沼田 行雄 氏
(協会理事、元在ベレン総領事)

 

マラジョ島は、悠久の大河アマゾン川の河口にある世界最大の中洲の島で、マラジョ土器に代表されるインディオの伝統文化、黒人文化と融合した楽しい舞踊音楽・カリンボ、60万頭ともいわれる世界最大級の水牛の生息地として有名であり、手つかずの自然に溢れ、ゆっくりと時間が流れる大変魅力的なところである。

全体の面積は、約4万平方キロメートルとベルギー一国や九州より大きいが、人口は約25万人で一番大きな町ソウレでも約2万人、その圧倒的な広さと人口の希薄さに加え、西側の複雑な水路の配置からか一つの島という感覚は乏しいが、立派な一つの島である。北側をアマゾン本流、東側が大西洋、そして南側を流れる支流の一つパラ川を挟んで、その対岸に州都のベレンがある。そんなマラジョへは、ベレンに勤務していた時に何度か訪れているが、その魅力の虜になってしまった最初の旅を紹介したい。

マラジョ島の観光、経済活動の中心は南東部のソウレ市。早起きをしてベレン郊外のイコアラシ港を朝6時半に出航するフェリーに乗船、マラジョ島サルバテラ市のカマラ港に向かって約3時間、地元の乗客も多く自分用の枕を持参してひと眠りする人もいて、のんびりと船旅を楽しむ。ジープに乗り換えて、州道154号線を途中に休憩も取りながら、約1時間半北上した後、最後にパラクアリ川を小さな艀で渡り、昼前に目的地ソウレの船着き場に到着した。街中にはいくつかホテルやペンションなど宿泊施設があるが、私たちが泊ったのは、港から近い素朴で可愛らしい二階建てイーリャ・ド・マラジョ・ホテル、フロントのある玄関から川を挟んで対岸の街並みが広がり、前庭には大きな木があり鳥や水牛がのんびり休んでいた。

近くの白砂ビーチのレストランで昼食をとった後、船着き場に戻りモーター付き遊覧船に乗り、パラクアリ川の上流の探検に向った。支流にも関わらず大河の様相がある風景の中に、自然の雄大さを実感した。因みに、パラクアリ川は水深が60メートルもあり、インディオによる命名も深い河という意味を表しているとのことであった。

翌日は、遅い朝食の後、市内のマラジョ焼きの工房と皮革製品の家内工業の店を訪問し、工房のご主人は、インカからきたインディオの末裔だと話していた。マラジョ島には、紀元前400年頃から西暦1400年頃まで相当数の先住民が定住し、高度な文化を発展させていたが、その後、忽然と歴史上から消えて行ってしまったとされる。マラジョ近辺には、1500年のカブラル提督の「ブラジル発見」の前からヨーロッパ人が来訪しており、持ち込まれた伝染病の影響などもあって急激に人口が減少していったとの説もあるが定かではない。彼らの住居跡からは、プレ・コロンビア期の代表的な美術作品と評される、渦巻模様が特徴的な彩色土器が多数発掘されており、その伝統は今も現地の人々に引き継がれている。街中には訪問したマラジョ焼の工房があり、作業工程の実演をみることができる他、ベレン市内のエミリオ・ゴエルジ博物館では、発掘された貴重な土器のコレクションが展示されている。

午後は、サン・ジェロニモ観光牧場で、水牛に乗って場内の小道を巡る約40分間のワイルドなツアーに参加。最初は要領がわからず少し緊張したが、水牛たちはとてもおとなしく、乗馬ならぬ楽しい乗牛の珍しい体験であった。その後、徒歩でマングローブの森を抜け、人っ子ひとりいない白砂のビーチにたどり着いた。そこから、カヌーで運河を遡上。途中、激しいスコールで全員ずぶぬれになるが、すぐに雨は上がり日差しが戻った。ビーチの近くでは、メルグリャン(潜水鳥)というガンカモ科の黒い鳥の群れや、水の上を飛ぶ魚の群れに出会う、メルグリャンはその名の通り深く潜水して魚を捕るとのことで、マングローブの林 のあちこちに獲物を待っている鳥の姿が見られた。

