執筆者:岩尾 陽 氏
(日本ブラジル中央協会理事)

「レシーフェのイメージ」

 

ブラジル、ペルナンブコ州の州都であるレシーフェは、2014年にブラジルで開催されたサッカー・ワールドカップで、日本チームの初戦が開催された都市としてサッカーファンの日本人の間でも、その名は少し知られるところとなりました。

しかし残念ながら、まだまだサッカーの開催地以外の事はほとんど日本では知られていないと思います。ワールドカップ開催時の日本向け情報には、ブラジルで一番犯罪が多い街などと言われ、あまり肯定的な情報は無かったように思います。 それも一つの事実ではありますが、南米のベニスと呼ばれ、エメラルドグリーンの海に面した海岸線が何十キロも続く美しい街でもありますので、個人的には残念に思います。 しかし、実はペルナンブコ州レシーフェ市と日本は、スポーツ以外にも知られざる深い繋がりがあります。 その繋がりに、私も個人的に関わることが出来ていることを幸せ且つ誇りに思っています。 今回、私がオルケストラをサポートする事になった経緯や、バイオリンやバイオリン弓に就いて、日本ブラジル中央協会のホームページ向けに、数回のエッセイを書かせて頂ける事になりましたので、記憶を頼りながら思いつくままにお伝えしたいと思います。

 

「フェルナンブッコとバイオリンの弓」

 

ブラジルに関してそれなりに精通している方々も、ペルナンブコという名前を聞いて想起できるのは、ブラジル北東部の州名程度だと思います。 しかしながら、インターネットでペルナンブコあるいはフェルナンブコ(クラシック音楽界、バイオリン製作の世界ではむしろ、このフェルナンブコの方が有名です)と検索して頂くと、情報の大半が「バイオリン弓の材料として世界一」であるという事を伝えています。 そのバイオリン弓材であるブラジル木(PauBrasil)の紅色成分ブラジリンが貴重な高級染料として16世紀初頭から大量に伐採されヨーロッパに渡りました。その成分名がブラジルの国名の由来になったのは良く知られたお話です。勿論、当時はヨーロッパで生地などの染料に使われたのですが、18世紀になると、Pau Brasilの見た目の美しさに加えて、その強くてしなやか、かつ素晴らしい音響がバイオリンの弓材としても大変に適している事が判りました。そして、特にフランスの有名な弓職人たちがペルナンブコ産のPau Brasilを使った弓製作を開始し、Pau Brasilは一躍、良い弓の材料としてバイオリンの世界では有名になりました。

 

「物語の始まり」

 

ペルナンブコ州の州都レシーフェ市に住むジョアン・タルジーノ氏(Joao Targino)はペルナンブコ州の判事であり、私の親友でもあります。彼はボランティアとして、2006年から,レシーフェ市でも最悪の貧民街(ファベーラ)の子供達にクラシック音楽を通した教育、具体的には子供達にバイオリンなどの弦楽器を与え、弦楽オーケストラOrquestra Crianca Cidada(以下、オルケストラ)の活動を始めました。後で詳しく述べますが、オルケストラは2014年10月に現ローマ法皇から招待され、バチカンに於いて御前演奏を行いました。当時のオルケストラは、既にブラジル国内に於いては幾つかのTV番組への出演、ブラジリアの大統領府で時の大統領への献奏などの経験がありました。また、2012年9月には3大テノールの一人、ホセ・カレーラスがわざわざオルケストラ訪問のためにレシーフェに立ち寄った事などで、一部の人々の間で少しは知られる存在になっていました。そのオルケストラに楽器の修理などで関わっていたジョン・バチスタさんと言う人が居りました。 彼は惜しくも数年前に、83歳で他界されましたが、若い頃からバイオリンと弓の製作に打ち込んでいました。

 

「Pau Brasil の木」

 

