ブラジルにおけるコマツの活動は、1960 年代初頭にブルドーザー 208 台を受注・輸入したことに始まり、1970 年代前半、日本からの建機の輸入を通じてブラジルの発展に貢献した時代を経て、1975 年に現地生産を開始、1998 年に販売会社設立、2013 年のマイニング代理店直営化を経て、今日に至っている。
1960~1970年代前半
1967 年にサンパウロ事務所を開設、商社経由の輸入と並行して代理店の選定を進め、1970 年頃に代理店網の構築を終えた。この間、「ブラジルの奇跡」と呼ばれた 1970 年代前半の資源・インフラ開発ブームに対応して、大手コントラクタやアマゾン第二工兵軍団にブルドーザーを販売した。工兵軍団への納入に際しては顧客の要望を受けて漂流物などのリスクが伴うアマゾン川を河口から貨物船を遡上させて搬送するといった積極果敢な取り組みにも挑んだ。
1975年の現地生産開始から1990年代まで
一方でブラジル政府が 1969 年に建機の国産化政策を打ち出し、1970 年代に入ってからはブラジルに工場を持たない会社の建機輸入を順次禁じ始めたことから、コマツはブラジル現地資本と提携することによって国産化の権利を確保、1973 年1月に現地生産の準備を始め、1975 年 4 月にブラジル国産 1 号機のブルドーザーが完成した。
当初、国産ブルドーザーは、現地生産によるコストアップにも関わらず、政府の国産品購買向け低利融資が効果を発揮して、最も大きなサイズの製品への引き合いが多かった。しかし、2 年後にブラジル国内はインフレが再燃、政府も融資を引き締めざるを得なくなったことから需要は不振に陥った。その後も、ブラジル経済が繰り返す数年ごとの景気変動に経営は翻弄されたことから、1988 年からはブラジル国外の市場への輸出も行うグローバルな生産拠点としての役割を担うことになり、当初の北米に加え、南米や中東向けに輸出対象地域を拡大した。1990 年代後半には、中型ブルドーザーのグローバル生産拠点としての位置付けが固まる一方で、油圧ショベル、ホイールローダー及びモータグレーダーの生産も緒に就き、現在の生産体制の原型が整った。
1998年の販売会社設立から2010年代初頭まで
このように生産体制が拡充する一方で、土木・建設分野に加えマイニング分野の需要も成長が見込まれるようになったことから、マーケティングやアフター・マーケットの機能を向上するため、1998 年に販売会社を設立して代理店網の強化をはかった。2002 年に労働党がブラジルの政権を取って以降 2010 年代初頭までの間は、世界的資源ブームやブラジル政府によるプロジェクト投資や政策金融で、リーマンショックによる一時の落ち込みはあったものの、土木・建設、マイニング分野ともに成長が続いた。
2013 年のマイニング代理店直営化以降
マイニング分野の成長が続く中、Vale などの顧客からは機械の稼働を止めないためのサービスに対するニーズが高まった。そこで、2013 年にマイニング代理店を買収・直営化し、キメ細かな顧客対応が可能な体制を整えた。これにより対主要顧客のマーケットシェアの向上に成功するとともに、豪州、チリなどで導入実績のある無人ダンプトラック運行システム (AHS) をブラジルでも初めて導入し、「AHS トレーニングセンタ」を新設するなど、マイニング分野の持続的成長に貢献する体制を確立した。
土木・建設分野では、引き続き代理店方式を採用しているが、顧客ニーズに対するキメ細かな対応の必要性は高まってきており、コマツ自身が広域の大手顧客を対象に直販営業を掛けるキーアカウント・グループの活動を立ち上げるとともに、代理店網の整備・再編に乗り出している。また、生産体制についても、設備の更新・再整備が始まっている。
2020 年に入り、ブラジル経済は、2014 年以降の大不況からの景気回復が徐々に本格化しようとしている。この機会を逃すことなく、また、中長期的に持続可能な成長の礎を築くためにも、さらなる取り組みの強化に努めたい。