30時間かけてブラジリアに戻りました。里帰り期間はほぼ大学の春休みと重なったため、ほとんど休むことなく次の新学期が始まりました。初めての子育てで睡眠時間も十分とれない生活ペースとなり、さらに決定的な出来事として、夫の仕事の都合でそのわずか3か月後の7月に本帰国することが決まり、自分と子供だけブラジルに残ることは現実的でない、という事態になりました。
いい加減休学か退学するしかない、と思いつつ大学へ相談したところ、まず出産では1学期間しか休学は認められず、さらには、これまで取得した単位は他大学へ移管することもできないと宣告されました。私としてはこの時点でもうエネルギー切れ。これまで受けた講義、取得した単位、途中まで書いた論文のことを考えると真っ暗な気分になりましたが、指導教官はとにかく前向き。「とりあえず、今のうちに全単位取得すればいいし、修論は日本で完成させればいいわよ。帰国後は、メールとスカイプで指導するから」と。そんな言葉をいただけると生徒としては引き下がるわけにもいかず、目の前のことをこなしていこうと決心しました。
そこで、2016年前期は、6月に最後の単位取得のため、3日間各6時間通しの集中講義を受講しました。授業が終わり、暗くなってから車を運転して帰宅すると、ベビーシッターが生後5か月の娘をお風呂にいれて待ってくれていました。彼女に感謝しつつ、とにかく綱渡りの状態が続きました。毎晩、ベビー就寝後は12時半まで課題に取り組み、全30単位取得ののち、修士論文の中間発表(Qualificação)を6月29日に行いました。その日の夜から5日間で梱包作業を終え、アパートを引き払い、ホテルに移動、さらに3日後にブラジル最終日を迎えました。
最終日の午前中は、ブラジリアの聖なる場所、ドンボスコ教会とカテドラルを拝観し、午後は最後のショッピング。合計18個のトランクとダンボール、そして何より大事な生後6か月のベビーとともに帰国しました。
- 本帰国後の修論執筆~口頭試問
帰国後は、ゼロ歳児を抱えながら、家探しや家具の購入からはじまり8年ぶりの日本生活に慣れるまで、あっという間に3か月が過ぎました。その間、修論のことが頭から離れないものの、手をつけられず、さすがに記憶が薄れていくことに不安を感じ、10月頃から子供をベビーシッターなどに預け、少しずつ続きを書き始めました。指導教官には、時々連絡をとって添削をしてもらい、日本で出会ったポルトガル語の先生の協力も得て、2017年1月末に修論の最終提出をすることができました。
そして、いよいよ口頭試問(Defesa)。実はこれにも一悶着あり、前年6月の中間発表時点では、指導教官はスカイプで口頭試問できる、過去にカナダに転居した学部生がやったことがあるし大学院も大丈夫なはずと言われ、スカイプによる口頭試問の日時まで決めていました。
ところが、1か月前になり、大学院の理事会が、口頭試問は2017年3月中にブラジリアで対面式にて実施しなければ不合格という、「とどめの一撃」とも言える判断を下しました。指導教官も協力してくれて、理事会に対し特別な事情は何度も訴え、せめて口頭試問の日程を遅らせてもらえないかと要請しましたが、理事会側は「規定は変えられない」の一点張り。議論の余地はありませんでした。先生方は常に生徒に寄り添ってくれたものの、大国ブラジルの連邦大学の計り知れない高くて厚い壁を感じました。
ブラジルで口頭試問をするのは理想だし、先生方やクラスメイトとも感動を分かち合いたいと思いつつ、1歳2か月の子供をどうするか、飛行機のチケットの手配は…何より、ブラジルまで往復して不合格となったら…そんな思いが頭をめぐり、これは卒業できない運命なのかもしれないと本気で思いました。ところが、口頭試問の指定日が近づいた頃、なんとかチケットを手配することができ、子供を預ける一時保育の予約も偶然に複数日とることができました。子供は実家の母親と主人に任せ、無事?単身ブラジルへ行くこととなりました。
2017年3月21日、2回乗り換え、アメリカ経由で約8か月ぶりにブラジリアの地を踏みました。12時間の時差ボケを感じながら、到着直後は懐かしい校舎へ出向き、先生方に再会し、翌日の口頭試問の最終確認をしました。そして、翌日午前中、無事に口頭試問が終了。審査の教授陣は、指導教官の他もう1名と、外部審査員としてポルトガルのポルト大学の先生がスカイプで参加しました。2014年に通い始め、次から次に立ちはだかる壁をその都度乗り越えながら、綱渡り状態でゴールに到達した瞬間でした。
- ついに修士号取得
約2か月後、ブラジリア連邦大学の修士修了証明書が正式に発行されたと連絡をもらい、7月に証明書と製本した論文が手元に届きました。実は、3月に口頭試問を終えた後も、通常、身分証明書に記載されている両親の名前が外国人の場合は記載されていなかったため、別途それを証明する書類の提出を求められるなど、最後まで油断できない状態が続きました(結局、戸籍抄本を翻訳したものを提出)。手にした証明書は学長の手書きサインとホログラムがついた「本物」であることを確認し、深く深く安堵しました。
ちなみに、肝心の修士論文のテーマは、「地方観光と地域活性化における民芸品の貢献-ペルナンブーコ州と博多の女性の活動を通じて」(論文執筆名はAyako Oiwa)。このテーマを選んだ理由や研究内容についても長いストーリーがあるのですが、また別の機会があればまとめてみたいと思います。
この修士号取得を通じ、ブラジルの大学院で本格的に学問に取り組んだり、研究をまとめる経験に加えて、指導教官やクラスメイト、語学の先生、ベビーシッターまで多くのブラジル人に助けられた暖かい思い出を得ました。その一方で、世界で最も「Burocrático(お役所主義的)」とも言われるブラジルの制度主義を実感しました。それを突破するのもまたブラジル人のポジティブさやJeitinho(ブラジル流の臨機応変な解決法)であったわけで、そんな両極端な面に翻弄されながらも、どうにか一つの夢を実現することができました。この体験記が、ブラジルの大学で学んでみたいという方の一助になれば幸いです。