まだオルケストラがローマ法皇に招待されるずっと前の事ですが、日本に居た私のもとにジョアンから連絡がありました。  「バチスタ氏が若い頃から、50年以上にも亘りコツコツと蓄えてきたバイオリンの弓材、ペルナンブコ材が26000本あるが、彼ももう高齢かつ前立腺癌も悪化して悪化おり、この先何年生きるかわからない。 もし彼が死んでしまったら、この貴重なペルナンブコ材が、価値の判らない人びとによって燃やされ、すべて灰になってしまうかもしれません。 何とか日本で購入者を捜してもらえないだろうか?」というお願いでした。 私はその話を聞き、実際、見事に整頓保存されているペルナンブコ弓材の写真を見て、これは世界の人類遺産に匹敵するほどの価値がある物と直感しました。 バチスタさんの話によると、50年前にはまだ、ペルナンブコに住む多くの人達は、Pau Brasilがバイオリン弓の材料として、そんなに貴重なものとは知らず、大半がパン屋の窯やピッツア窯あるいは工場のボイラーの薪として使われていたそうです。バチスタさんは長年に亘って、パン屋や工場に薪を配達するトラックの荷台に登り、バイオリンの弓に適当な材木片をコツコツと探し、トラック運転手から直接一本一本買い取ったものだそうです。

「文京楽器が興味を示し、商談成立」

私は早速、日本でバイオリンや弓を制作している2つの会社に連絡を取りました。 その内の一つ、東京にある文京楽器が興味を示してくれました。文京楽器は初心者から世界のトップクラスのバイオリニストまでを顧客に持つ、日本のバイオリン製造及び販売の老舗です。 当然ながらトップクラスのバイオリンプレイヤー向けに、ストラディバリウス、グァルネリ、ガダニーニを始めとするヨーロッパの希少且つ有名なバイオリンの売買もしています。日本を代表するバイオリニストである千住真理子さんのエッセイ「千住家にストラディバリウスがきた日」の中に出てくる「幻のデュランティ」を斡旋したのも文京楽器です。 同社のバイオリン製作者であり、当時取締役でもあった堀さん(現在は社長さんです。)と話が繋がり、早速ブラジルから送ってきた弓材在庫の写真を見せたところ、「現在、ブラジル木はワシントン条約の絶滅危惧種付表2に指定されており、取扱いが厳しく制限されているので、おそらく取引はできないかもしれないが、この在庫は世界のバイオリン弓製作の長い歴史の中でも質量ともに空前絶後の測りがたい価値のある資産」との判断でした。 もし可能であれば、日本に輸入したいとの意思表示を頂き、すぐに文京楽器とバチスタ氏の間で値段の交渉が始まりました。最初は両者の間で相当な金額の開きがありました。しかし、バチスタさんも前立腺癌が悪化し、治療費も嵩んで来た事、そして何より今売却できなければ、自分の死後26000本のPau Brasilが、価値の判らない人々にどう処分されるか心配であると言う事情もあり、早めに売却したい強い希望がありましたので、値段交渉も何とか両者にとっても納得のいく価格で纏まりました。

「ブラジルでPau Brasilの検査に立ち会う」

私と堀さんは、直ちにペルナンブコ材の現物を検査すべく、そして契約が出来ればそのまま現地からの船積みに立ち会うべく、友人ジョアンとバチスタ氏をレシーフェ市に訪ねました。案内されたバチスタ氏の工房に整然と保管されていた26000本の弓用ブラジル木を見て、堀さんもその材質の素晴らしさに大喜びでした。私も素人ながら、弓材の断面に浮かぶキャッツ・アイやタイガー・アイの宝石のように光る縞模様の美しさに魅せられました。

「ファベーラのオルケストラの印象」

バチスタさんの工房を訪れた後、ジョアンが創設し、バチスタ氏が楽器のメインテナンスを担当しているオルケストラの練習を見学に行きました。治安上の問題を避ける為か、練習場は市内でも最も安全な陸軍の施設内にありました。 我々が訪問した当時は、6歳から21歳までの少年少女達の楽器演奏技能別に、A、B、Cと3つのレベルのオルケストラに分けられていました。

オルケストラ練習風景

当時のオルケストラはコッキ(Coque)と言う地域のファベーラの子供達を主としたメンバーで構成されており、団員は130名程でしたが、2019年現在はレシーフェ市やその近郊に4拠点まで拡大し、メンバーも300人を超えるようになりました。

