2020年8月
執筆者:橋本ゆかり 氏
(横浜国立大学 教授)

認知言語学から解明する言語習得

私は、横浜国立大学の教育学部日本語教育コースで教鞭をとっています。日本語教育という学問分野はあまり知られていないかもしれませんが、簡単に言うと、外国人が日本語を第二言語としてどのように習得するのかを解明したり、日本語をどのように外国人に教えるとよいのか、効率的な教育方法を研究したりする分野です。海外では、近年日本の文化やアニメ、漫画、ドラマといったサブカルチャーが人気となり、日本語を学習する外国人が増加し、海外の小中高等教育機関や専門学校でも教えられています。

私は認知言語学を専門とし、言語習得のプロセスについて研究しています。具体的には、日本語を第二言語としている子どもの発話を分析しています。子どもが能動的に作り上げていく言葉の規則性と、子ども自らが織り成すダイナミックな世界を見い出しました。そこには普遍的な言語習得のプロセスがあり、それは認知言語学の用法基盤モデルという理論に沿ったものでした。この理論は外界における経験や実際のコミュニケーションを通し、一般認知能力によりルールを見つけ出し文法を習得するというものです。解明された第二言語習得のメカニズムは教育現場に応用し、教材開発にも活かされています。現在は、日本語を母語とする子ども、日本語を第二言語とする子どもに加え、日本語を第二言語とする大人についても調査を進め、3者間の共通性と差異を追究しています。

多国籍化する日本社会と急増する日系ブラジル人

こういった基礎研究を行うとともに、現職に着任してからは、外国人児童生徒の問題に深く携わるようになりました。この問題は社会における喫緊の課題であり、その解決は社会的要請であるともいえます。

日本社会は、ここ30年大きな変化を遂げました。かつて単一民族国家と言われていた日本は、いまや多国籍化が進み多文化共生社会へと変わりつつあります。その背景には、日本の経済、そしてその対策として打ち出された国の施策があります。1980年代バブル景気に沸き、人手不足を解消するために外国からの人材確保を目的として「出入国管理及び難民認定法」(以下、入管法)の改正が1990年に施行されました。入管法改正は、主にブラジルペルーなどの中南米諸国からの日系人、日系3世までに就労可能な地位を与え入国を容易にするものでした。これを機に就労目的で入国する外国人が急増しました。近年では、少子高齢化が進み労働力の不足が深刻化し、2019年にも入管法の改正が施行されました。外国人に対する新たな在留資格が創設され、一定の専門性・技能を有する外国人材の受入れが拡充されたのです。

大きな契機となった1990年の入管法改正は、多くの日系ブラジル人を日本へ招き入れました。現在日本にどのくらいのブラジル人が在留しているのでしょうか。法務省が公開している資料(令和元年度6月末)*によれば、在留外国人数は282万9,416人で、ブラジルは206,886人(構成比7.3%)、中国、韓国、ベトナム、フィリピンに次ぐ5位となっています。ちなみに数年前までブラジルは3位でしたが、2011年からフィリピンがブラジルを抜き、2016年からベトナムが抜いて、現在は5位となっています。

来日外国人は、家族を伴ったり日本で出産したりするため、当然のことながら、外国にルーツをもつ子どもが増加します。文部科学省の公開資料で「日本語指導が必要な子ども」について調べてみると、日本語指導が必要な児童生徒数は、50,759 人(文部科学省・平成30年度調査**)です。日本語指導が必要な外国籍の児童生徒を母語別に見ると、ポルトガル語を母語とする者の割合が全体の約4分の1を占め、最も多いのです。さらに、都道府県別に見ると、愛知県が1位、2位が神奈川県、3位が東京都となっています(文部科学省・令和元年8月資料***)。愛知県にはトヨタなどの自動車や自動車部品メーカーなどの下請け工場で働くブラジル人が多く集住しています。

 

