執筆者:伊藤 佑月 氏
(明治大学 情報コミュニケーション学部1年、Estudamos Portugues会員)

 

今から約3年前、高校2年生17歳、はじめて一人で飛行機に乗り、手続きの方法も何もわからないけれどとりあえず出発―!名古屋を出てから約30時間後、ドイツでの7時間のトランジットも経て、やっとのことで地球の裏側ブラジルに到着しました。私にとってはそれだけでもう相当な達成感、、。 第一ホストファミリーが空港に迎えに来てくれていて、そのときはじめて私が喋ったカタコトのポルトガル語はたしか「Quero beber água」(水、飲みたい)でした笑 それから車で1時間半ほどかけてサンパウロ州郊外のサウト(私が1年間を過ごしたこの町は都会過ぎず田舎過ぎない落ち着いた雰囲気で気に入っていました!)へ移動し家に着くと、疲れからか15時間ほど眠ってしまいホストファミリーに笑われたのを覚えています。高校生のうちに自力でブラジルまで行くというだけでも意味があるものだったなあと今考えると思います。ブラジルに着いてからも、RNE(外国人登録のようなもの)や多額の関税をかけられてなかなか届かない荷物の手続き(結局段ボール一つ受け取るのに300レアル=当時の1万円ほど取られてしまってショックだった、、、)など、自分でどうにかしなければいけない問題がたくさんありました。それらを経てひとりでなにかをする行動力や対応力がついたなと思います。このように留学は語学だけでなくそれ以外の面でも成長することができるものだと感じました。

 

また、学校ですが、私は現地の私立高校の2年生(留学途中の2月に3年生に進級)のクラスに入りました。初日からたくさんのクラスメイトが話しかけてくれて嬉しかったのを覚えています。分からないことがあるとまわりのたくさんの友達が助けてくれました。これもブラジル人の国民性でしょうか?また、違う学年の子ともいつの間にか仲良くなることができたのでブラジル人の温かさとウェルカム精神を感じ、留学先にブラジルを選んで良かったなあと感じていました。

 

こうして友達に恵まれて楽しく生活を送ることができた私はホストファミリーにも恵まれていました。私は全部で4つのホストファミリーにお世話になりました。第一ホストファミリーはお母さんが日系3世で、昔日本に出稼ぎに来ていたこともあり、日本の文化への理解があってとても助かりました。そのおかげで、うまくブラジルでの生活にも慣れることができたと思います。ある日私がカレーを作ると言ったらホストマザーのお父さん(日系2世)が駆けつけてきて、家族みんなおいしいおいしいといって3回ほどおかわりをしていたのが印象的です。ホストファザーもホストマザーもいつも冗談を言って私を笑わせてくれたので家での生活も楽しいものでした。滞在した4ヶ月で本当の家族のような良い関係を築けたので、私が次の家族のもとへ引っ越すときにはホストファザーが、「本当は1年ずっとここにいて欲しかった」と泣きながら言ってくれ、そのときはこの家族に出会えて良かったなと私もついもらい泣きしてしまったほどです。その後お世話になった3つのファミリーもとてもいい家族ばかりでした。しかし共働きの家庭が多かったため私は家で1人になることも多く、そんなときは仲良くなったご近所さんの家に遊びに行くこともありました。家で一人で困っていると(鍵の建て付けが悪く玄関がうまく開かなかったり、、)いつも助けに来てくれて一緒にお菓子作りをしたり市場にフルーツを買いに行ったりとたくさん会話したので、おかげでポルトガル語を上達させることもできました。日本文化に興味を持ってくれたので浴衣を着せてあげるとすごく喜んですぐに写真をFacebookに載せていたのを覚えています。私の誕生日には手作りケーキでお祝いしてくれてとても嬉しかったです。近所の家に来ている一留学生のためにここまでしてくれるなんて日本じゃなかなかないことなのでありがたい気持ちでいっぱいになりました!もともと私はこの留学で人との出会いを大切にしたいと考えていたため、その意味でもブラジルは良い留学先だったと感じます。

 

ブラジルという地をもっと知りたい!と思い、サンパウロの外へ旅行にも行きました。すると今まで見たことがないものをたくさん目の当たりにして驚きました。マトグロッソドスル州へ行った際には道路も舗装されていない、店もなにもないような田舎の町があったり、ボニートでは見たことないほど綺麗で透き通った川で泳いだりヘビと戯れることもできました。

そしてなんと、念願だったアマゾンにも行くことができました。マナウスまでは国内線で約4時間。ブラジルって広い!アマゾンの先住民族の村を訪問した際には大嫌いなアリも食べました。留学生仲間とボートで5日間過ごし、夜はハンモックを吊り下げて寝たのもいい思い出です。真っ暗な中みんなで見た星空もずっと忘れないと思います。小さなボートで探検した時には、野生のサルがたくさんいたり、ピラニアを釣りました。ピンクイルカを呼ぶ方法を教えてもらったり、ナマケモノを見つけて抱っこすることもできました。自然が大好きでアウトドア派な私はドキドキワクワクが止まらなかったです。また、熱帯雨林の中でサバイバル講習も受けました。石で火を起こす方法や飲み水の見つけ方、大きな葉っぱで小屋の屋根を作る方法も教わりました。歩いている途中何度も転んで泥だらけになり、しまいには足もつかないほどの巨大な水たまりがありましたが、まわりに助けられながらなんとか泳いで渡りきりました。そんなことがありながらもちゃんと生きて帰って来られたので私は今元気に日本で暮らしています。笑 アマゾンに住む子供たちはみんな人懐っこくて、お菓子を分けてくれたり、たくさんのことを話してくれました。この子たちの多くは船で学校に通っているそうです。「どこから来たの?」と聞かれて「Japão」と答えると、どこだろう?というような表情をされたので、日本のことを知らない子どもたちと直接交流できたのは私にとって良い経験になりました。でも地球の裏側のアマゾンの子どもたちでも日本の子供たちとなんら違いはなくて、やっぱり人はどこにいても、人種が何であれ、一対一で見てみれば皆同じなんだなと気づくことができたのも私なりの発見でした。

 

ブラジルで過ごした1年は、私にたくさんのことを与えてくれました。経験したこと、出会った人々、すべてがわたしの宝物です!語学だけでなく文化交流や意見交換など、高校生で行ったからこそ得られたことも大きかったブラジル留学でした。ぜひ今後ブラジルへ留学する人が増えて欲しいなと願うばかりです。長くなりましたがお読みいただきありがとうございました。Muito Obrigada!