執筆者:越知 恭子氏(ブラジル・ベレン 越知日伯学園学園長 )
誰が一体こういう事態がやって来ると想像できたでしょうか。
当学園では1月に始業式を迎え、2月までは幼稚園、小学校、中学校、日本語コース全てが活気のある平和な雰囲気のもとに授業が行われていました。3月にJICA派遣の小・中学校現職教師青年ボランティアが任期を満了し、もう一人の幼稚園日本語教師青年ボランティアに「頑張って下さいね。」という言葉を残して帰国しました。しかし、わずか1週間もたたないうちにコロナウィルス感染者増加のため、今度はこちらの青年ボランティアも帰国することになりました。毎日現地の幼稚園教師と共に教室に入り、教師をフォローすると共に1週間に一度は勉強会を持ち、子供への接し方、教材作成から準備、授業の実践など精力的な指導が始まっていたところでした。ところが突然帰国命令が出て、当学園滞在わずか8ヶ月で帰国することになりました。「必ず帰伯して下さいね。」と飛行場でお見送りしたのが昨日のような気がしておりましたが、早7ヶ月が経ちました。他の国に劣らずブラジルの状況は、日に日に深刻さが増しています。コロナウィルスの感染者が増加し始めた最初の頃は、コロナウィルス感染予防に関して、大統領と厚生大臣や文部大臣の間で意見の相違があり、3人の大臣が辞職するという異例の事態が起こり、ブラジルはついに感染者が世界で3位、死亡率が4位まで達したのですから、国民の全てが大変な恐怖に見舞われました。ほとんどの企業が多くの人達を解雇せざるを得ない事態に陥り、倒産する店や企業も出てきました。
教育関係はといいますと、州政府により、3月19日に突然すべての教育機関、幼稚園、小・中・高校・大学並びに、塾、各種学校に閉鎖の勧告が発令されました。
しかし、当学園としては、いつ再び開校できるか分からない状態で生徒たちの教育を放置しておくわけには参りませんでした。特に私立校ですから、月謝を頂いている限り何としても授業の再開を考えなければなりませんでした。それで、すぐに授業を始めるための準備を始め、3月30日からビデオ授業という形で授業を再開することに致しました。しかし、それにはいろいろな問題がありました。まず、ビデオ授業の何たるかも分からない教師達に、ビデオ授業を行うためのノウハウの指導が必要でした。ビデオ授業とはどんな授業か、コンピューターの操作の仕方、ビデオ撮り、カメラとマイクの使い方、どのように授業を生徒たちに発信するのか、等の指導が必要でした。3月27日から始めた講習会は、パンデミックの関係から1度に10名以上の教師を集めて講習会を行うことは出来ず、3~4回に分けて指導を行わなければなりませんでした。
更にはコンピューターのない教師がいましたので、まず当学園でコンピューター関係の職員と話し、6~7万円程度のコンピューターの部品を買って、学校で組み立てて、約3万5千円程度で1台を作り上げることに致しました。そして、1回では支払えない教師達には、5~6回払いで学園に支払う方法をとり、ビデオによる授業を開始することができるように致しました。しかし、いざ授業を始めようと思いますと、インターネットの容量が足りなくて環境整備も行わなければなりませんでした。
州政府からは、3月19日に教育関係の閉鎖命令が出されたままでしたが、当学園では環境整備も整い、3月30日からGoogle ClassRoomを設定し、ビデオ授業という形で幼稚園から小・中学校、日本語コース全てのクラスで授業を再開することになりました。しかし、最初の1~2週間はやはりいろいろな問題が出てきました。
生徒の家のインターネット環境の悪さで起きる問題や、保護者が付いていながらもGoogle Class Roomに入れないとか、家にコンピュータが1台あっても子供が2人いるため1人は使えないとか、コンピュータは家にあってもご主人が仕事場に持って行くために子供は使えないとか、またパンデミックの関係で失業したり、減給になったりして、コンピュータが買えない、等の問題が次から次へと出てきました。しかし、生徒の教育を考えた時、教育者として1年を無駄にさせるわけにはいきませんでしたので、次のような解決方法を考えました。ClassRoomに入ることが出来ない保護者や生徒達の為には入り方をビデオで作成し、生徒達がビデオ授業に参加できるように致しました。
