沼田 行雄
(協会理事 前トンガ大使)

モンテ・アレグレ市は、パラー州西部の中核都市サンタレン市からアマゾン河本流の下流方向約120 キロ
に位置する、人口約6万人の静かな町であり、2013 年に在ベレン総領事として訪れたことがある。この町の
特徴は、日本との関係が古く強い繋がりがあることと、風光明媚な自然環境に恵まれていること。
日本との関係は、日本人アマゾン移住開始から2 年後の1931 年、南米拓殖会社移住地に最初の開拓団47名が入植したことに始まる。事業自身は失敗に終わり、会社は撤退を決め、35 年に農場が閉鎖されたため、移住者たちは転住を余儀なくされ、上野浩こうじ爾氏(叙勲者、故人)のみがこの地に止まった。戦後は、いち早く移民が再開され、53 年9月に第1回辻移民23 家族が到着、ゴム栽培のフォードランディア、ベルテーラなど近隣地区からの転入者も含め55 年までに126 家族800 余名が、更に、60 年代には東京農大出身の青年達も多数入植している。その後の日系社会の定着・発展は、遠隔性・輸送の不便さから営農困難による脱耕者の続出や出稼ぎの影響などもあり、必ずしも順調に進まなかったが、現在(2020 年4 月)も、約20 家族がアサイザール地区など主として地方部で農業を中心に生計を立てている。私の訪問時には日系人が市の農務局長を務めていたなど現地社会の重要な一員であり、1980年設立のモンテ・アレグレ日伯文化協会の下で、組織的な活動も継続されている。
また、モンテの魅力は、その風光明媚な自然環境。州立公園内のセーラ・ダ・ルア(Serra da Lua)遺跡の岸壁画は、1 万6千年前の人類の存在を証明するもので、アメリカ大陸原住民の起源を、ベーリング海が陸続きであった時期に移動したモンゴル民族とする定説を覆す考古学上の重要な発見と言われる。また、ピラン石(Pedra de Pilão)は、映画「E.T」のモデルのような形の奇岩で、周囲に広がる
奇岩群とそこからのモンテ・アレグレ市街地に広がる風景は神秘的で素晴らしい。そして、この町を訪れた出発の朝、忘れられない思い出は、市街地の最も高い展望台から眼下に望む、モンテ・アレグレの港、青いグランデ湖と緑の氾濫原、その先に続くアマゾン川の雄大で美しい風景である。日系社会の礎を築かれた上野氏も、この風景をこよなく愛しこの地に生涯を捧げたのだろう。