レシーフェでも最も貧しいファベーラであるコッキの子供たちが楽しそうに、そして活き活きとバイオリンを弾いている姿は本当に感動的でしたし、何といっても団員の子供たちの目の輝きが印象的でした。翻って、なんでも簡単に手に入り、物質的には恵まれている筈なのに、将来に夢を持てない、昨今の多くの日本の子供達を思いつつレシーフェの子供達の屈託の無い明るさを見ていると、人生における本当の幸せや価値について深く考えさせられてしまいました。 おりしも日本では村上龍の「希望の国のエクソダス」が発表されて数年後の事でしたので、私はその表紙の帯に書かれていた「この国には何でもある。だが希望だけがない。」と、2019年の今も続く、と言うより益々濃くなりつつある閉塞感がその頃にすでに漂い始めていた日本を思い浮かべ、あるいは、さだまさしの「風に立つライオン」に歌われるナイロビの子供たちの目の輝きを思い起こし、内心穏やかならず寂しい気持ちに襲われた事でもありました。

「何故、オルケストラを作ろうとしたのか」

ジョアン達がオルケストラを組織した目的の一つは、バイオリン音楽や集団生活を通して子供たちに、将来の生活に必要な教養やルールをわきまえた健全な社会人に育って貰いたいという事でした。 そんな環境から、オルケストラ卒業生の中にはヨーロッパの有名音楽大学などに留学した若者や、プロのオーケストラのメンバーとして活躍している人も出てきています。また、レシーフェ市や近郊の街で小さな町のバイオリン教室の先生になった若者もおります。 ファベーラでは暴力事件や麻薬問題などが当たり前ですが、オルケストラに通うことで新しい世界を経験し、将来に夢を持つことが出来るようになった子供たちを見る父兄の喜びは如何ばかりでしょうか。 もともとカトリックの信仰心の篤い父母が多いのですから、例えば、ファベーラで育った自分の子供たちが飛行機に乗ってイタリアに行き、バチカンに於いてローマ法皇の御前で演奏できる事などは想像もできなかったような素晴らしい経験になったと思います。その父母たちが喜びの涙を流しながら私達に話す姿に接して、私はオルケストラの意義や存在価値が十分に理解できました。

ジョアンは軍隊の敷地内に幾つかあるオルケストラの練習場を案内してくれました。将来はそこにバイオリン製作の学校と工房を作り、子供たちが将来経済的に困らないように、その手に技術を付けてやりたいというのが彼らの夢であり希望でありました。 後述しますが、そのための場所の確保や工場建設、工作機械設置などの計画が、2019年の今日現在、少しずつ具体化しつつあります。

「鈴木メソッドの影響」

さてオルケストラの施設を見学していて、堀さんと私が一番驚いたのは、練習場の建物の外壁面に大きく掲げられていたある物でした。それは、バイオリンの才能教育法では世界的に高名な「鈴木メソッド」の創始者である鈴木鎮一先生のお言葉をポルトガル語にした掲示板でした。

 

右:堀さん、 左:筆者

そのタイル作りの掲示板にはポルトガル語で次のように書かれていました。

”私の最大の望みは、世界の総ての子供たちが素晴らしい才能に

恵まれ、人間的に素晴らしい創造物であり、幸せな人になる事です。

私は自分の総てのエネルギーをその実現の為に捧げます。何故なら、

総ての子供たちはその資質を持って生まれてくるのだと言うことを私は

確信しているからです。”

日本から一番遠い、地球の反対側ブラジルの、しかも北東部ペルナンブコ州レシーフェ市の軍隊の敷地内に、鈴木先生の有名な「お言葉」がポルトガル語に訳されて掲げられているとは、おそらく鈴木メソッド(公益法人 才能教育研究会)の本部も知らないだろうと堀さんも私も思い、かつ深い感銘を受けたのを覚えています。

「輸出手続きの開始」

そうこうしている内に、堀さんによるペルナンブコ材の検品も終了し、我々はワシントン条約の絶滅危惧種の輸出に関する監督機関であるIBAMA(ブラジル環境・再生可能天然資源院)のレシーフェ支局を訪問しました。事務所の裏庭には、違法な捕獲や飼育のために没収された様々な小動物や、ブラジルを代表する美しい鳥Tucano(オオハシ鳥)を始め珍しい野鳥達も保護されていました。 絶滅危惧種の動植物を保護し環境保全を管轄しているIBAMAは大変に厳しい機関だと聞いていましたが、レシーフェ支局の職員さんたちは皆さんとてもブラジル風の好意的笑顔で応対してくれました。

そこでバチスタさん所有のブラジル木弓材を日本に輸出する旨の話をしました。堀さんの検品時には、IBAMAの検査官ファルコン氏も一緒に現場検査に立ち会ってくれ、特に問題ないという事でした。

