小川善久
(㈱漢和塾代表取締役)

 

漢和塾とは
漢和塾って誰?と思う方も多いだろうが、2005 年に銀座に誕生した法人向け中国語研修を生業とする語学会社だ。私自身は大学の専攻はポルトガル語、その後、リクルートという会社に入社、まったく畑違いの旅行情報誌の仕事をしていたのだが、1998 年、プライベートで行った中国(北京)がきっかけで中国語を独学で学ぶことになる。その後、退職して 2005 年に銀座に会社を興し中国語専門の研修会社を営んでいるが、在学中も卒業後もポルトガル語に関わることはなく、ブラジルにも一度も行かず四半世紀以上が過ぎていた。

初めてのブラジル訪問
研修の仕事では「事件は現場で起きている」をモットーに中国の現地には頻繁に足を運んでいたが、7 年ほど前に、とある大企業の担当者から「貴殿はポルトガル語学科卒業だよね?ブラジル赴任の人がいるのでポルトガル語を教えてもらえない?」と聞かれるも、前述のようにポルトガル語は忘れてしまい、更に肝心のブラジルの現場も見たことがない。お仕事自体はお断りするも「そうか、自分はポルトガル語専攻だったんだ!」と思い出し、人生初、単身でまずはブラジルに行ってみることにした。
初めてのブラジルはサンパウロに。ポルトガル語も不安なので、日本人街があると言われるLiberdade の日系のホテルに宿泊。びっくりしたのは鳥居や日本庭園のある町でなぜか頻繁に聞こえてくるのが中国語だったこと。結果的に中華料理屋で中国語を使って過ごしていた。聞いてみると日本人街はいまや「東洋人街」と呼ばれているとのこと、最近になって地元の日系人の方の努力で地下鉄の駅に Japão の名前がついたが、実態としては、中華圏、韓国系の人が日本の看板で商売をしている。

ポルトガル語研修部門の立ち上げ
 その後、ポルトガル語の再学習のためにサンパウロで短期留学をした後、中国語の研修会社である漢和塾内に「BrAsia(ブレイジア)」と言うポルトガル語の研修部門を立ち上げた。Brasil と Asia を引っ掛けた造語だが、ポルトガル語専攻の私が中国に深く関わっていることで、単なる日伯のビジネスのつながりではなく、日本とブラジルのビジネスを中国も意識しながらお手伝いができる、そんな思いを込めたものだ。実際に、貿易額も中伯のほうが日伯を遥かに凌いでしまっていて、日本の企業の応援団としては歯がゆいこともある。が、結果的にはこの 7 年間で出張ベースではあるがブラジルに 13 回、中国に15年間で113回もお邪魔してきた中で、ブラジルでの中国の脅威や影響力、或は中国と組んでできることがあるか?など違った視点で、赴任者の方の語学のお世話と情報提供もしている。
そんな私どもも 2020 年はいわゆる感染症騒ぎでブラジルにも中国にも足を運べていないが、今回の情報戦争ともいえる事件では、世界における中国の存在感が更に増したことは確かで、米中の狭間で日本のかじ取りはさらに難しいものになるだろう。ブラジルとて同じ課題ではあるが、両政府とも難しい舵取りが今後も必要だろう。

語学研修の環境変化
ちなみにポルトガル語に限らず、語学研修においては、対面授業が一時全面的に中止になったが、実は教育産業にはオンラインは追い風で、これまでなら地方の拠点で優秀な講師を発掘するのに苦労していたが、都市部の優秀な講師が全国的に担当できたりする。また、オンラインソフトに慣れれば、共有ファイルなども活用でき、インターネットで映画など実際の動画を一緒に見ることもできる。また、中国語においては「中国語教育能力検定」なる講師の実力テストを実施、講師品質の客観化に成功しているが、ポルトガル語は講師の力量を図る客観的な指標はまだない。学習者のためのポル検(ポルトガル語検定)や講師の検定試験など、ビジネス、教育業界の有識者に方のお力添えも得て、語学教育の環境整備もしていきたい。

最後になるが、ブラジルは遠い!と言う言い訳はこの先禁句にしよう。ほとんどその距離が変わらない中国・韓国がどれだけ往来しているか? 113 年前に礎を築いた日系移民の方々の努力の結晶や信用というアドバンテージがあるうちに、日本の経営者・ビジネスマンは、是非ブラジルに足を運んでいただきたい。2021年もいわゆるコロナ禍は、政治的な思惑やワクチン利権にメディアの横暴などで、どこまで収束するかわからないが、発信源と言われる中国はとっくに通常運転で、世界の企業やホテルを買い叩く用意をしている…中国も大いに意識しながら、私ども漢和塾の「BrAsia」は語学教育の側面支援ではあるが、日本企業が改めて世界やブラジルで躍進できるよう、タイムリーに現場を知ること含めて引き続き感性を磨いていきたい。