その晩は、ソウレ市長からパライソ・ヴェルデという地元のレストランに招かれ、美味しい郷土料理とカリンボの踊りを堪能した。カリンボは、2014年にブラジル無形文化遺産に登録されたマラジョなどアマゾン地方発祥の舞踊音楽で、クリンボというインディオたちの太鼓が刻むリズムと踊りを起源として、19世紀以降はアフリカ系黒人(解放奴隷)の影響を受け、西洋音楽的要素も加わりながら、徐々に定着していったもの。軽快なリズムの音楽に合わせ男女がペアで踊り、中でも、カラフルなスカートを大きく回しながら踊る女性の姿が印象的であった。

最後の日は、エヴァ・マリア・アブファイドさんのボン・ジェズス牧場を訪問させて頂いた。敷地6,600ha、60人の労働者が働く、ソウレ近辺で最も大きな牧場の一つで、先代がマラジョでの水牛飼育の先駆的役割を果たされたとともに、IBAMA(伯環境省)と連携する自然環境・動物の保護活動にも熱心に取り組まれている。

ご主人のエヴァさんは、若い時にベレンの日系医師・越智先生にお世話になったと仰るなど大の親日家で、ご親切に広い場内をずっと付き添ってご案内してくださった。最初は、バッファローとのスキンシップ体験、目を見ながらやさしく体をさわってみる、そして、ゆっくりと背中に乗せてもらう、とてもおとなしくて可愛い。エヴァさんによれば、マラジョが世界有数の水牛の生息地になっているのは、19世紀半ばにマラジョ沖でフランスの貨物船が難破し、乗っていた水牛達が泳いで島にたどり着いたことが始まりで、水路に囲まれたマラジョの地形は水牛達にとって絶好の生活環境であったため、多くの牧場が開発され頭数が増えていったとのこと。ソウレの街では、水牛に乗ってパトロールをする警察官を見かけた。

牧場では、また、絶滅の危機にある動植物の保存・繁殖活動をされており、嘗ては食用として珍重されていたが、今では絶滅危惧生物としてワシントン条約で保護されているアマゾンの陸亀ジャブチ・ムスアンの飼育の様子を、また、広い牧場内の水辺には、水牛や馬たちと一緒に、ゆったりと羽を広げたり、えさをついばんだりしている、グアラ(朱色のトキ)やアオサギなど様々な珍しい鳥類をみることができた。まさに、アマゾンの大自然を直接肌で感じることができる素晴らしい場所であった。

昼過ぎに牧場を出て、急ぎホテルで昼食をとってフェリーに乗船したが、パラクアリ川の真ん中で2時間以上も立ち往生してしまい、予定していたカマラ港3時発のベレン・イコアラシ行きフェリーへの乗船が絶望的になってしまう。待てど暮らせど一向に動く気配はなく、途方に暮れてしまったが、周囲のブラジル人たちは一向に慌てる様子はなく、のんびりと待っていた。マラジョに来て痛烈に感じたことは、時間が止まったようにゆっくりとながれていること、招待客がいつまでたっても来なかったり、食事の準備やダンサーや楽団のメンバーの集合が遅れたりは当たり前で、そのことを誰も気にしていないのに驚かされた。

その後、ようやくフェリーが動き出し、私たちは走りに走り、4時発フェリーの出発間際にカマラ港に到着、乗船券も何とか確保することができ、7時半頃に無事にイコアラシ港に帰着し、最後はドタバタしたが、思い出に残る3日間の楽しいマラジョ旅行を終えた次第である。

ブラジル国内、特に、原住民インディオの人々を含む北伯でのコロナ感染が、収まらないなかで旅行もままならないとは思いますが、いつか機会があれば、皆さんもアマゾンへの旅を考えてみては如何でしょうか。