「輸出許可が出ず」

然しながら、最終決定権を持つブラジリア本省の許可を取るのに何日かかかるという事なので、私と堀さんは一旦日本に帰国し、少なくとも翌週あたりには実行されると思われた日本向け船積みを待つことにしました。因みにワシントン条約付表2では、ブラジル木は「輸出国政府の許可があれば、輸出入が認められる」という部類に該当しますが、堀さんの話では、昨今その輸出許可が大変に厳しくなっているという事でした。

日本に帰ってしばらく経ちましたが、なかなかブラジルからの吉報が届きません。 堀さんも私も、そしてジョアンたちもイライラした数週間を過ごしたと記憶しています。 かなりの日数が経った後、ジョアンから 「IBAMAのブラジリア本部が輸出許可を否認した。」との大変ショックな知らせが飛び込んできました。否決の根拠は、バチスタさんの木材購入を裏付ける領収書(NOTA FISCAL)が無いという事でした。 今日、ブラジルでは確かに殆どの取引にNota Fiscalがついて回りますが、常識的に考えても40年以上も前からバチスタさんが、パン屋やピザ屋さんに向かう薪材を載せたトラックの荷台で買った、毎回数本単位の木片の取引にNota Fiscalなど在るわけがないのです。ブラジルでの仕事のやりにくさを表す言葉にブラジル・コストと言うのがあります。その幾つかあるコストの中で、ブラジルの法律や税制の複雑さや、お役所の非効率な仕事、そこで働く公務員の柔軟性の無い対応がいつも問題になります。IBAMAもしかりで、その辺りはさすがに「融通の利かないブラジルのお役所」です。せっかくレシーフェ支局の職員の方々はとてもフレンドリーだったのに。

「奇跡の逆転輸出許可」

本件でのIBAMAの対応は、「現行規則では、ワシントン条約に規定されている商品の輸出を許可するには、それぞれの商品に当該NOTA FISCALの添付が必要 」の一言です。

ジョアン、バチスタさん、堀さん、そして私も一度に目の前が真っ暗になるようなショックを受けましたが、なにせ厳しい監督官庁として名前を轟かせているIBAMAが輸出許可を否認したとなると、これはもう万事窮すかとも思われました。万策尽きたと思った時に、ジョアンから以下の情報が入りました。さすが彼は州判事を務める法律の専門家でした。ブラジルでは、本来正当な権利を持つ人が、行政などにその権利を侵害された場合、直接、地域の担当判事に申し出をして、もし実際に権利侵害があったと判事が判断をした場合、その元になる決定を無効にできると言う、憲法によって保障された制度(Mandato de Seguranca)があるという事でした。行政によって不当に侵害された国民の権利を救うという、大変民主的なルールだと思います。40年以上前にバチスタ氏が、薪運搬トラックの運転手から材木を買っていた当時には、まだワシントン条約の規制がありませんでしたから、バチスタさんの集めた材木は、規制が始まってから伐採されたものではないという事や、当時の状況で、その材木の売買にNOTAFISCALを受け取ると言う行為が、そもそも一般的でなかったという事実を斟酌し、担当判事はバチスタさんが、その長きにわたって収集したPau Brasilを売る権利があり、IBAMAによってそれが侵害されたと判断し、IBAMAに輸出許可を出す旨の命令を出しました。この時の駆け引きは、今思い返しても息詰まるドラマの展開に似ていました。この救済措置により、すぐさま弓材はペルナンブコ州から日本に輸出され、無事、文京楽器の小田原にある弓工場に届きました。 重く、また嵩張る荷物ですから運賃の事も考慮し、当初は船積みを予定していましたが、IBAMAがいつまた強硬な反撃に出るかもしれないので、兎に角一番早く出発する飛行機に積み込んで一刻も早くブラジルから出国させねばならないと言うハラハラドキドキの時間でした。

その後も、ブラジルのジョアンさん、堀さん、私のお付き合いは変わらず、文京楽器からは折に触れてオーケストラの団員に沢山の弓や、弓用の松ヤニが寄贈されました。 バイオリンと弓の製作者でもある堀さんは、オルケストラ訪問の折、団員達の使用していたバイオリン弓を一本ずつチェックしましたが、大半は安い物、またそれが経年劣化したもので、その状態は決して満足の行くものでは無かったようです。 ですから、その後に文京楽器から寄贈された新しい弓で奏でるオルケストラの音音は格段に素晴らしくなったとの事です。

(続く)