また子供が2人いてコンピュータが1台しかない家庭や、ご主人が仕事のため午前中は生徒がコンピュータを使えないとか、その他いろいろな問題でコンピュータを買えない生徒の家庭には、まずコーディネーターと話をして、私のところに相談に来てもらうことに致しました。そして、保護者の方達には、4~5回払いの分割で買って頂くようにお願いし、その分割の額だけ学生の月謝を割引することをお約束致しました。そして、何人かの保護者の方々がコンピューターを購入され、生徒が授業に参加できるようになりました。またある家庭では、イベント関係のお仕事をしていらっしゃるため、ご夫婦共々収入がゼロになり、2人のお子様をキャンセルしたいという申し出がありました。その時はとにかく、「学校が2ヶ月、月謝を免除致しましょう。仕事が再開できるようになったら、話に来てください。そのとき、また月謝についてお話しましょう。」ということに致しました。
なぜなら、その生徒達はいずれも小学校と中学校でしたから、学校を辞めさせて1年間棒にふらせるのはとても忍びないものがありました。
でも嬉しいことに、それらの親御さんは、ロックダウンが解除され、徐々にお仕事ができるようになってから学校においで下さり、月謝をお支払い下さるようになりました。その間、州政府が取った政策はと申しますと、幼稚園、小学校のクラスで助手として勤務していた人達、また門番や清掃に関わっている人達の勤務時間を減らすことで50%は州政府が支援し、学園が50%支払うことで、それらの職員たちは勤務時間は減ったけれども、収入は確保される、というものでした。
また当学園の1日コース(後で詳しく説明致しますが)で勤務していたコックさんや、午後のクラスに関わっていた教職員で、教育環境がもとに戻るまで全く学校で働く必要のない人達にはSuspenso Contrato(契約中断)という形を取り、州に書類を提出することで、その人達の給料(最低賃金)は確保され、州政府が支払うという支援も始まりました。しかしながら、そういった支援が布告されると同時に、パンデミックのために児童、生徒達の月謝の15%カットが教育機関に要求されました。ですから、州政府からの援助はありましたけれども1日コース(午後の部)から入ってくる収入はゼロになりましたし、月謝の15%の割引とで収入と支出のバランスが崩れ始め、預金をおろしながらの経営となりました。
当学園では先に述べましたように教育者としての役割や使命と、生き残りのための企画を模索しながら努力しておりますが、ここで少し当学園の沿革についてご紹介したいと思います。
当学園は、2007年2月に日本語教育をこの南米の地に絶やすことなく継続するために、日本語と伯語のバイリンガル教育を行う、日伯学園を設立致しました。現在は小学校、中学校、更に日本語コースと英語コースも設置し、運営しております。
当学園の特徴は、1つは幼稚園からモンテッソーリ教育法を取り入れ、子供たちの自立性と責任感と社会性を身につけさせることを教育目標としていることです。
2つ目の特徴は、働く女性の子育てを支援出来るように、1日コースを設置していることです。私は学校経営もひとつの企業だと考えておりますので、その企業が成功するためには、その時代に適応したものでなければならない、と考えております。現代社会でどんな形態の学園が望まれていて、しかも人様のお役に立てる学園とはどんな学園なのかを常に考えるようにしております。女性が社会に進出してきた現在、1番大切なことは、女性が安心して働くことが出来る為の支援ができる学園ではないかと考えております。そして、働く女性にとって1番大切な問題はたやり子育てですから、1歳6ヶ月から幼稚園児を預かり、幼稚園から中学校まで1日コースを設置致しました。
