執筆者:深沢正雪
ブラジル日報編集長

この記事は、ブラジル日報WEB版の2023年2月28日付けのコラムに掲載されたものを、同紙の許可を得て転載させていただいたものです。

2013年、リオのカーニバルでインペラトリス・レオポルジネンセの豪華なパレード(Agência Brasil/Alexandre Macieira, via Wikimedia Commons)


テレビで放送されるのは氷山の一角
リオでもサンパウロでもカーニバルと言えば、「Grupo Especial」(スペシャル・グループ)を思い浮かべる。でも実はエスコーラ・デ・サンバ(サンバチーム)はずっと下のカテゴリーにもあり、けっこう面白い。以下、10年近く体験したサンパウロ市のカーニバルについて解説してみたい。
 まずカーニバルには次の2種類がある。(1)サンパウロ・サンバチーム独立リーグ(LigaSP、Liga Independente das Escolas de Samba de São Paul)が主催するカーニバル専用会場サンボードロモで開催される、「上澄み」のような派手なもの。
 その下には(2)サンパウロ・サンバチーム・ユニオン(UESP、União das Escolas de Samba de São Paulo)が主催する市内の街路で行われる「下積み」のような地味なものがある。同じ期間に行われるが、かなり性質が異なる。
 (1)の最上位「Grupo Especial」はグローボなどがテレビ生中継する、お金がかかって注目度が大変高いカテゴリーだ。だが、サンバ愛好家からすれば、良くも悪くもショービジネス化、商業化が進んでいると批判される部分もある。だが音楽、衣装、山車、アイデア、パレードの質という意味では選りすぐりであることは間違いない。
 「Grupo Especial」14チームのすぐ下には、「Grupo de Acesso 1」8チーム、その下には「Grupo de Acesso 2」12チームがある。上位グループの最下位2チームが下位グループに落ち、下位グループの上位2チームと入れ替わる。
 (2)のUESPの最上階層は「Grupo Especial de Bairros」12チーム、下に向かって「Grupo de Acesso de Bairros 1」12チーム、「Grupo de Acesso de Bairros 2」11チーム、「Grupo de Acesso de Bairros 3」16チームとなっている。
 つまり一番上の「Grupo Especial」から一番下の「Grupo de Acesso de Bairros 3」まで、なんと7階層、85チームが存在する。だからメディアに出てくる有名エスコーラは上澄みだ。下位のカテゴリーほどパレードに必須とされる構成要素が減らされ、山車の数が少なく、参加者も減る。その分、投資も減るから見かけは貧相になるが、サンバにかける意気込みは変わらない。

 

決まり事とパレードの採点基準

2015年のサンパウロ市カーニバルでは、日伯修好120周年を記念してアギア・デ・
オウロが五所川原の立佞武多(たちねぶた)を行進させた

 2023年LigaSP規約(https://ligasp.com.br/wp-content/uploads/2023/02/REGULAMENTO-CARNAVAL-2023-GRUPO-ESPECIAL.pdf)によれば、サンパウロ市エスペシャル・グループのパレード時間は55~65分間、最低出場者総数1500人、山車4台、3脚か4脚のミニ山車4台まで、コミッソン・デ・フレンチ(先頭の群舞隊)6~15人、バイアーナス30人以上、メストレ・サーラとボルタ・バンデイラ(チーム旗持ちとその引率者)1組以上となっている。この規定を破ったり、行進中に山車や衣装が壊れると即減点となる。サンボードロモの数カ所に分かれて、36人の審査員が潜んで採点する。
 採点項目は「アレゴリア(山車)」「ファンタジア(衣装)」「サンバ・エンレド(テーマ曲)」「コミッソン・デ・フレンチ」「エンレド(テーマを反映したパレードになっているか)」「メストレ・サーラとポルタバンデイラ」「アルモニア(歌詞とパレード構成)」「エボルソン(パレード構成と色使いやチーム旗)」「バテリア(打楽器隊)」の九つだ。それぞれ4人の審査員がおり、8~10の間の点数が0・1単位でつけられる。最低点だけが破棄され、残りが合計されて争われる。この辺の規約は毎年激しく変わる。
 今年サンパウロ市で1位になったモシダーデは270・0点、2位マンシャ・ヴェルデは269・9点、3位インペリオも269・9点、4位タトゥアペも269・9点、5位や6位も269・8点なので互角。正直言って誰にも分からないような微妙な差が勝敗を決めるため、2位以下のチーム幹部は採点発表会で激怒して悪態をつくことの繰り返しだ。

