碧川琢哉
(ブラジル高砂香料(有)取締役)

アマゾンからバイーアへ
高砂香料のブラジルへの進出は1963 年にパラ州トメアスに設立された高砂アマゾン香料植物研究所に始まる。トメアスは州都ベレンからアマゾン川の支流を220 キロほど遡った奥地にある戦前からの日本人入植地である。移民事業を行ったのは鐘淵紡績(のちのカネボウ)も出資する1928 年に設立された南米拓殖という会社である。その後、日本人移民が持ち込み栽培に成功した胡椒が1950 年代に高騰し、この地域に繁栄をもたらしていた。ただ、しばしば根腐れ病により大きな被害も受ける事から、トメアスの農業協同組合では単作の危険性を避ける意味で胡椒以外の栽培作物の移入と胡椒の増産および胡椒油の抽出工場の建設を希望していた。この話がトメアスと関係の深かった鐘淵紡績を通じ、高砂香料に持ち込まれた。1962 年に当時の社長中西健次が現地を視察し、抽出工場への参画と香料植物栽培の試験農場を設ける事を決意し、25ha の土地を購入する事となった。
その土地は原生林といってよく、農地造成から始めなければならなかった。初期の駐在員は電気も水道もない奥地でマラリアと闘いながら原生林の伐採を行い、2年をかけ苗木の農場をつくった。試験農場では日本国内、台湾、インドネシア、中国、インドなどで育てた挿木苗や種を持ち込み、シトロネラ、パチュリ、サフロール樟、リナロール樟、カシアなどの栽培に取り組んだ。その後、1964 年に高砂香料は鐘淵紡績、トメアス農業協同組合との合弁でブラジル鐘紡化学を設立し、胡椒油の抽出工場の操業が始まった。
ただ、3年後、病害による胡椒の原料供給が止まったことにより合弁会社は解散を余儀なくされた。その後、1967 年に高砂アマゾン香料植物研究所と既存のトメアス駐在所を統合し、BRASESSENCIA TAKASAGO LTDA. を設立した。数年間の試行錯誤の後、トメアス地区の過酷な自然環境での事業継続は困難と判断し、より香料植物の生育に適したと思われたバイーア州タペロアに拠点を移すこととなり、1975年にカシアを主としたプランテーションを開設した。
タペロアの農地には、カシア油の抽出工場も設置され、敷地面積1,300ha の大農場に発展した。シナモンの一種で菓子や飲料などに使われるカシアは、高砂がブラジルに初めて持ち込み本格的なプランテーションを開設したものである。しかし、生育の良いカシアでも、市場の一般的なカシア油と成分組成が若干異なることから成分の調整が必要となるなど、現実的には採算のとれない状態が続いた。その後、2000 年代までタペロアでの農場経営は続けられたが、採算が改善される見通しがないことから、2003 年に完全撤退する事となった。40 年に及ぶ幾多の高砂社員の尽力も空しく、ブラジルにおける香料植物栽培の歴史は幕を閉じた。

サンパウロでの調合香料事業へ
この間、高砂香料は、調合香料の製造販売事業にも進出している。1973 年に香料原料の輸出入拠点としてサンパウロに駐在員事務所を設置した。その後、現地香料メーカーでのフレーバー(食品香料)の委託生産販売を開始し、1978 年からはサンパウロ市サントアマロに自社工場を立ち上げ菓子や飲料などに使用されるフレーバー、香水・石鹸・洗剤などに使用されるフレグランスの開発と製造販売を始める事となる。その後、サントアマロ工場が手狭になったため1990年にサンパウロ郊外バルエリ市の新工場に移転したが、当時、年率3,000%にもおよぶハイパーインフレで経済が混乱する中で経営不振に陥り、大規模なリストラを余儀なくされた。事業は大幅に縮小せざるを得なかったが、その後は小規模ではあるが堅実な経営をつづける事ができ、2011 年には、サンパウロから北に75 キロ程のヴィニェード市にある現所在地に移転する事となった。46,000㎡の敷地にブラジルでの本社機能を有する本部棟、フレーバー部門とフレグランス部門がそれぞれ研究所、工場、マーケティングと営業部門を持ち活動している。従業員は100 名程であるが、社長以下要職は全て現地化しており、日本からの駐在員は2名で運営している。
1963 年のトメアスでの高砂アマゾン香料植物研究所の設立から既に56 年の歳月が過ぎようとしている。その間の多くの先人たちの想像を絶する苦労を偲ぶものは、トメアスの日本人移民資料館に保管されている「高砂香料工業株式会社アマゾン香料植物研究所」と書かれた看板のみとなってしまった。高砂香料はブラジルでの香料植物栽培からは撤退したものの、現在もインドネシア、マダガスカル、米国フロリダなどでの天然香料事業は継続されており、長期的視野にたった事業を展開している。近年、植物由来の再生可能な資源への関心が高まっているなか、天然香料確保の重要性は以前にもまして大きくなっている。その意味でもブラジルでの40 年におよぶ香料植物栽培事業の経験は現在そして未来に生かされてゆく事であろう。