1日コースは朝の7時30分から夕方の6時30分までです。午前中は伯語教育を行い、その後、児童、生徒達はシャワーを浴び、昼食をとり(幼稚園児には休憩があります)、午後からは毎日、宿題と復習の時間から始まります。15時以降は、週2回の外国語学習(英語、日本語、スペイン語)や、週2回の音楽、更に空手や和太鼓、バレエ、バスケットボール、バレーボール、フットサルが学べるようにしております。
ですから、当学園にお子様を入学させて頂きますと、1日中女性が外で働いても、送り迎えは朝・夕の1回で済み、いろいろな習い事が全て学園で学べるようにしてあります。
ややもすると、愛情不足になりがちな児童・生徒達が多いので、情操教育に力をいれ心身ともに健全なる育成が出来るように努め、また社会のルールがしっかり守れるような人材の育成を目標としております。
更に、当学園のもう1つの大きな特徴は、日本語を教え日本文化を取り入れた教育を行っていることです。このパラー州には、先人の方々のご努力と、ご苦労の上に培われてきた日本文化への強い信頼があります。
幼稚園から中学校、更に日本語コースまでの生徒達は80%以上が非日系で、しかも当学園を選んで入学させて下さっている保護者の方達は「この学園は日本語が学べる学園だから、日本文化を取り入れた教育が行われている学園だから。」という理由で入学させて下さっているのです。(先人の方々の誠実さ、ご苦労に心から感謝申し上げたい気持ちでいっぱいです)
当学園はそういった先人の方々のご努力の基盤の上に支えられている学園です。
それでは、またお話をパンデミック時代への取り組み、課題についてお話致しましょう。
3月末から開始したビデオによる授業がやっと軌道に乗りつつあったところに、またまた州政府並びにConselho da Educaçãoから政令が出まして、5月1日から6月2日まで、教師全員に夏休みを取らせるように、と指示がありました。しかし、正規の夏休み休暇は7月ですから、7月の最後の週の5日間は再び教師達に休暇を与えるように、との指示がありました。そのかわり、その5日間は、後期にある4日の祭日、例えば、8月15日はパラー共和国記念日、9月7日のブラジル独立記念日、11月2日のお盆、12月8日のカトリックの神様の日と、更にもう1日土曜日に振り替え授業を行うように、との指示でした。
当学園では、再びパンデミックの状況を考慮して、これではとても普通の授業が再開できるようになるのは難しいと判断致しました。そのうち、州政府から8月1日から授業の再開を許可する、との見解が発表されましたが、なかなか決定まではいきませんでした。長引きそうなコロナウィルスの感染を考え、当学園では8月3日からビデオ授業は取りやめて、小学校3年生から中学生までオンライン授業(教師・生徒ともにリアルタイム形式)に切り替えることに致しました。また教育効果を考えたり、ソーシャルディスタンスによる児童生徒達の精神的ケアを考えたりも致しました。友達や先生たちの顔が見えたり、お話が出来たり、自分だけではない、友達がいるんだ、という安心感や解放感などが、多分生徒達の喜び、学習意欲、また生きることへもつながっていくのではないか、と考えました。しかし、その為には、また教師達への講習会が必要となりました。若い先生たちは、2、3回の説明と実習でオンライン授業が出来るようになりましたが、小学校のベテラン教師2名がどうしてもオンライン授業に切り替えることが出来ず、鬱病になったり、退職を希望するようになったりしました。
とても残念でしたが、どんなにフォローしようとしても駄目でしたので、2名の教師を替える必要がありました。しかし、パンデミックの時代だからではなく、これからはコンピューター操作ができる授業が求められて来ています。今度はそれぞれのクラスにコンピュータを設置し、カメラとマイクを用意する必要がありました。
その間もブラジルのコロナウィルス感染は弱まるどころか、どんどん増加していき、死亡者数も増加の一途をたどっていきました。医療器具や集中治療室の確保が間に合わない上に、貧民街等には水も電気もない事態が発生したり、マスクの着用が徹底していなかったり、深刻な問題が続いていました。
