佐藤貞茂
(株式会社アルファインテル 代表取締役)

1979 年創業
私は東京農業大学在学中に、移住研究部という部活動で移住に関する研究に関わったことをきっかけに、1974 年に海外移住事業団(現在の JICA)の派遣で 1 年間ブラジルでの研修の機会を得た。サンパウロからブラジリア乗り換えで 3 日間かけてバスでブラジル北部の研修先へ向かった。ベレン、トメアス、モンテアレグレ、マナウスで日本から移住した方々のもとで研修をし、酷暑の中でのご苦労をつぶさに感じた。
この研修でできたブラジルとの縁で 1979 年に起業して以来、中南米、特にブラジルを主に取り扱う旅行会社として営業している。
当時ブラジルから各県人会の訪日団やコチア青年の 2 世訪日研修団を代表とする団体が多く日本を訪れてくれた。1979 年の 12 月にコチア青年移民(農業移民)の移住 25 周年の記念事業として、「第 1 回コチア青年 2 世訪日研修団」130 名の移民2世の子たちが日本に到着したときのことはよく覚えている。1986 年にはブラジルに現地法人を設立(現在は別会社)し、私は 10 年ほどサンパウロに駐在し、ブラジルと日本を行き来した。
入管法の改正
1990 年 6 月 の 入 管 法の改正実施により、日系2世、3世やその家族の就労が合法化され、ブラジルから来日する労働者が急増することになる。当然弊社はこの来日航空券の販売に力を入れた。1989 年に 14,528 人であった在留ブラジル国籍者の数が、1996 年には 20 万人を超えたのだ。今思うと、この時にこのマーケットに参入したことが弊社にとって大きかった。1991 年には名古屋支店を、1994 年には群馬支店を開設し、エスニックマーケットと言われるこの市場を拡大していった。その後は日本に定着した在留資格を持つブラジル人、また帰化した方々のブラジルはじめ南米への帰省のための航空券の販売が弊社事業の 7 割以上を占めるようになった。
一方で、弊社ではアウトバウンドでもブラジルをメインに団体から個人旅行まで幅広く取り扱っている。ブラジルへの移民80 周年や 100 周年のときには、各県からブラジルへ慶祝団が派遣された。文化・芸能団体も派遣され、移民された方々のご苦労に謝意を示した。
2006 年には第一種旅行業資格を取得し、自社で募集型の海外企画旅行を実施することも可能になった。
IATA 公認代理店へ
更に弊社にとって大きな転換点となったのが、2012 年 10月に IATA 公認代理店の資格を取得したことだ。IATA とは国際航空運送協会(International Air Transport Association)という国際線を運航する航空会社、旅行代理店、その他の関連業界のための国際的な業界団体のことだ。IATA の公認代理店になるには、一定の基準の審査をし、認可されなければならない。日本国内には旅行会社が 1 万社以上あるが、IATA 公認代
理店はそのうちの 250 社程度だ。最大のメリットは世界各国の IATA 加盟航空会社の航空券を自社で発券ができることだ。これにより弊社は航空会社と直接契約をし、世界中の航空券を自社で発券し、さらにエスニックマーケットにおいては特別な料金で発券・販売することが可能となった。
2016 年 1 月には、社名をそれまでの株式会社アルファインテル南米交流から、その守備範囲を広げるべく株式会社アルファインテルと変更した。
その流れでブラジル人よりも在留者の多いフィリピン人のマーケットにも参入し、2016 年 2 月にはフィリピンのマニラにコールセンターを開設した。
私ども旅行業の仕事は、上記のとおり人の動きがあってはじめて成り立つものだ。
コロナ禍
2020 年 3 月、新型コロナウィルスの感染拡大により人の動きは止まり、以降旅行業界は文字通り凍り付いてしまった。各国の入国制限等により、2020 年 4 月以降予定していたツアーは全てがキャンセルとなった。
しかしながら、コロナ禍の中でも、最も早く人の動きが戻り、活発だと言えるのが、在留外国人とりわけブラジル国籍の人たちだった。あまり理解されていないかも知れないが、日本に在留資格のあるブラジル人は、コロナ禍でも自由に(コロナの水際対策のため検査など煩雑な手続きはあるが)日本とブラジルを行き来することは可能だったのだ。更に言うと、ブラジルだけは日本人に対して一度も国境を閉じていないので、実は日本人も自由にブラジルには旅行ができた。
もちろん、日本人の海外旅行はまだまだ見通しが立たないので厳しい状況であることには違いないが、1990 年にエスニックマーケットに参入したことが、今になって弊社にとっては非常に大きなことであったし、これがなければコロナ禍を生き抜くことは難しかったかも知れない。
今後しばらくは with コロナ時代が続くであろうが、経口抗ウィルス薬ができるなどして、人の動きが戻り、また日本の皆さんがブラジルへ多く足を運んでくれる日が一日も早く訪れることを願ってやまない。