執筆者:田所 清克 氏
(京都外国語大学名誉教授)

★本コラムはラテンアメリカ協会のHPに掲載されたものですが、執筆者である田所先生の許可を得て「伯学コラム」に転載致します。

 

País do Carnaval e do Samba: Brasil
カーニバルとサンバの国: ブラジル その1

目下ブラジルはカーニバルで沸き立ち、国民がその宗教的な祭典に熱狂する姿がありありと目に浮かびます。リズムを聴けば、つい踊りたくもなる心境に駆られます。
カーニバルと言えば、私などは親交のあった文豪Jorge Amadoの、最初の作品で1931年に刊行されたPaís do Carnaval を思い起こしますが、祭典そのものについては、朝日百科をはじめとして様々な雑誌や本のなかで、興味もあって駄文を認めています。

ところで、世界広しといえどもブラジルほどに多様な音楽を有している国はないのではないでしようか。周知のように、それほど実に数えきれない音楽が存在しています。

全土で通有のserestaやchoroのごときもの以外に、北部地域ではtoada、バイーア州のcateretê、ペルナンブーコ州のmaracatu、ミーナス州のcaxambuなどは、そのことを如実に物語っています。がしかし、ブラジル音楽のなかで最も世界中で知れ渡っているのは、疑いもなくsambaでしよう。その意味でブラジルは「カーニバルとサンバの国」と呼んでも過言ではありません。このジャンルの音楽に、幾多の日本のブラジル音楽家の方々が魅了されたかは、言うに及ばないことです。]

カーニバルとサンバの国-さまざまなスタイルのサンバ- その2

前回、ブラジル音楽の多様性について述べました。この国それは、音楽にかぎらず文化全般に亘って言えることです。ブラジルのそうした多様性なり多岐性は、社会史や人類学の領域で記念碑的業績を残したGilberto Freyreの言葉を借りれば、さまざまな民族集団が存在しているからに他なりません。

ところで本題のサンバに関してですが、ブラジル音楽のファンの人であれば知らない人がいないように、Aquarela do Brasil という素敵な楽曲があります。この歌詞にも、ブラジルは「terra do samba e pandeiro 」との一節があります。それからしても、ブラジルの国民がいかにサンバに魅せられ、陶酔しているかが、読み取れます。

音楽の知識など微塵もない、門外漢の概説になります。従って、間違いや誤解もあることと存じますが、どうか、この点ご容赦願う次第です。

次回から、サンバの多様なスタイルなり施法性(modalidades)について言及するつもりです。最後に、私の大好きなカイミのサンバ「マリーナ」(Marina)を拙訳で紹介します。

サンバの国:ブラジル-多様なスタイルもしくは施法性を有するサンバ- その3

一口にサンバと言えども、それには音階と旋律法を包含したものの違いなどから、さまざまなスタイルや変形があります。
そもそもサンバは、アフリカのリズムの影響を受けたJoaquim Maria dos Santos (Donga)と、”o rei do samba”とみなされていたJosé Barbosa da Silva(Sinhô)の二人の先駆的な作曲家によって生まれました。その背景には、リオのアフリカ黒人奴隷の末裔たちが19世紀後半に産み出したmaxixe の存在もありました。

ちなみに、アフリカリズムが色濃いリオで発現したmaxixeは舞踊の一種で、当時アルゼンチンではタンゴが人気を博し始め、”hermanos “のダンスのいくつかの影響を受けていることもあって、「ブラジルのタンゴ」として知られるようになっていました。

サンバのいくつかのスタイルをみてみましよう。一つはスローテンポのSamba-Canção。更に1930年代終わりに発現した、メロディーの切れ目に即興の格言を組み込んだSamba de Breque 。前者の音楽では、「打ち消しておくれ」(Negue)の曲で知られるAdelino MoreiraおよびEnzo de Almeida Passos以外に、Silvio CaldasやFrancisco Alvesなどが光芒を放っています。

Samba de Exaltaçãoは文字通り、国や人物、美しい自然などを賛美•称賛するジャンルと言えるでしよう。Ary Barrosoの「ブラジルの水彩画」(Aquarela do Brasil)はその典型かもしれません。次回はSamba de Partido Altoに触れます。

カーニバルとサンバの国 -サンバのあれこれ- その4

前回に続いて、サンバの各種スタイルについて概説します。今回最初に取り上げるのはSamba de Partido Altoです。単にPartidoとも呼ばれます。そもそもそれは、北部地方の一種の歌合戦(desafio)もしくは南大河州の連歌式の掛け合い(peleja)で、歌い手が二手に分かれて中心テーマをめぐつて競い合うものでした。

リオでは、サンバの近代化の過程で20世紀初頭に生まれ、surdo、violão、pandeiro、clarineteが楽器として用いられます。

続く20世紀に出現したSamba de Gafieiraは、Gafieira に「ダンスホール」の意味があるように、ダンスホールでなされる音楽とダンスのジャンルのもので、都会風のリズムに特徴があります。もともとリオ郊外のダンスホールが舞台であったようです。それがリオ都心にバイーアから移住した黒人によって広められました。maxixeから源を発しアフリカの出自が色濃く、踊りそのものが妖艶かつ官能的であったことから当初は、公序良俗に反するとして社会から煙たくみられていた代物でした。