2020年3月
執筆者:儘田 哲夫 氏
(日本ブラジル中央協会理事)

リオデジャネイロのヨットクラブは格式の高いクラブで中々日本人が入会出来ないのだが、小生は縁あって会員となり出張者をお招きしたり、業務上のパーティーを開催したりして活用していました。

そのクラブでとある週末、妻と息子と一緒に三人で遅い昼食を取っていた時の事です。ブラジル人の少年たち数人が我々のテーブルにやって来て、突然「これからフットサルの試合だけど選手が足りないから参加してほしい」と我が息子に声を掛けました。その日彼は昼食の前にサッカーのいつもの練習をフラメンゴクラブでこなして、そのまま赤と黒の有名なユニフォームを着たまま食事をしていたので、少年たちにはサッカー選手として目に留まったのです。快諾した息子は慌てて食事を済ませ、クラブのフットサル会場に向かいました。

2時間弱して戻って来た彼は「楽しかった」との感想と共にそれなりの充実感を漂われていました。我々夫婦はプレイを観戦しませんでしたが、馴染みのサッカーとはいえこの思いがけない経験は彼にとって非日常的出来事として長く記憶に残ると推測されました。

一方、ブラジルの少年達の提案も考えてみれば大胆・無謀であったと言わざるを得ません。フラメンゴクラブのユニフォームを着ていると言うだけで声を掛けチームに合流させたのですが、明らかに日本人で意思疎通のレベルは不明、プレイの質がどの程度で自分たちチームに馴染むか否かも分からないままに参加させたのですから。

しかしよく考えるとブラジルの国の成り立ちもこれと似ている様な気がします。世界中から種々雑多な民族・文化・宗教・言語が持ち込まれて、全体として融通無碍な社会を構成し、Verde e Amareloの旗の下、幅広い心の間口で接することにより共生を心掛けて来たと言えます。相違点を殊更に取り糾すことなく、妥協点を模索しつつ、最後はJeitinho Brasileiroで何とか丸く収めています。そんな歴史的ブラジル人気質豊かに少年たちは息子に依頼したのです。呼応した息子もプレイを通して見知らぬブラジル人と交流し、戦術の違いなどに戸惑いながらなんとかチームの役に立ったようで、彼はこうした経験から身をもって異文化との付き合い方を学び、自然と国際性を身に付けていくのでしょう。