 

下積みエスコーラに参加する際の注意点

(2)のエスコーラはサンパウロ市南部ブタンタン区や東部ビラ・エスペランサの街路を臨時に仕切って観客席を作り、夜から朝方までパレードを開催する。高額なチケットを買わないと入れないサンボードロモとは違って、誰でも見に来れる実に民主的なカーニバルだ。これに加えて(2)には「エスコーラ」ではなく、「ブロッコ」と言われるカテゴリーがある。「Grupo Especial de Blocos de Fantasias」12チーム、その下の「Grupo de Acesso de Blocos de Fantasias」4チームだ。エスコーラとの決定的な違いは、山車を持たないことだ。

 いわゆるサンバ好きな人は、エスペシャルに出場しつつ、下位グループにも参加する。一般に上位ほど大組織になるので上下関係が厳しく、昔からの伝統的人脈が太いので、新参者はなかなか上に上がれない。その点、下位グループほど新参者でも実力さえあればどんどん影響力を拡大して、すぐに各セクションのトップになれ、自分の好きなようにパレードを変えていける。
 そして何より、下の方が勝敗や見栄と関係なく、純粋にサンバ好きな人が多い傾向がある。そのような素朴な人間関係を楽しみながらサンバをやりたい人には下位グループが向いている。ただし、下位グループほど組織の規律がグダグダな傾向があるので、それが嫌いな人には向いていない。また下位グループほど庶民地区、治安が良くない地区に位置することが多いので、その点も要注意だ。
 同カテゴリーのライバルに同時出場することは、チームから裏切りと見なされるので御法度。コラム子は多いときで別々のカテゴリーの3チームに出場していた。金曜晩から月曜晩までの間に最大4チームも出場する強者もいる。
エスコーラの年間行事

現在、堂々のアセッソ1のウニードス・ダ・モッカが、2007年当時下から3番目のカテゴリーで街路パレードをした時の記念写真。バテリアも実にシンプルな衣装だった。

 

毎年2月頃にカーニバルが開催される。その後、しばらく休みになるが、その間、チーム幹部は翌年のパレードのエンレド(テーマ)を考え、お抱えの複数の作曲家チームにエンレドに沿ったテーマ曲の候補を作らせ、7月頃からそれを披露するイベントを毎週エスコーラで開催し、構成員や審査員が審査して、8月頃に翌年のテーマ曲を決定する。同時に、チーム幹部はカルナヴァレスコ(総合演出)を選んで、パレード全体の構成、山車やファンタジア(衣装)のデザインを決めてもらい、その制作を始める。
9月頃から毎週、打楽器隊を入れた本格的なエンサイオ(練習)が始まり、毎回1時間程度の通し演奏を2回程度行って、翌年のテーマ曲を出場者の頭にたたき込む。
12月頃からエスコーラの近所の街路を行進しながら演奏や踊りをする練習を始める。1月からアニェンビーのサンボードロモ会場での本番さながらのエンサイオが始まり、2月に本番を迎えるのが通常のパターンだ。

コラム子が所属していたVaiVaiではエンサイオの最後に「来週日曜午後6時からエンサイオを開始する」などと予告していた。生真面目な日本人としては時間通りに集合するが、きまって開始時間は午後8時頃だった。それまでグダグダと待たねばならず、まったく閉口した。チーム幹部に苦情を言ったら「オマエらの方がここでは普通じゃない。ここに来る奴らはみんな2時間前に召集をかけないと集まらない」と逆に呆れられた。エスコーラに通う醍醐味は、このように半年間毎週メンバーと顔を合わすことだ。本番前に何回か顔を出して参加するのと違って、良くも悪くも、より濃密なコミュニティ意識が味わえる。

 

リベルダーデ区にあるサンパウロ市最古のエスコーラ

 

