ブラジル北東部の最北部に位置するリオグランデ・ド・ノルチ州の州都がナタールである。創設されたのが 1599 年 12 月 25 日であったことから、ナタール(ポルトガル語でクリスマス)と名付けられたのだ。
その軍事地理的優位性に着目した米国は、第二次大戦中の 1942 年、米軍基地をナタールに設立し、1 万人もの米軍関係者が駐留することになった。そんなナタールを自著のなかで“noiva do sol”( 太陽のフィアンセ ) と称したのが、“ブラジルの柳田国男”こと民俗学者カマラ・カスクード(1898-1986)であった。
当時首都であったリオの国立大学(現リオ連邦大学)の医学部から法学部に転じたカスクード青年は長じてリオグランデ・ド・ノルチ連邦大学法学部教授(専門:国際法)となったが、社会科学人文科学系であれ理系文献であれ、外国語文献(英語、フランス語、ラテン語、古典ギリシャ語など)も自在に読み込んで得た博物学的知識を基に民俗学研究に注力し、その著作数は 100 冊以上だ。海外の有名大学(パリ大学やらサンパウロ大学やら)から教授招聘の話がきても、「この地ナタールを離れたくない」からと全て断り、自らを「救いがたい田舎者」と称し、地元民俗文化研究に一生を捧げた異才にして鬼才であった。

この中堅都市(現人口は約 90 万人)の旧市街リベイラ地区を散策すると、そのカスクード教授のレガシーをあちこちで実感することになる。彼の蔵書 1 万冊をおさめた記念館「カマラ・カスクード・メモリアル」や彼の旧宅を訪ねて、学芸員と会話を交わせば、今でも彼が地元住民に尊敬されていることが素直に了解できるし、その場にいると彼の“言霊”を感じた気分になれるからだ。
もっとも普通の観光客にとって、ナタールとは美しい海岸が広がるリゾート観光地であり、その白い砂浜を四輪駆動車で縦横にドライブできる町であり、様々なグルメを楽しめる町だ。エビやイセエビなどの海鮮料理もいいが、カルネ・デ・ソル(牛肉一日干し)にマンテイガ・ダ・テーハ(液体バター)をぶっかけてかぶりつくのも楽しい。これもナタールの魅力である。なにしろ、この地の出身者はポチグアーと呼ばれるが、先住民ツピー語で「エビを食う人」の意味なのだから、昔からエビを食っていたワケだ。

 

岸和田仁(『ブラジル特報』編集人)