多文化化する小学校とブラジルでの経験から考える外国人児童の背景

横浜国立大学は、日本語指導が必要な児童生徒数の多い神奈川県に位置しますが、横浜には、なんと児童総数の半数以上が外国にルーツをもち出身国が15か国以上にも上る小学校もあります。私は、毎年、日本語教育の実習や支援のために、学生とともに横浜市の潮田小学校と南吉田小学校を訪れています。校長室や廊下には、色彩豊かな世界の旗や、国の言葉とカタカナ読みの付された各国の挨拶などが掲示され、子どもたちの目や肌の色もさまざまで、休み時間には日本語以外の言葉も飛び交っています。外国人児童を対象にして勉強を教える国際教室なども設置され、そこでは教員が子どもたちの母語を使った授業を行ったりもします。ブラジルなどの中南米系の児童の多い横浜市立潮田小学校の放課後支援には、毎年私のゼミ生が支援者として参加していますが、三井物産株式会社がその放課後支援教室を支えているということを知りました。実は、私は学部卒業後、同社に就職し、ブラジルへの輸出プロジェクトに関わったことがあるのです。思いがけないところに繋がりを見つけ、不思議な縁を感じました。勤務時代、日本ブラジル中央協会の元会長である清水慎次郎氏(元三井物産社長)、そして会長である大前孝雄氏(元三井物産特別顧問・元三井物産副社長)の直属の部下であったこともありました。当時、ブラジルの支店や観光地を訪ねたことがありました。サンパウロ、リオデジャネイロ、レシフェ、ブラジリア、マナウス、ベレン、サルバドールなど、同じ国とは思えないほどそれぞれに特色がありました。近代都市のブラジリアと大自然に囲まれたアマゾン川流域のマナウスとは実に対照的で、人種のるつぼと言われるサンパウロでは日系人社会を目の当たりにしました。早朝から日が暮れ真っ暗になっても路上で遊んでいる子どもたちもいました。どの子も人懐っこく屈託のない笑顔を浮かべ踊ったり、大声を上げて川へと飛び込んだりと……実に開放的な光景が印象的でした。このような体験から、ブラジルは地域格差が激しく、ブラジル人の教育に対する親の考え方や学校文化は日本とはかなり異なることが容易に想像でき、同時にこの違いが、受け入れ側である日本の保護者や子どもたちに対する支援のむずかしさの一因になっていると推測できます。

毎年訪ねる小学校は、人権問題にも積極的に取り組み、外国人児童生徒に対する取り組みは進んでいます。しかし、教育現場には圧倒的に人手不足の現状があります。子ども一人ひとりの日本語レベルを把握して教育を行うために文部科学省により「特別の教育課程」が施行されましたが、時期を問わず次々と外国人児童が入ってくるため、教員は対応に追われています。また子どもの抱える問題は、言葉、学習、異文化接触、アイデンティティ、家庭、学校文化への適応、宗教と多様であり、さらにそれらが複雑に絡み合っているため、問題の解決は一筋縄ではいかないのです。教員は問題の現象を読み解き、その背景に何が潜むのかを追究し、どのように対応すべきなのかを適切に判断できる力を備えていなければなりません。大学の授業では、なるべく外国人児童に寄り添って目の前で起きている現象を多角的に読み解くよう指導し、根本原因を突きとめるのに役立つ第二言語習得やバイリンガルなどの理論を教授しています。

 

認知能力から考える外国人児童への教育

外国人児童の抱える問題の中で、言葉の問題は避けては通れません。親の都合で来日した子どもたちのほとんどが日本語を知らずに学校へ通い始めます。ひらがな、かたかな、漢字と日本語の複雑な文字体系や母語とは異なる馴染みのない文法に戸惑うのです。とはいえ、子どもは、1、2年もすれば、日本語を使って友達と遊べるようになります。教員や支援者は、流暢な日本語で遊んでいる様子を見て、もうこの子は大丈夫なのだと安心して支援の手を緩めてしまうのですが、その後一向にテストの成績が上がっていかない様子を見て、教員は、このように思うのです。そもそもこの子は学習するための能力が低いのではないかと。実は、生活で使う言語能力(BICS)と学習するための言語能力(CALP)は、質が大きく異なるのです。抽象的思考力や認知能力といった認知的負担度が高いCALPの獲得には通常5年から10年かかるといわれます。子どもが日本語をしゃべれるようになっても認知的にむずかしく抽象的な思考もできる言語能力が身につくまで継続した支援が必要なのです。

また、複数の支援者から次のような話を聞いたことがあります。年少のころから一生懸命日本語や教科を教えているのに、高学年になって何もわからずに入ってきた子どもに学力で追い抜かれてしまい困惑したというのです。この逆転現象はどうして起こるのでしょうか。後から来た子どもは、10歳くらいまでしっかりと母語で認知能力を発達させ、学習のための基盤ができていたのです。その認知能力を活かして、日本語による教科学習の力を伸ばしていたのです。実は、第一言語および第二言語の能力は、表層では異なっているように見えますが、深層では繋がっていて同じ認知能力で支えられているのです。何よりも教育で重視すべきことは、第一、第二言語能力の基盤を成す認知能力の育成にあるのです。第一言語および第二言語双方の能力とも発達していない子どもは、ダブルリミテッドやセミリンガルなどと呼ばれますが、認知能力が育っておらず問題は深刻です。