私的なことになりますが、主人も息子たち2人も医者として働いておりますが、息子たちは家族ぐるみコロナウィルスに感染しました。死にものぐるいで患者さんの治療に当たっている医療従事者のことを考えますと、マスクの着用もしない人達やコロナウィルス感染を軽視するような政府の発言を聞きますと、非常に悲しくなり、憤りさえ感じておりました。
ベレンにいる息子は父親に「絶対に外出しないように(主人は3月から高年齢のため病院に行っておりませんが)、そしてコロナウィルスに罹っても、病院に行く必要はありませんよ。なぜなら、集中治療室の確保は出来ないし、人工呼吸器も不足しているのだから。」と、しょっちゅう忠告しておりました。そんな恐ろしい状態の中で2人の息子家族が全員回復させて頂き、再び病院勤務が出来るようになりましたことに、どれほどの思いで感謝いたしましたことか。
やがて、州関係の公立校の高校や大学は9月1日から授業の再開が許可されるという政令が出ました。最初は25%、次に50%、それから75%といった段階を追ってという指示でしたが、州によってバラツキがありましたし、9月1日からと言っていた政令がまた、9月15日から、といった具合に変更しました。
しかし、当学園では9月1日から小学校・日本語コース・英語コースの全ての授業を再開することに決定し、オンライン授業と普通の授業を同時に行うハイブリッド形式の授業を行うことに致しました。学校が決定し、授業形態が変わる度に保護者に通知を出し、オンライン会議を開き、丁寧に説明しましたが、今回は特に学校に出席して授業を受ける生徒たちからは、保護者の許可を頂くようにしました。そして、今回もまた各先生にハイブリッド授業の実践方法の講習会を開くことに致しました。さらに、各クラスにはより効果的な授業を行うためにプロジェクターの設置が必要でした。中学校の教室には全クラスに設置致しましたが、小学校の9つの教室全部には配置する余裕はありませんでしたので、2台購入し、9クラスで回しながら使えるように致しました。ハイブリッド授業を再開するために当たっては、州の衛生局に依頼し、パンデミックにおける衛生上の知識を得るための講習会(有料で)が義務付けられており、全職員の出席が必要となりました。その他いろいろ要請がありましたが、そのひとつに学園としては、各クラスにクーラーが設置されているのもかかわらず、扇風機を2台づつ配置するこが義務づけられました。また、教室には1メートル間隔に椅子の位置をマークしたり、廊下には行き帰りを区別するための色分けをしたテープを貼ったりする必要がありました。また、学園の入り口には体温を測る門番がいて、アルコールの入ったカーペットと、トッテンという手を消毒するための器具などの配置が必要となりました。授業が終わった後の教室の中や、トイレ、廊下、床等の消毒は、清掃の人達5人がフルに働いても終わらないくらい大変な作業でした。準備が整いハイブリッド授業を開始しましたが、教師達には1~2週間は大変な苦労があったようでした。教室にいる生徒達とオンラインで入ってくる生徒達の対応もしなければならず、その上、保護者の方々からはいろいろな注文がありましたし、時にはオンライン授業に保護者が入ってこられる、という事態も出てきました。そこで、当学園ではハイブリッド授業で新しい試みを企画致しました。授業は毎日7時30分から始まるのですが、週に3回、7時10分から7時30分までの20分間、保護者の方達のための質問コーナーを各クラスに設置致しました。その時間帯は保護者の方たちと担任の先生とのコミュニケーションを図り、問題があれば解決していくように致しました。その代り、7時30分以降のハイブリッド授業には生徒達だけが参加する、という約束を致しました。また年4回の試験は全てオンラインで行い、保護者の方たちが手伝っていらっしゃる可能性は十分承知の上での試験となりまりました。