審査員がいる塔。この前で演技を失敗すると致命的

2000年代初め頃、コラム子はVaiVaiに加えて、リベルダーデ区に所在するサンパウロ市最古の一つ、1937年創立のエスコーラ「黒海賊ラヴァペス」(Lavapés Pirata Negro)にも出ていた。住居から近いことに加え、カーニバルが市の公式行事化された1968年以前、なんと20回も優勝した常勝チームだったことを知り、「今はどうなのか」と興味半分で参加した。そしたらUESPの下から2つめのカテゴリー、サンパウロ市最低級のエスコーラの一つになっていた。演奏も酷く、参加者も集まらない。挙げ句の果てに本番直前の路上行進練習では、グリセーリョ地区でも最も貧民窟化した地域シニンブー街を通ったのには驚いた。その際、一緒に練習していたメンバーの多くは、そこの住人だったことが分かったのでさらに驚いた。今でも下から三つ目の「Grupo de Acesso de Bairros 1」でサンボードロモは遙か遠くだ。

ラヴァペスを義母エスコーラとして2000年に生まれたのが、Dragões da Real(以下ドラゴンエス)というサッカーのサンパウロFCのトルシーダ(応援団)を母体としたエスコーラだ。ラヴァペスが練習を始める前に、その場所を間借りして練習していた。当時打楽器隊も15人ほどしかおらず、同じ場所でやっているよしみで、ラヴァペスのメンバーが手伝っていたので、コラム子も叩いていた。

当時、同じくサッカーのコリンチャンス応援団を母体としたエスコーラ「Pavilhão 9」のメンバーが、サンパウロFC熱烈応援団員に殺される事件が起きた。同じサンパウロFC系統ということでドラゴンエスのメンバーがビビって練習に来る人数が半減して寂しくなったのを覚えている。マジメに通っていた日本人としては「根性なし」とせせら笑ったが、内心では怖かった。

というのも「Pavilhão 9」というのは、今は無きかの有名なカランジルー刑務所の中にあった、コリンチャンス応援団に属する受刑囚が集められていた建物のことだったからだ。人殺しなど屁とも思わない犯罪者がいてもおかしくない。

 

激しい栄枯盛衰、上がる白人系エスコーラ
 2000年に創立し、コラム子が手伝ってたころは下から二つめ位だったドラゴンエスは現在、堂々のエスペシャルだ。勢いのあるチームはどんどん上がる反面、ラヴァペスのように過去の栄光に浸るチームも多い。1998年から4年連続優勝を飾ったあのVaiVaiが、近年に2回もアセッソ1に落ちた。かつて計15回も優勝したエスコーラだが栄枯盛衰は避けられないのかも。
 最近の傾向としてはラヴァペスやVaiVai、レアンドロ・デ・イタケーラ(アセッソ2)、ネネ・ダ・ビラ・マリルデ(アセッソ1)を初めとする黒人コミュニティ系エスコーラが凋落し、白人系エスコーラが上がってきている。「サンバは黒人の音楽では」と思う人も多いだろう。だが、カーニバルが採点競技になっている以上、音楽性だけでは勝ち抜けない。資金力、統率力、表現力、計画実行性などがトータルに高いチームに分がある。
 白人系の中でもトルシーダ系の上昇が顕著だ。すでにエスペシャルにはドラゴンエス以外にも、マンシャ・ヴェルデ(パルメイラス)、ガヴィオンエス・ダ・フィエル(コリンチャンス)、インデペンデンテ・トリコロル(SPFC)もあり、14チーム中四つという多さ。さらにすぐ下のアセッソ1にはトルシーダ・ジョーヴェン(サントスFC)が控えている。
 このトルシーダ系エスコーラがサンパウロ市カーニバルの特徴で、リオではこの傾向は薄い。リオのカーニバル主催団体LigaRJはトルシーダ系の加入を内規で禁止していたからだ。そもそもトルシーダは日常的に3~4万人のサッカー場を満員にする動員力を持っている集団であり、それとさして変わらない入場者数しかないサンボードロモを埋めることは容易い。
 しかも、トルシーダの後ろには一般的にサッカーチームがついており、資金力がけた違いだ。だからスルスルとカテゴリーを駆け上がることが可能だと言われる。それだと伝統的なエスコーラが阻害されるという観点から、リオでは禁止されていた。でも、現在では禁止が解かれ、2月28日付Lance!紙にあるように徐々に下から上げってきていると報じられている。今後、いずれサンパウロ同様にトルシーダ系がリオのカーニバルも席巻する可能性がありそうだ。
 同じカーニバルでもリオとサンパウロではかくも違う。これもまたブラジルの多様性ということだろうか。(深)