時に教員が保護者に向かって、家でもなるべく日本語で話してあげてくださいと助言することがあります。工場で夜遅くまで働き日本語のインプットをほとんど受ける環境にない親が片言の日本語を使って子どもと会話するとどうなるでしょうか。本来なら親と子のコミュニケーションを通して育つであろう認知の発達が阻害された状態となるのです。家庭では、「これ何?」「どうしてなの?」と子どもが質問することがよくあると思います。対話を通して物事の因果関係を考えたり、気持ちや悩みといった抽象的なことも親に相談したりします。家庭での母語による会話がいかに大切かということを知っていなければなりません。

このように認知能力の発達を第一に考えると、日本語がわかるようになってから教科学習へという方法にもリスクがあることがわかります。教員は母語話者と同じ学びの土俵に上げて、認知能力を常に伸ばす工夫をしなければなりません。そうでないと、母語話者との能力の差は広がる一方で、年齢相当の認知能力が育たないからです。

 

研究室の輩出するゼミ生の共生社会への貢献

多文化共生社会に向けて、教育現場にいる教員や支援者には、こうしたバイリンガルや言語習得の理論、日本語教育といった学的基盤を身に付けてほしいと考えます。そうでないと保護者に間違った知識を与えたり児童に間違った教育を行いかねません。文部科学省は近年「日本語教育の推進に関わる法律」を施行しましたが、その中では日本語教育の重要性や質の高い日本語教師の必要性が示されています。

私としては、日本語教育の知識をもつ優秀な人材をもっと柔軟に配備できるよう教育環境の整備を進めてほしいと考えます。学部と大学院(修士・博士課程)から成る私の研究室は、学習者(大人、子ども)が日本語をどのように習得するのかを研究する者と、前述したような外国人児童への教育のあり方を追究する者とがいますが、後者については、これまで外国人児童の在籍するクラスや国際教室を担当する小学校教諭や保護者サイドを支援する者などを輩出してきました。タイや韓国にルーツをもつ学部卒業生もいますが、日本国籍であるため小学校教諭として働き活躍しています。外国人児童生徒であった経験や多文化背景は、表層では見えてこない問題を深く洞察し、外国にルーツをもつ子どもとそうでない子ども双方を視野に入れたインクルーシブな教育を推進していく力になると考えます。ブラジル国籍のゼミ生(院)は、自身の経験を振り返り小中学校時代の躓きの原因であった心理面にも配慮しながら懸命に学習支援を行い将来小学校教諭の職に就くことを希望していますが、日本国籍を取得するかで迷っているようです。日本国籍でないため「教諭」ではなく「常勤講師」として中学校で働いている韓国にルーツをもつゼミ生(院)もいますが、自分のような外国文化を背景にもつ生徒が将来教師として働ける道があればいいと話しています。一方で、学校の教育機関関連で支援をしたくても教員免許がないため断られたという修了生(院)もいます。自治体や教育機関によっても変わるようですが、年少者日本語教育の専門知識をもっていても、外国籍であることや教員免許をもたないことが能力を発揮する機会を奪ってしまう場合があるようです。

研究室には、国内大学の卒業生、英国や米国などの外国の大学院修了者に加えて、中国、韓国、ウズベキスタン、内モンゴルといった多様な国から来た留学生や国内外における教育経験をもつゼミ生がいます。JICAの日系社会青年海外協力隊プログラムでブラジルのサンパウロ州アラサツーバ市に派遣されていた者は、日本から帰伯した現地の子どもたちを見て、もっと日本にいる時に何かしてあげられるのではないかと考え研究を進めています。また、修了後は、国内の大学のみならず海外(シンガポール、チリ、ロシアなど)へ赴き大学や専門学校で教鞭をとったり、国際交流基金の日本語専門家として派遣される者もいます。研究室の卒業修了生は皆、グローバル社会に貢献のできる素地と教養を備えた人材であると考えています。既存の制度を見直して再び整えていくことはそれぞれの背景があり容易なことではありませんが、各人の能力を十分に発揮して活躍できる場を与えることが、多様性と包摂性を備えた豊かな日本の未来に繋がると考えます。

 

注:

*法務省「令和元年6月末現在における在留外国人数について」

http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri04_00083.html(参照2020.7.11)

**文部科学省「日本語指導が必要な児童生徒の受入状況等に 関する調査(平成 30 年度)の結果について」https://www.mext.go.jp/content/1421569_001.pdf(参照2020.7.11)

***文部科学省総合教育政策局 男女共同参画共生社会学習・安全課文部科学省「外国人児童生徒等教育の現状と課題」(令和元年度8月14日)

https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2019/08/23/1420501_004.pdf(参照2020.7.11)