当学園では、このパンデミックでの非常に厳しい教育環境と、経営の困難な中で、1つ新しい企画を考え、実行出来たことがあります。それは、日本語コースEAD(Educação a distância = 遠隔教育)の開設です。このコースはパンデミックが終わってからも、オンラインコースとして継続する日本語コースです。初年度ですから初級クラスだけですが、いろいろな時間帯をセッティングして赤字覚悟で始めました。若手の教師でコンピュータに強い、実力のある教師3人を選びました。集まった学習者の中には、ベレン市内は勿論ですが、カスタニャール、イガラペアスー、遠くはサンパウロからも入学してきています。嬉しいことにおかげ様で大変評判が良いのです。授業は全て録画してありますので、どうしてもその時間に出席出来ない場合は、自分でダウンロードして学習出来るようにしています。このコースは、パンデミックで日本語の学習者が減少していく中で、当学園が生き残るために行った1つの挑戦です。
9月から来年度の生徒募集が始まっていますが、幼稚園、小学校、中学校、普通の日本語コースの他に、このEADオンラインコースの初級Ⅰ・Ⅱもすでに募集を始め、10月から入学手続きが始まっています。
パンデミックの時代を切り抜ける為には、オンラインによる宣伝や情報提供は非常に大切で効果的だと考えております。幼稚園では1日コースの1日の流れをビデオで撮影したり、昨年までの写真を利用したりして、みずからシナリオを作成し、解説しながらの宣伝をインスタグラムやフェイスブックに載せました。また、EAD日本語オンラインコースの宣伝では、学習者の写真入りの感想を載せたりして宣伝しています。小・中学校は授業風景や学校、教室等の紹介の他に、保護者の方々のインタビューを入れたりした宣伝を作成し、インスタグラムやフェイスブック等で何回も宣伝するようにしております。
もう1つ今頑張っておりますのは、イベントが行えない現状ですから、日本語コースでは、オンラインで『Japan CEKO Festival』を企画し準備し始めております。小学生から成人までのお話・弁論の発表を字幕付きで行ったり、日本語の歌と合奏や日本料理、空手、和太鼓、カラオケ等をビデオで撮影し、編集したものを、12月12日の日本語コース卒業式の後に続けて流す予定です。学生や保護者の方々だけではなく、広く公開し日本語コースの宣伝を行いたいと考え準備中です。どの学校も、どの企業も生き残りの為の知恵を出し合ってプロジェクトを作り、それを実行に移すための努力をしていらっしゃると思います。
このパンデミックの中で私がしみじみ感じていることがあります。
それは、生き残りの為の現実社会での模索や挑戦、あらゆる可能性を見出す努力をしている自分と、もう一方では人間としての心の成長をしている自分です。
自分の息子2人(医者です)が家族もろともコロナウィルスに感染し、1人は集中治療室に入らなければならない程だったこと、またもう1人は他の州に住んでいるため様子も良く分からない状態で、私がしてやれることは、ただ朝・昼・夜と3回の読経を上げることでした。そんな経験もありましたので、当たり前のことにどれだけ感謝が出来るようになっているかを感じています。朝起きて、生かして頂いていることへの感謝から始まって、困っている人や、また一生懸命努力している人たちを見て、今までかけられなかった愛情が素直に持てるようになって、励ましの手を差し伸べている自分を感じております。
多分、私の心の中だけではなく、パンデミックの中で生活している全ての人達の心の中に、やさしい気持ち、他の人への思いやり、そういった感情が多かれ少なかれ芽生えて来ているのではないでしょうか。
それから、もうひとつ感じていることは、こんな苦境の中だからこそ見えてくるそれぞれの国の文化の違いや、教育の大切さです。1人1人の自覚と責任感と自分が出来ることへの最大限の努力がこのパンデミックに対抗できる最高の武器ではないかと感じております。そして、その思いが私に子供たちへの愛情と教育への更なる情熱を湧き立たせてくれていると思っております。
皆様、ワクチンの接種はもうそこまで来ています。1人1人が自覚を持ち、みんなで力を合わせて頑張りましょう!