2020年6月
執筆者:小泉 正晃 氏
(ラニフィシオ・クラシキ・ド・ブラジル 元社長)

初めてデジタルカメラを手にしたのは1997年頃、エプソンのわずか35万画素の製品だった。今から思えばブリキのおもちゃの様な物であったが現像や焼き付け等の暗室と同等の作業がパソコンで行えるとの事でそれなりに興味深かかった。付属の簡易ソフトを使って今で言うフォトレタッチの初歩を体験した。

3年ほど後、オリンパスが発売した330万画素の現在のコンパクトデジタルカメラの原型となった製品を購入し、以後長らく愛用して来たニコンのフィルム一眼レフカメラは引き出しの奥深くに眠る事となった。

2001年ブラジル赴任の辞令を受け渡航したが、取引先のデザイン会社の方から高価な画像処理ソフトである「フォトショップ(PhotoShop)Ver5」をお餞別に頂き持参した。

ブラジルで課せられた責任は重かったが、ポルトガル語の世界で直接の行動は現地スタッフに任せざるを得ず、長時間の残業をする風土でもなく、夜間歩き回るには治安の悪い土地でもあったので公用車でマンションに帰ると夜な夜なPhotoShopと格闘する事となった。

ブラジルの年末年始は2週間前後の休暇が通例であり日系企業もこれに準じていたため多くの単身赴任者は日本に帰国する事が多かったが、私は滞在した4年間家族を一人ずつ呼び寄せ南米中を旅してまわった。こうした旅には常にオリンパスを持参したが南米の澄んだ空気によくマッチし美しい画像が得られた。

しかし所詮コンパクトカメラであり速写性や機動力は持ち合わせなかった。そこで公務帰国した折、フジフィルムがニコンと提携して製造した初のデジタル一眼レフを購入した。さすがに一眼レフとあってシャッターの感触やレスポンスの速さは満足のいくもので、パタゴニアの氷河海やボリビアアンデスの旅に大いに貢献してくれたが、電子的回路はニコンの入門機レベルで物足りなさが有り、2年後ニコンの本格的デジタル一眼レフの先駆けともなった700万画素の「D70」を入手した。

D70はその機械的構造以外に保存形式に「RAW」と呼ぶ画期的ファイル形式を採用していた。

RAWとは従来カメラのフィルムに当たるデジタルカメラのイメージセンサーが捉えた光の情報をそのまま記録したファイルであり、JPEGに比べて情報量が多く自在に編集が可能である。このファイルに対し専用ソフトを使って気に入った画像に編集仕上げし、最後にJPEGやTIFFに変換固定する。この作業を「RAW現像」と呼びニコンは自社RAWファイル専用ソフトNikon Captureを発売し、PhotoshopにはRAW現像の機能は無い為直ちにこちらも購入した。こうして以後「RAW現像」と「PhotoRetouch」を組み合わせる手法が私なりに定着する事となった。

 

4年間の任期が済み2005年に帰国し、D70を処分し更に進化した「D200」を購入した。D200はハイアマチュアをも対象とした高級機であり、イメージセンサーは35㎜フィルムに対し縦横約3分の2の「APS-C」サイズであった。その後時を置いてついに35㎜フィルムと同サイズのセンサーを持ったD700が開発され、続いて2012年には3630万画素のD800が登場した。このときは手持ちの機材の大半を下取りに出して入手した。

こうなると1枚のRAWファイルが40MB近くになり従来のPCでは処理が遅く、東芝の24インチディスプレー一体型、内部メモリ8GB、内臓HD2TBのディスクトップを導入した。

D800はついに機構面で最高級フィルムカメラを凌ぐほどにまで到達したが、超高画素のあまりミラーがターンする振動を拾ってしまう欠点が当初から指摘されていた。これに対し知り合いのプロカメラマンから事前にミラーをアップしリモコンでシャッターのみを駆動させる手法を教えられ、三脚を立ててのミラーアップ低速度撮影は私の好みの手法となった。横浜大桟橋で何度もトレーニングを重ね、エッフェル塔、モンサンミッシェル及びザルツブルグやプラハ、ブダペスト市街の夜景を撮影し写真展にも出展した。またこの手法は大人数の室内集合写真に役立つ余禄ももたらした。

ところで私自身写真には子供のころからなじんでおり、小部屋や押入れを暗室にして現像焼き付けを行う大人たちの様子をよく見たものだった。暗室の赤いライトの下薬剤の中で次第に画像が浮かび上がってくる様は神秘的で感動的でさえあった。しかし成人する頃には写真はカラー時代に移り大掛かりな設備を要するカラー写真の現像焼き付けはアマチュアの趣味の領域ではなくなってしまった。ラボに注文して濃淡の調整を依頼したりトリミングしたりする事はできたが大変高価であり、日常的には安価な同時プリントでも見栄えがする様撮影時のカメラ設定に腕を競ったものだった。こうした時代は長く続いた。その為か、デジタルカメラが登場した初期は撮影後パソコンで行う画像処理、レタッチを邪道とみる傾向もあり、コンクールでも「デジタルカメラ撮影作品はレタッチ不可」とされる事も多かった。しかし従来の有名カメラメーカーに加え大型家電メーカーも参入したデジタルカメラの発展は凄まじいものが有りその機能をフルに生かす為のレタッチもいつしか一般的となった。

このような状況下にRAW現像ソフトも進化を続け、独立のソフトメーカー市川ソフトラボラトリーが全カメラメーカーのRAWファイルをカバーする「SilkyPix」を開発しバージョンアップを重ね、PhotoShopはクラウドとして安値レンタルを開始すると共に「CameraRaw」と言うRAW現像のプラブインを開発して「RAW現像+PhotoRetouch」一体型ソフトに発展した。一方Nikon Captureはニコンカメラユーザーに無料公開化したがその為か進化が止まってしまった様に見える。

2017年になってニコンはD800の問題点を克服した「D850」を発売した。つらつらスペック表を眺め、ついに誘惑に抗しきれなくなりかかった時、D850と同サイズのイメージセンサーを搭載したミラーレス一眼「Z7」「Z6」が発表された。

ミラーレス一眼とは今までのデジタル一眼からファインダーに画像を送る光学部分を削除し、イメージセンサーに集めた情報を画像信号に変えてファインダーに送る。従いミラーやプリズム等一眼レフのかなりの部分を占める光学構造が不要となりカメラの体積と重量を大幅に軽減できる。しかも「Z7」「Z6」は同時発売のマウントアダプターを介してほとんどのニコン用従来レンズを装着でき、その多くはオートフォーカス・自動露出機能を保持したまま使用できる。

さて私の次の、恐らく最後のカメラは、従来型最高峰のD850か、はたまたまったく新世代の革命的ミラーレス一眼「Z7」「Z6」にすべきだろうか。誠に悩ましく、楽しい事ではある。

 

 

(2018年11月記)