尾曾菜穂子(ブラジル日本交流協会研修生)
Pilar do Sul(ピラール・ド・スール)。それは私にとって、愛おしくて落ち着く響き。ここにもう8 ヶ月住んでいる。あるのは広くてなだらかな傾斜と、大きな大きな空である。時々、サンパウロのような都会が恋しくなって出かけるが、ピラールに帰ってくるとなんとも言えない安心感に包まれる。都会で緊張していた心と身体がほぐれてホッと一息できる場所だ。
ピラールは、サンパウロから車で3 時間、人口3 万人の町である。農業を生業とする人が多く、小さなセントロと大きく広がるシッチオ(農地)がある。セントロがあまりにコンパクトなので小規模な町だと思われがちだが、その奥に広がるシッチオに町の人口のほとんどが集中しているという。ここは作物の育ちにくい土壌で、元々人の住み着かない場所であったが、「家を建てる人には無料で土地を配る」という政策
が打たれて以来、たくさんの人が移動してきた。今となっては穀物や果物の生産で有名な町である。
ピラールの好きなところは「人」である。カイピーラ(田舎者)の人々は、よそ者である私にも分け隔てなく接してくれる。私が「ポルトガル語があまり分からないので、少しゆっくり話してください。」と言うと、「あなたはここの人じゃないの?」と聞かれる。「あなた、外国人?」などと、ストレートな表現はあまり使わない。そう聞かれると、「ううん、日本から来たの。4月に来たの。」と、こちらも自由に答える余地が残されているような気がする。
この町に来てから、たくさんのいい出会いがあった。だが多くの人々がもうこの町を去ってしまった。日本に出稼ぎに行ったり、大学や仕事のために都会へと引っ越したりと、この長閑な田舎町で激しく人が出入りしている。ここには食べ物も、安全もある。反面、都市部と比べると仕事は限られ、サラリーマンの年収ではつましい生活だ。だから若者は町の外に可能性を見つけにいくのだ。でも最近、この町ピラールでなんとか!という思いを持って頑張っている人を見つけた。辛い状況にある時、そこから逃げることも大切だ。しかしそれと同じくらい、(無理はしない程度に)どうにか頑張ってみる粘り強さも大切だと気がついた。そんな人からたくさん話を聞いて、私もいざという時に踏ん張れるよう、レジリエンスを高めたいと思うようになった。