佐藤宗一(協会理事)
仕事の関係でブラジルの6都市に住んだことがある。最初に住んだ町はミナス・ジェライス州のジュイス・デ・フォーラだ。約40 年前、この町のブラジル人の家に1年下宿し、同地の連邦大学に通った。目的はポルトガル語とブラジル事情を学ぶこと。これと言った特色のある町ではないが、治安は良く、静かな落ち着いた町であり、勉学には適している。当時、私以外に、日本企業の研修生が3人滞在していた。
この町はリオデジャネイロの北方128km の内陸に位置し、車で約2時間40 分。現人口は約50 万人、州都ベロ・オリゾンテに次ぐミナス第2の都市である。町の中心を走るリオ・ブランコ大通りでは町の最大イベント、カーニバルが行われる。ここで初めてブラジルのカーニバルを体験した。この大通りに面し、町のほぼ中央に、緑に包まれたアルフェルジ公園(Parque Halfeld)がある。公園のベンチに座って新聞を読むのが毎朝の日課だった。この公園から「キリストの丘(Morro doRedentor)」と呼ばれる切り立った丘が見える。丘の上には展望台と背丈3.75m のキリスト像がある。展望台から町が一望でき、その眺望は絶景である。昔この丘に上った皇帝ペドロ2世が、その絶景を堪能したことから、「皇帝の丘(Morro do Imperador)」とも呼ばれる。この町の北方約150km には、最初のミナス州都マリアーナ、世界遺産都市オウロ・プレートがある。いずれも風情のある昔の街並みを残している。夜そこに現れる満天の星の美しさは筆舌に尽くしがたい。
この町の人をジュイズ・フォラーノ(Juiz-Forano)という。人情味があり、「おもてなし」の心を感じさせる。例えば、ポルトガル語の家庭教師は、自分の車に私を乗せ、町中を走り回って一緒に下宿を探してくれた。下宿のおばさんは、私から日本人は毎日みそ汁を飲むという話を聞き、毎日夕食には野菜スープを付けてくれた。女中の雇用、日曜ミサ、カトリックの葬式、付き添い同伴のデートなど、当時のブラジル人の習慣もこの下宿で学んだ。因みに、この町の最も有名な人物と言えば、市長を務めたこともあるイタマール・フランコ大統領(2011 年没)であろう。1992 年大統領が汚職疑惑で失脚し、当時副大統領であったイタマールが大統領に就任。長くブラジルを悩ませてきたハイパーインフレが終息したのは、このイタマール政権時代だ。