岸和田仁
『ブラジル特報』編集人)

ブラジル南部三州のなかでも特にパラナ州は東欧はじめ様々な国から移民を受け入れて来た歴史を有する。イタリア、ドイツ、日本はもちろんだが、ポーランド、オランダ、レバノン、アルメニア、ウクライナなどから多くの移民が流入してきた。最近ではチャベス・マドゥーロ専制政権下で破綻国家となってしまったベネズエラからの高学歴避難民がパラナ州に多く住み付き、短期移民ではなく永住移民として定着してきていることでも知られる。
こうした歴史的経緯から、パラナ州には、様々な国からやってきた移民の集団入植地が発展して中規模都市になっている例が少なくない。
州都クリチーバから西の方向へ200kmほど内陸方面に入ったところに位置するプルデントーポリス市の場合は、街の歴史とウクライナ移民の歴史とがきわめて密接な関係にあることから、ロシアによるウクライナ侵攻がきっかけとなって、今年3月以降ブラジル内外から注目を集めている。
19世紀末から1920年代にかけて、累計で数万人ものウクライナ移民の多くが入植したのは、パラナ州の南部から中央部にかけてであったが、一番密度の高いウクライナ集団入植地を形成したのが、現在のプルデントーポリス市であった。
現人口は5万人ほどの中規模都市であるが、なんと、現住民の8割がウクライナ系(3世や4世が主体)で、街の道路標識もすべてポルトガル語とウクライナ語で併記されている。地元の公立学校ではウクライナ語教育も必須科目となっているため、住民のほとんどがウクライナ語でも読み書きができる。まさに「ブラジルのなかの小ウクライナ」だ。
この市の名前は、創設当時の大統領(プルデンテ・デ・モラエス)にちなんで付けられたが、温暖な気候に恵まれた土地で、農業(大豆、小麦、大麦、トウモロコシ、豆類)関連の農産加工業やマテ茶製造が盛んで、自然環境を取り込んだエコロジカルな観光業も今後の発展が期待されている。プーチンによるウクライナ侵略が生み出した副産物効果でプルデントーポリス市の知名度が急上昇したワケだが、住民の多くがウクライナへの連帯を表明し、和平の到来を切望していることは言うまでもない。